道徳念仏申さるべし

親鸞会では獲信・往生とは関係のないことばかり教え、会員さんの獲信・往生を妨げていると言えます。

・光に向かって進みなさい
・善をしなければ信仰は進みません
・獲信の因縁として善を修せよ


因果の道理を元に、このような文言で、親鸞会への勧誘および献金、信仰を進める(宿善を厚くする)手段としての聴聞、お勤め、および日常生活での善いとされることを勧めています。しかし、いくらこのような教えに従っていても、信心獲得はできません。これでは自分の熱心さ、真剣さ、活動ぶり、こういったものをたよりにする心が強まるばかりで、他力回向の救いを計らいなく受け入れることができないのです。図示しますと、他力回向の救いとは、

阿弥陀仏 → 私

という一方的なお助けです。この一方的なお助けを受け入れたのが信心です。一方、親鸞会の教えを聞いている人は、

阿弥陀仏 ← 私

と、矢印の向きが逆になっているのです。「善をいくらしても信心獲得はできないが、信の一念まで進むには必要」だと善に功を認める、自力回向的な考えに陥っているのです。我々の善悪は獲信・往生のためにプラスにもマイナスにもなりませんし、本願の救いは善をしていけば信仰が進んでやがて助かるという類のものではありません。

・しかれば機に生れつきたる善悪のふたつ、報土往生の得ともならず失ともならざる条勿論なり。(口伝鈔)
・たとひ万行諸善の法財を修し、たくはふといふとも、進道の資糧となるべからず。(同)


親鸞会の邪義を、覚如上人は完全に否定しています。



ところで、親鸞会では善(もどきの善)を積極的に勧められることはあっても、念仏を称えなさいと勧められることはほとんどありません。逆に蓮如上人は、獲信の因縁としての善は全く勧められず、念仏を勧めておられます。

(1)
一 勧修寺村の道徳、明応二年正月一日に御前へまゐりたるに、蓮如上人仰せられ候ふ。道徳はいくつになるぞ。道徳念仏申さるべし。自力の念仏といふは、念仏おほく申して仏にまゐらせ、この申したる功徳にて仏のたすけたまはんずるやうにおもうてとなふるなり。他力といふは、弥陀をたのむ一念のおこるとき、やがて御たすけにあづかるなり。そののち念仏申すは、御たすけありたるありがたさありがたさと思ふこころをよろこびて、南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と申すばかりなり。されば他力とは他のちからといふこころなり。この一念、臨終までとほりて往生するなりと仰せ候ふなり。(御一代記聞書)


【現代語訳】
勧修寺村の道徳が、明応二年の元日、蓮如上人のもとへ新年のご挨拶にうかがったところ、上人は、「道徳は今年でいくつになったのか。道徳よ、念仏申しなさい。念仏といっても自力と他力とがある。自力の念仏というのは、念仏を数多く称えて仏に差しあげ、その称えた功徳によって仏が救ってくださるように思って称えるのである。他力というのは、弥陀におまかせする信心がおこるそのとき、ただちにお救いいただくのであり、その上で申す他力の念仏は、お救いいただいたことを、ありがたいことだ、ありがたいことだと喜んで、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と申すばかりなのである。

蓮如上人は道徳に念仏を勧め、その念仏に自力と他力があることを懇ろに説き示しておられます。信心といってもその体は念仏であり、念仏を疑いなく受容したのが信心ですから、念仏が勧められるのは当然なのです。その勧められて当然の念仏が、親鸞会では善(もどきの善)の影に隠れてしまって全然積極的に勧められません。思うに本願寺を称名正因と決めつけて攻撃してきた親鸞会の歴史が尾を引いているのでしょう。まぁ一番の理由としては、親鸞会への勧誘と献金を勧めるためには「念仏」ではなく「善」でなければ駄目だからですが。

他力の念仏を称えるようになるまで、つまり信心獲得するまでに、光に向かって進みなさいだとか、善をしなければ信仰は進みませんだとか、獲信の因縁として善を修せよだとか、そんなごちゃごちゃしたことは蓮如上人は一切教えられていません。第一、それが万人共通のプロセスならば、そんな大事なことを蓮如上人が教え漏らすはずがないし、聞いた者が聞き漏らすはずがありません。会員の皆さんには一刻も早く、ありもしない創作教義から離れ、正しい真宗の教えを聞いて信心決定し、報土往生を遂げて頂きたいと思います。
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おそらく会員さんは、"信心"というゴールと、ゴールへ到る"諸善"という道程だけが頭にあって、念仏には無頓着だと思います。親鸞会の思想統制により、会員さんは念仏に関心を持たないように持たないようにさせられています。「信心決定あれかし」が高森会長の切なる願いのように言われてきましたが、いまでは「念仏に関心を持つなよ、持つなよ」が朝夕の祈りだったのかも、と思ってしまいます。

No title

高森会長の文章はどれも,素直に受け止めようと思って読むと不自然さや,何かを隠していると言う感じがするのです。美文調にしていても,何かがおかしいと感じさせられるのです。大事な所を誤魔化しているからですね。本人が分かっていないのか,悪意があるのか…
本当に善を勧めるなら輪廻しても善趣に生まれられる可能性が高まるでしょうが,悪を善と呼んで悪を勧めているのだから危ないですね。
釈迦如来のお言葉に,「悪人は悪を善と思い,善を悪と思っている」とある通りです。

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広島の名無し様

親鸞会の「三願転入の教え」なるものを聞けば、誰しも「自分は19願の門前にも立っていない」と思います。あれでは念仏に疎くなるのも当然ですね。
会長にとっては獲信者が出ると困るので、「信心決定あれかし」の思いなどないでしょう。


maelstrom様

言葉だけで、中身は真宗とは関係ない教えですので、そう思われるのももっともです。

進んで悪をやらされている会員さんは実に哀れです。このままでは永く三途に沈むことは免れないでしょう。早く気がついてほしいものです。
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淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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