不審なることをも問へかし、信をよくとれかし

親鸞会で本当の意味での信心の沙汰が行われない理由

などで触れていますが、以前このようなことがありました。アニメ解説で、「私にはもう後がないんです」「どうすればいいんですか」と必死に質問していた年配の会員さんがありましたが、高森会長は質問に答えるどころか無視して奥へ引っ込んでいったのです。
それとは対照的に、蓮如上人は『御一代記聞書』にて「遠慮なく疑問に思うことを尋ねてほしい」と仰っています。また、取り次ぎも頼まずにやってきた人々を叱りつける慶聞坊に対して、「そのように叱るかわりに信心について語り聞かせて返してやってほしいものだ」とも仰せになっています。

(40)
一 仰せに、身をすてておのおのと同座するをば、聖人(親鸞)の仰せにも、四海の信心の人はみな兄弟と仰せられたれば、われもその御ことばのごとくなり。また同座をもしてあらば、不審なることをも問へかし、信をよくとれかしとねがふばかりなりと仰せられ候ふなり。

 「身分や地位の違いを問わず、このようにみなさんと同座するのは、親鸞聖人も、すべての世界の信心の人はみな兄弟であると仰せになっているので、わたしもそのお言葉の通りにするのである。また、このように膝を交えて座っているからには、遠慮なく疑問に思うことを尋ねてほしい、しっかりと信心を得てほしいと願うばかりである」と、蓮如上人は仰せになりました。


(42)
一 ゆふさり、案内をも申さず、ひとびとおほくまゐりたるを、美濃殿、まかりいで候へと、あらあらと御申しのところに、仰せに、さやうにいはんことばにて、一念のことをいひてきかせて帰せかしと。東西を走りまはりていひたきことなりと仰せられ候ふとき、慶聞房涙を流し、あやまりて候ふとて讃嘆ありけり。皆々落涙申すことかぎりなかりけり。

 ある日の夕暮れどき、多くの人が取り次ぎも頼まずにやって来ました。慶聞坊がそれをとがめて、「何ごとか、すぐに退出しなさい」と荒々しく叱りつけたところ、蓮如上人がそれをお聞きになって、「そのように叱るかわりに信心について語り聞かせて返してやってほしいものだ」と仰せになりました。そして上人が、「信心のことは東西に走りまわってでも話して聞かせたいことである」と仰せになると、慶聞坊は涙を流し、「間違っておりました」とお詫びして、信心についてご法話をされました。その場にいた人々はみな感動して、とめどなく涙があふれ出たのでした。


アニメ解説の質問にすら答えないのですから、おそらく高森会長の家に取り次ぎをしてから行っても信心について話がなされることはないでしょう。

また、蓮如上人は「機のあつかひをするは雑修なり」と仰り、「ただ信ずるほかは別のことなし」と教えられています。

(41)
一 「愛欲の広海に沈没し、名利の太山に迷惑して、定聚の数に入ることを喜ばず、真証の証に近づくことを快しまず」(信巻・末)と申す沙汰に、不審のあつかひどもにて、往生せんずるか、すまじきなんどとたがひに申しあひけるを、ものごしにきこしめされて、愛欲も名利もみな煩悩なり、されば機のあつかひをするは雑修なりと仰せ候ふなり。ただ信ずるほかは別のことなしと仰せられ候ふ。

 『信文類』の「愛欲の広い海に沈み名利の深い山に迷って、必ず仏になる身と定まったことを喜びもせず、真実のさとりに近づきつつあることを楽しいとも思わない」というお言葉について、お弟子たちが、これをどう理解すればよいのか思い悩み、「愛欲に沈み名利に迷う身で、往生できるのであろうか」、「往生できないのではないか」などと、お互いに論じあっていました。これを蓮如上人はものを隔てたところからお聞きになって、「愛欲も名利もみなわが身にそなわった煩悩である。わが身の上をあれこれ心配するのは、自力の心が離れていないということである」とお諭しになり、「ただ弥陀を信じておまかせする他に何もいらない」と仰せになりました。

それに対して、「機のあつかひ」ばかりをし、「ただ信ずる」ほかのことばかり教えている親鸞会はどのような教えでしょうか? 罪悪を突き詰め後生の不安を煽ること、19願の善の実践、宿善を厚くするための活動、光(?)に向かって進む活動などは、全て「ただ信ずる」以外のことです。このような真宗にあらざる教えを聞かされているからいつまで経っても助からないことを、会員の皆さんはよく知って頂きたいと思います。
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>秘密コメント様

会員さんの根強い認識の一つに、「組織的にはおかしいが、高森会長は立派な御方」というものがあります。会員の信心決定だけを考えているとか、命懸けで布教しているとか、美談を繰り返し繰り返し聞かされ続け、頭で会長を理想的人格者のように想像しているのです。私もそういう傾向がありました。しかし、あの程度の規模の組織があれだけおかしいのに、トップがおかしくないわけがありません。まんまと会の情報操作に踊らされていたのです。

「元気そうに見えますけど」などと言っていたように思い出しました。意地が悪く、会員の後生に無責任です。元気なら死なないとでも思っているのでしょうかね。あんなどストレートな質問に答えない時点で、高森会長から聞くことは何もないのだと気づくべきでした。私は気がつけてよかったですが、未だにしがみついている人は沢山います。手遅れになる前に気がついてほしいと願います。

本願寺についても会員は非常に情報操作されています。本願寺の僧侶なら誰でもいいとは言いませんが、話を一度聞いてもらいたいものです。

私の知人の現役会員にも、「親鸞会は体質的にどうかと思うが、高森先生の説くことは正しい」と胸を張る人がいます。「高森先生は正しい」と言っている人が何をもって正しいと言っているのかというと、「(親鸞会講師や会員がする話から総合して)高森先生は真宗でいうところの真実信心を得ている稀有な人だ、と私は思い、受け入れた」ということが根拠・基盤になっていると思います。仏教の最高課題を達成した人に間違いがあろうはずがない、と思ってしまうのだと思います。それに加え、お聖教には親しめとは言いつつお聖教の自学自習はタブーと匂わせ(親鸞会の教学テキストの暗記は積極的に推進)、この信心一つが分かればお聖教は全部スカーッと分かるなどと繰り返し聞かされたことも、高森先生無謬説を堅固にしているのでしょう。

>名無し様

仰る通りと私も思います。
後は、何をもって正しいとしているかというと、親鸞会の説く人間の実相に共感しその通りだと思ったとか、根拠を挙げて話をするからとかであると考えられます。
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淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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