【検証】『本願寺なぜ答えぬ』の中の愚禿鈔の御文

当ブログでは、親鸞会が「獲信の因縁としての修善のすすめがある」と主張するときに提示する根拠について繰り返し取り上げています。

親鸞会発行『なぜ答えぬ』には、

”十九の願や、定散二善は、獲信の因縁”と、親鸞会は理解する。(p.150)

とあり、その根拠として

・三願転入の御文
・浄土和讃の中の十九願和讃三首
・愚禿鈔の御文
・高僧和讃

などが挙げられています。

これらが、親鸞聖人が獲信の因縁として修善を勧められた根拠となっていないことは、『親鸞会教義の誤り』親鸞会は諸行往生にて詳細に書かれていますので、まだ読んでおられない方はそちらをご覧下さい。

当ブログでも上記の根拠について取り上げていきますが、十九願和讃三首については述べ終わったので、本日は愚禿鈔の文について見ていきたいと思います。

なお愚禿鈔の文については、親鸞会は諸行往生12にも書かれていますので、参照して下さい。



まず、『なぜ答えぬ』で挙げられている御文の前後を引用します。

 十九・二十の方便二願は、真実、十八願に転入する、十方衆生の道程と、みておられることが、よくわかる。
 このことは『三経往生文類』にも、みえるが、いまは『愚禿鈔』の文を、あげておく。

「ひそかに観経(十九願)の三心往生を按ずれば、これすなわち、諸機自力各別の三心なり。大経(十八願)の三信に帰せんがためなり。」

「万行諸善の小路(十九願)より
 本願一実の大道(十八願)に
 帰入しぬれば涅槃の
 さとりはすなはちひらくなり」(高僧和讃)


(p.155~p.156)



親鸞聖人は、十八願による救いを求める人に「十九・二十の方便二願は、真実、十八願に転入する、十方衆生の道程と、みておられる」のかどうか、次に『愚禿鈔』で取り上げられた御文の前後を見てみましょう。

おほよそ心について、二種の三心あり。
一には自利の三心、二には利他の三信なり。
また二種の往生あり。
一には即往生、二には便往生なり。
ひそかに『観経』の三心往生を案ずれば、これすなはち諸機自力各別の三心なり。『大経』の三信に帰せしめんがためなり、諸機を勧誘して三信に通入せしめんと欲ふなり。三信とは、これすなはち金剛の真心、不可思議の信心海なり。また「即往生」とは、これすなはち難思議往生、真の報土なり。「便往生」とは、すなはちこれ諸機各別の業因果成の土なり、胎宮・辺地・懈慢界、双樹林下往生なり、また難思往生なりと、知るべし。



『観経』の三心とは、諸機自力各別の三心のことです。
対して『大経』の三信とは、金剛の真心、不可思議の信心海のことです。

「涅槃の真因は、唯信心を以てす。」(教行信証信巻)

ですから、報土の真因は信心一つであり、それは『愚禿鈔』のお言葉で言えば『大経』の三信であり、金剛の真心、不可思議の信心海です。それに対して、

「二善・三福は報土の真因にあらず。」(教行信証化土巻)

で明らかなように、『観経』の三心、つまり諸機自力各別の三心で行う定散二善は報土の真因ではありません。


『愚禿鈔』のお言葉でも、『大経』の三信と『観経』の三心のそれぞれの結果について親鸞聖人は解説されています。

『大経』の三信による結果は即往生です。即往生とは、「これすなはち難思議往生、真の報土なり。」とあるように難思議往生、報土往生のことです。

『観経』の三心による結果は、便往生です。便往生とは、「すなはちこれ諸機各別の業因果成の土なり、胎宮・辺地・懈慢界、双樹林下往生なり、また難思往生なり」とあるように双樹林下往生・難思往生(化土往生)です。

まとめると、

     (因)      →     (果)
自利の三心ー『観経』の三心 → 「便往生」ー化土往生
利他の三信ー『大経』の三信 → 「即往生」ー報土往生

です。

このように、因に応じた果を説かれ、親鸞聖人は化土往生を誡め報土往生を勧められているのです。ですから、親鸞聖人は化土の因である定散二善の実行を勧めておられません。

親鸞会はこのような因果関係を無視し、『愚禿鈔』のお言葉を提示しましたが、すでに十八願の往生(報土往生)を求める人に「十九・二十の方便二願は、真実、十八願に転入する、十方衆生の道程と、みておられること」を示した根拠にも、「十九の願や、定散二善は、獲信の因縁」であることを示した根拠にもなっていません。

ところが、「ひそかに『観経』の三心往生を案ずれば、これすなはち諸機自力各別の三心なり。『大経』の三信に帰せしめんがためなり」と断章した御文を用い、権仮方便ということも弁えずに、あたかも『観経』の教説(定散二善)を実行することが『大経』の三信をえる因縁になるかのような説き方を親鸞会はするのです。


このように、親鸞会では断章した御文を用い、本来の意味とは異なった意味を会員に刷り込むことがあります。

例えば、教学聖典(5)にある『唯信鈔』のお言葉も、断章して本来の意味と逆の意味で利用していることが『親鸞会教義の誤り』宿善とは1『飛雲』で最近、取り上げられています。

自説に合うお聖教の御文を断章してでも探し出し、意味を変えてでも利用するという親鸞会の必死さがうかがえます。


しかし、いくら親鸞聖人のお言葉を出して話をしていても、断章して、意味を変えて説いていては、親鸞聖人の教えを正しく伝えているとはいえません。

会員の皆さんは一刻も早くニセの親鸞聖人の教えから離れ、本当の親鸞聖人の教えを聞き、真実信心に基づいて頂きたいと思います。
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淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
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(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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