雑行をすてて、後生たすけたまへと一心に弥陀をたのめ

親鸞会では正しい仏法を伝えるためなら、悪を犯してもかまわないという風潮があります。大学での偽装勧誘がいい例です。親鸞会と名乗らず、大学のサークル活動と称して勧誘しているのですから、学生を騙しているも同然です。また、宗教なのに宗教ではないと言い、獲信していないのに「勿論」と言います。会員からしたら「(貴方が思っているような)宗教ではない」「勿論(まだだよ、君もできるよ)」ということなのですが、聞く側はそう受け取ってはいません。このような入れ知恵は組織的に行われており、まさにペテンです。私も現役会員時代、実際このように答えていましたが、どうにも後ろめたかったです。「後生の一大事の解決のためだから」「相手が正しい仏法を聞くためだから」「法施は人間にできる一番の善だから」と割り切るよりありませんでした。

たとえ正しい法であっても、「自分はご法義のために善いことをしたのだ」と思うのは悪いことだと蓮如上人は仰せになっています。

(189)
一 よきことをしたるがわろきことあり、わろきことをしたるがよきことあり。よきことをしても、われは法義につきてよきことをしたると思ひ、われといふことあればわろきなり。あしきことをしても、心中をひるがへし本願に帰すれば、わろきことをしたるがよき道理になるよし仰せられ候ふ。しかれば、蓮如上人は、まゐらせ心がわろきと仰せらるると[云々]。
(「善いことをしてもそれが悪い場合があり、悪いことをしてもそれが善い場合がある。善いことをしても、自分はご法義のために善いことをしたのだと思い、自分こそがという我執の心があるなら、それは悪いのである。悪いことをしても、その心をあらためて、弥陀の本願を信じれば、悪いことをしたのが、善いことになるのである」というお示しがあります。そういうわけで、蓮如上人は、「善いことをしてその功徳を仏に差しあげようとする自力の心が悪い」と仰せになったのです。)

実際にやっていることは法施でも善でもなく、単なる新興宗教団体への勧誘なのですが、「阿弥陀仏に助けて頂きたい」との思いからやっているのでしょうから、会員の心はわろきと言われる「まゐらせ心」です。『聞書』との微妙な違いを言えば、会員の脳内では、「法施の功徳を仏に差し上げよう」というのではなく、「法施をして横の道を進もう、宿善を厚くしよう、救いに近づこう」となっています。
「まゐらせ心」はわろき自力の心であり、捨てものです。同様に、獲信・往生に関して定散二善、法施、財施、六度万行などは捨てものです。その事を蓮如上人は『御文章』に書かれています。『聞書』でも取り上げられていますので、今はそれを挙げます。

(188)
一 聖人(親鸞)の御流はたのむ一念のところ肝要なり。ゆゑに、たのむといふことをば代々あそばしおかれ候へども、くはしくなにとたのめといふことをしらざりき。しかれば、前々住上人の御代に、御文を御作り候ひて、「雑行をすてて、後生たすけたまへと一心に弥陀をたのめ」と、あきらかにしらせられ候ふ。しかれば、御再興の上人にてましますものなり。
(「親鸞聖人のみ教えにおいては、弥陀におまかせする信心がもっとも大切なのである。だから、弥陀におまかせするということを代々の上人がたがお示しになってこられたのであるが、人々はどのようにおまかせするのかを詳しく知らなかった。そこで、蓮如上人は本願寺の住職になられると、御文章をお書きになり、<念仏以外のさまざまな行を捨てて、仰せのままに浄土に往生させてくださいと疑いなく弥陀におまかせしなさい>と明らかにお示しくださったのである。だから、蓮如上人は浄土真宗ご再興の上人といわれるのである」と仰せになりました。)

親鸞会では「たのむ一念」を縦の線とし、そこへ至る道として横の線を書いて「この道を進め」などと言っておりますが、それは大間違いです。更に、横の線が三願転入の道だとか、白道だと言うに至っては言語道断のあさましい邪義であります。しかもその道進まねば死んだら無間地獄だ、進むには善知識の指示に無条件服従しなければならないなどと説くのは、まさしくカルト宗教そのものです。
往生行としては念仏一行であり、念仏をふたごころなく一心に称えるのが選択本願の行信ですから、こうした邪義は捨て去って本願を信じ念仏して頂きたいと思います。

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No title

今回のエントリーの蓮如上人のお言葉を捻じ曲げたのかもしれませんが、「悪に強い者は善にも強い」と恐ろしい事を言っていたのを思い出しました。気が小さくて大胆に万引きなどできない人はダメな人間、悪い事を思い切りやってのけられる人こそ見込みのある人という理屈になりますから、本当に恐ろしいです。蓮生房にこと寄せての発言でしたが、蓮生房は戦うのが仕事で、社会情勢もあったので、悪意で人を斬っていたとは言い切れません。悪をやり切ったからからこそ後悔して仏門に入ったと言う論法だとしても、会長自身が言っていた法鏡に向かう話と矛盾します。私は「悪に強い者は善にも強い」という言葉を聞くたびに何とも言えない嫌な気持ちになりました。お経にもそんな事は書いてありませんよね。支離滅裂な教義で煩悩ばかりか身業の悪までそそのかすのですから仏教と反対のカルトです。脱会して本当によかったと思います。

>maelstrom様

龍樹菩薩や蓮生房の話の際によく言っていましたね。結果的には、今までの悪業への強い懺悔の気持ちが仏門に入ってからの行動に大きく影響を与えたと言えます。「悪に強い者は善にも強い」というのは

http://partnersai.blog88.fc2.com/blog-entry-95.html
慣用句・ことわざ・四字熟語辞典

などにあるようにことわざのようです。経典にこのような意味の言葉があるかは現在のところ分かりませんが、大悪人が一旦改心すると非常な善人になるという意味です。ただ逆もしかりで「善に強い者は悪にも強い」ということわざもあります。

会の問題点は、御指摘のように「支離滅裂な教義で煩悩ばかりか身業の悪までそそのかす」ことにあります。こんな団体ですから、彼らの言っていることの何もかもに嫌悪感を抱くのは当然のことです。私も脱会して本当によかったと思っています。
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淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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