こと絶えて、言うことたえて、ことたえて、ああ、というほかに言うことの葉もなし

『浄土真宗 信心』(加茂仰順師)より引用

  三 仰せのままを、おうけする


  六

 「助けるぞよ」をまうけに、聞くばかりであります。つまり「助けるぞよ」をすなおに聞くばかりです。その聞こえた一念に、親心が胸に入って下されて、「こういう者をこのままながらお助け下さることよ」とお受けなられたら、ああ、うれしやと、よろこぶ心の底から出るが称名であります。うっかり称えた一声も、報謝になるとのことであります。「ことたえて、言うことたえて、ことたえて、ああ、という外に言うことの葉もなし」であります。
 本願力にあひぬれば、この「あう」とは、本願のいわれを聞信したのであります。この御本願にあいたてまつれば、むなしく、無益にはならない。これが「不虚作住持」と云うて、まちがわぬ。そのおうた一念帰命のときから、正定聚の位に召しなしくだされたれば、姿、形はこの土にあっても、心は浄土に住み遊んでいるお互いの身であります。
 ひとたびこの縁にあいたてまつった者は、空しく過ぐる人ぞなき、功徳の宝海みちみちて下さるゆえ、いかなる煩悩のにごり水でも、何も隔てはない。この大善大功徳が、聞く一念に、私のものになるとは、何としたありがたいことでありましょうか。
 そこで、この本願力のいわれを聞くとは、四十八願を聞くのでありますが、つづめれば、南無阿弥陀仏の六字と、一口にも足らぬようにやわらげて、すすめて下されてあります。
 つまり、「南無とたのめ、阿弥陀仏の必ず助けるぞ」との仰せを、そのまま、まうけに(すなおに)聞くばかりです。
 その聞こえた一念の当体に、真心徹到と、私の心中に六字の全体が満入して下され、「かかるあさましいこの者がこのままながら、お助け下さることよ」と、お受けなられたら、ああ、うれしやとの、よろこびの慶喜の心が、心の底から、どうでも出てきますのが、心海流出の称名とも、信の上の念仏とも申して、ただうっかりと、称えた一遍のお称名でも、みな報謝に備わるとは、何と勿体ないやら、申しようのない尊いことであります。これを「こと絶えて、言うことたえて、ことたえて、ああ、というほかに言うことの葉もなし」とあります。このうえからはすべてご報謝であります。

(p.29~p.31)



後生助かるには、南無阿弥陀仏一つです。この他、何も要りません。
私が南無阿弥陀仏と称えるという「行為」によってではない。私の口から称えられる「南無阿弥陀仏」によって救われるのです。称功を認めず、全く本願力によって救われるのです。不思議なことです。有難いことです。南無阿弥陀仏を前に、もはや付け加える言葉はありません。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。
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淳心房&しゃあ

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(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
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