「万行諸善の小路より」の御和讃

本日は昨日に引き続き、『本願寺なぜ答えぬ』に『愚禿鈔』と並んで根拠として提示している御和讃

「万行諸善の小路(十九願)より
 本願一実の大道(十八願)に
 帰入しぬれば涅槃の
 さとりはすなわちひらくなり」(高僧和讃)

(『本願寺なぜ答えぬ』p.156より引用)

について取り上げます。



親鸞会ではこのご和讃を、「十九・二十の方便二願は、真実、十八願に転入する、十方衆生の道程」だという根拠としていますが、全くのデタラメです。

御和讃の「万行諸善の小路」と「本願一実の大道」に対応するお言葉が、親鸞聖人が二河白道の譬の「白道四五寸」を解釈されたお言葉の中に説かれています。


「道の言は路に対せるなり。道はすなはちこれ本願一実の直道、大般涅槃、無上の大道なり。路はすなはちこれ二乗・三乗、万善諸行の小路なり。」(教行信証信巻)

現代語に訳すと、次の通りです。

「白道」の「道」というのは、「路」に対する言葉です。「道」とは万人に開かれている大道のことで、すなわち阿弥陀仏が第十八願に誓われた念仏成仏の大道のことです。それは一切の衆生が平等に、まっすぐに涅槃のさとりに至ることのできる、唯一無上の大道であるから白道というのです。

「路」というのは、通行制限のある、狭く、小さく、通りにくい小路のことです。自力の修行道は、実践する人の能力に合わせて無数にあり、その結果も同じではありませんから、「万行諸行の小路」といわれているのです。そのなかには、声聞乗や縁覚乗といった小乗の教えや、菩薩乗と呼ばれる自力聖道の大乗教が説かれているます。いずれにせよ、自分の能力に応じて無数の煩悩を一つ一つ断ち切って、順次にさとりを完成するために、無限の時をかけて無数の修行を実践しなければならない小路です。


(『梯實圓著 聖典セミナー 「教行信証 信の巻」』p.237-238より引用)


『教行信証信巻』のお言葉と合わせて拝読すると、「万行諸善の小路」は「本願一実の大道」に対する言葉であることが分かります。しかも、それぞれが独立した法門です。

ところが、高僧和讃の「万行諸善の小路より本願一実の大道に帰入しぬれば」の「より」に着目して、十九願から進んで十八願へ転入すると教えられているのだと言われると、親鸞会ドグマに冒されている会員には容易に浸透してしまうのでしょう。私もそうでした。

そうではなく、「万行諸善の小路」という方便仮門を捨てて、「本願一実の大道」という大願他力に帰せよというのが親鸞聖人の御心であることが、二河白道の譬の「西岸上からの喚び声」を解釈された『愚禿鈔』のお言葉によって分かります。すなわち、

「直」の言は、回に対し迂に対するなり。また「直」の言は、方便仮門を捨てて如来大願の他力に帰するなり、諸仏出世の直説を顕さしめんと欲してなり。

のお言葉により、方便を実行して真実に入るのではなく、方便を捨てて真実に入る真仮廃立の教えが鮮明に知らされます。

未だ親鸞会に止まっている人も離れた人も、直ちに本願一実の大道に帰依し、涅槃のさとりを開かせていただける身になっていただきたいと念じております。
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No title

三願転入というと、親鸞会って「三願転入」を強調しますが、
20願に入った人っているんですか?
親鸞会理論では、この3願を通らないと「アリ一匹救われぬ」はずなんですが、
実質的に言ってることは19願→18願みたいな「二願転入」じみてるので、
この時点で自己矛盾を抱えてるように思えるのですが…

親鸞会教義における20願の位置づけや、会員で20願に入った方がいるのか、
どういう感じだったりするのか、あまり議論にならないので、とても気になります。

ちょっと今記事のポイントから横道にそれてしまってすいません。

〉‐様

コメント有難うございます。よいご質問です。

実は、20願の行者はおろか、19願の行者の存在も会長は否定しているのです。

親鸞会発行 高森顕徹著『会報』5集には以下の記述がございます。

「一体、どこに十九願相応の修行をしている道俗が真宗に見あたるか。どこに二十願相応の念仏行をやっているものがいようか。
 真宗の道俗はさもいとやすく「あれはまだ十九願だ」「あれは二十願の人だ」といっているが願の上からだけなら言えるかも知れぬが、それに相応した行がともなわない人達ばかりだから本当の十九願の行者、二十願の行者は真宗の道俗にはいないといってもよいのだ。」

ですから、20願に入ったひとはいないといってよいと会長自身が書いています。それどころか19願の人もいないといってよいと書いていますから、会員はどこにいるのでしょうかね。

会員の理解は、「20願まで進めば18願までもうちょっとだが、そこまでも進んでいない人ばかりだから会長先生は早く19願から20願へ進みなさいと押し出しておられるんだ」というようなものでしょう。

財施と破邪顕正をやらせて金と人を集めるために、会長・親鸞会は19願を利用しているとしか思えません。

No title

記事とは関係ないですが、
質問デス。

S価と親鸞会との類似点とはどういったトコでしょう?

親鸞会教義の誤りに
相対的幸福、絶対的幸福、正本堂は
書いてありましたね。

他にもあれは答えれる範囲で
教えてほしいです。

何年か前、
◯◯は、会長とS価は同じだと言った。
除名処分にした。切り刻みても飽くかよ。
と、
教学講義の午前終わりと午後の始めに
全く同じことを名指しで二回いってましたね

余程いたいことをつかれたのでしょうか

『清森問答』親鸞会教義の相対化・4(質疑応答45)
http://kiyomorimondo.blog70.fc2.com/blog-entry-46.html
などに、S価から組織拡大の方法を学んだなどの記述があります。知人から組織が似ているということを聞いたこともあります。組織論をS価から学んだのではないかと推測できます。

また、教義面でいうと、『涅槃経』の「仏法中の怨」の御文をもって、破邪顕正の根拠にするのもS価の影響かもしれません。ネットで検索すると、日蓮系のサイトばかりがヒットします。

あと、除名のときの発表は、「会長はS価の●田と同じだといった」だったと記憶しています。

あまり詳しくないので、答えられるのはこれくらいです。

No title

淳心房さんは、梯実円師の「化身土文類講讃」、「一念多念文類講讃」等を読まれた方がよいと思います。
間違ってますよ。

No title

一念多念文類講讃
  → 一念多念文意講讃

>ちょっと一言様

コメント有難うございます。すみませんがどちらの本も所持しておりませんので、よろしければどの部分がどのように間違っており、どう修正したらよいか教えて頂ければと思います。

淳心房様

私が下手な説明をするより、梯師の言葉を直接読まれた方がよいと思います。


「顕浄土方便化身土文類講讃」  論述篇 第二章

「一念多念文意講讃」  第二十講

「教行信証の宗教構造」  第二章


このあたりを丁寧に読まれれば、淳心房さんも間違いに気付かれることと思います。

(特に、方便化身土文類講讃)

>ちょっと一言様

先輩が該当する本を持っているそうなので、今度借りて読んでみます。
プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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