御文をよみて人に聴聞させんとも、報謝と存ずべし

蓮如上人は、人に仏法の話をすることは勿論ですが、仏法の話を聞かせるためにされる様々なもてなしを仏恩報謝であると思われています。

(212)
一 蓮如上人、あるいは人に御酒をも下され、物をも下されて、かやうのこ とどもありがたく存ぜさせ近づけさせられ候ひて、仏法を御きかせ候ふ。さればかやうに物を下され候ふことも、信をとらせらるべきためと思し召せば、報謝と思し召し候ふよし仰せられ候ふと[云々]。
(蓮如上人は、あるときには訪ねてきた人に酒を飲ませたり、ものを与えたりして、このようなもてなしをありがたいことだと喜ばせ、近づきやすくさせて、仏法の話をお聞かせになりました。「このようにものを与えることも、信心を得させるためであるから、仏恩報謝であると思っている」と仰せになりました。)


これはご自身のことだけではありません。御文章を読んで人に聴聞させることは仏恩報謝であると思いなさいと教えられています。

(208)
一 御文をよみて人に聴聞させんとも、報謝と存ずべし。一句一言も信のうへより申せば人の信用もあり、また報謝ともなるなり。
(「人前で御文章を読んで聴聞させるのも、仏恩報謝であると思いなさい。一句一言でも、信心をいただいた上で読み聞かせるのなら、人も信じて受け取るし、また仏恩報謝にもなるのである」と仰せになりました。)


親鸞会で言うなら御文章を読んで人に聴聞させることは法施に当たるでしょう。それは仏恩報謝であって、宿善を厚くするための善、信仰を進めるための善、信の一念まで進むための手段とは位置づけられていないのです。

組織拡大に必要なのは金と人です。それらを集めるためにどうしても必要なのが「善の勧め」なのです。往生・獲信のために我々の善悪は関係ないのですが、それを関係あると思わせ、結果会員を未信のまま留めているのが親鸞会です。往生・獲信と関係あると思って修める善を「雑行」と言いますから、親鸞会は教義的には雑行を勧めています。実態は新興宗教への献金と勧誘が主ですから雑行とも言えませんが、いずれにせよ真宗でないことは明らかです。一刻も早く親鸞会には、「浄土真宗」「親鸞」という文言を団体名から外してもらいたいものです。
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淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
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(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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