人の辛労もせで徳をとる上品は、弥陀をたのみて仏に成るにすぎたることなし

以下の『聞書』のお言葉も、親鸞会に都合よく利用されています。

(225)
一 世間へつかふことは、仏の物をいたづらにすることよと、おそろしく思ふべし。さりながら、仏法の方へはいかほど物を入れてもあかぬ道理なり。また報謝にもなるべしと[云々]。
(仏のおかげで与えられたものを世間のことに使うのは、尊いお恵みを無駄にすることであると恐れ多く思わなければならない。けれども、仏法のためであれば、どれほど使っても、これで十分だということはないのである。そしてまた、仏法のために使うのは、仏恩報謝にもなるのである。)

私はよく学友部で聞かされました。自分の時間やお金を世間事に使うのは仏物をいたづらにすることだと教えられ、私を含め周囲の多くの学友部員は節約をして食事やファッションなどにはあまりお金をかけないようにしていました。また、仏法のためならどれほど使っても使いすぎるということはないと教えられ、御法礼や御報謝、富山への交通費などへは毎月多くのお金を使い、一つでも多くの行事へと参加していました。
そうやって、少しずつでもお金や時間を仏法のために使っていくことで、横の線を進み、やがて縦の線まで進んで信心決定の身になれると努力されている会員の皆さんですが、そんな教えは真宗にはないとは夢にも思っていないでしょう。親鸞会は皆さんの信心決定など眼中になく、会の活動へ駆り立てるためにこのお言葉を利用しているに過ぎません。往生・獲信は全て阿弥陀仏のおはたらきによるものであり、我々の苦労とは別物なのです。

(226)
一 人の辛労もせで徳をとる上品は、弥陀をたのみて仏に成るにすぎたることなしと仰せられ候ふと[云々]。
(「人が何の苦労もしないで徳を得る、その最上のことは、弥陀を信じておまかせするだけで仏になるということである。これ以上のことはない」と仰せになりました。)

これを「そんな馬鹿な」「あるはずないよ」と疑い計らっているのが自力のわろき心です。活動が信の一念まで進むための手段だと信じ、人によっては何十年と親鸞会の活動に身を捧げていますが、残念ながらそれは思い違いです。横の線を進んだ先、信仰が進んだ先、白道を進んだ先というように、救いを未来のこととし、救いを向こうに眺めてこちらから近づこうと会の活動に没頭しても、その距離は縮まりません。善もどきの善を手がかりに浄土往生を目指しているのですから。それでいて聖道門や浄土他宗を助からない仏教などと見下していますので、聖道門の方々、諸行往生を目指している方々、自力念仏往生を目指している方々に失礼極まりないというものです。無常の風に吹かれる前に、今ここにいる私一人に喚びかけられている阿弥陀仏の勅命を聞いて頂きたいと思います。
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淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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