自力聖道門の人たちの四十八願観

法然聖人は、往生のためには一切の諸行諸善を廃して念仏一行を専らにせよと教えられました。そのために、

『親鸞会の邪義を正す』会員との問答(聖道門の19願に対する見解・宿善)

等にあるように聖道諸宗から非難を受けられたのですが、ここで聖道諸宗の学僧は阿弥陀仏の四十八願をどのように見ていたのか、梯實圓著『親鸞聖人の教え・問答集』より引用したいと思います。


Q、四十八願には、さまざまなことが誓われていることはわかりましたが、その中で一番大切な中心の願は、どれですか?

A、四十八願は、ただ雑然と誓われているのではなくて、一つの核となる誓願を中心にして展開していると見られていますが、それが第十八願であると見られたのが善導大師であり、法然聖人であり、親鸞聖人だったのです。いわゆる浄土門の祖師方でした。しかし自力聖道門の学僧たちは、そのようにはご覧になりませんでした。


Q、自力聖道門の人たちは、四十八願をどのようにご覧になっていたのですか?

A、今から千年あまり前、平安時代の中期に、比叡山延暦寺に慈恵大師良源(九一三~九八五)という高僧が出られました。この方は、比叡山天台宗の中興の祖師と仰がれている方です。実はこの方は浄土真宗の七高僧の中の第六祖にあたる源信僧都(九四二~一〇一七)のお師匠さまにあたる方で、『極楽浄土九品往生義』という書物を著されています。『観無量寿経』の九品段の解説書なのですが、その中に四十八願の説明がしてあります。そこに四十八願の中で一番大事なのは、第十八願ではなくて第十九願であるといわれています。
 先ほども申しましたが、衆生の往生の因を誓われた願に、第十八願と第十九願と第二十願の三願があります。それはこの三願に限って、このような行いをし、このような信心を発して浄土を願う者を往生させると誓われているからです。この三願の中で阿弥陀仏の本意にかなった修行と信心を往生の因として誓願されているのは、第十九願であるといわれています。
 大師は、この願を「行者命終現前導生(行者が命終するとき阿弥陀仏が眼前に現われて浄土へ導き往生させる)の願」と名づけています。それは第十九願には、十方の衆生の中で、まず菩提心を発して、もろもろの功徳を修行し、浄土に生まれたいと、まごころをこめて願う人の臨終には、阿弥陀仏自らが、観世音菩薩や大勢至菩薩をはじめとする多くの聖衆を引き連れて、迎えに行ってあげようと誓われているからです。それは自分のさとりの完成を目指すばかりでなく、一切の衆生を救済しようという崇高な菩提心(求道心)を発して、自力の限りを尽くしてさまざまな功徳を積み、浄土にふさわしい上善人になって、浄土へ生まれたいと願っている人ですから、阿弥陀仏のご本意にかなった人であるというのです。
 だからこそ阿弥陀仏はその業績を評価して、多くの聖衆を伴ってその人の臨終にわざわざ迎えに行ってあげようと誓われているというのです。阿弥陀如来が自ら聖衆を引き連れて迎えに行くといわれているのは、阿弥陀如来のご本意にかなっている証拠であるというのです。それゆえ阿弥陀如来のご本意にかなった生き方をしようと思う者は、まず出家して菩提心を発し、力の限りを尽くして修行にいそしみ、臨終の来迎を祈りなさいと、大師は仰っているのです。
 また大師は、第十八願は、五逆罪とか正法を誹謗するというような極重の罪を犯していない凡夫で、阿弥陀仏を深く信じて浄土へ生まれたいという願いを発し、余念をまじえず心を集中して阿弥陀仏の名号を称え、十念を完成した者は往生させると誓われた願であると見ています。それで、第十八願を「聞名信楽十念定生(名号を聞いて信楽し、十念する者は定めて往生させる)の願」と名づけています。それは第十九願に誓われた人よりも功徳が劣っていますから、阿弥陀仏自らの来迎は誓われていないというのです。いいかえれば、浄土へは往生させてあげるが、阿弥陀如来がわざわざ迎えに来るような値打ちのない功徳の劣った者の往生を誓った願と見られていました。ですから、第十八願の者が浄土で受ける果報は、第十九願の人に比べたら、劣った果報でしかないというのです。
 なお第二十願は、念仏や諸善を修行しているが、その功徳が劣弱で、次の生(順次生)では往生できない場合には、次の次の生(順後生)では往生させるという三生果遂を誓った願であると見られていました。自力聖道門の人びとが『無量寿経』を読まれたときは、だいたいこのようにご覧になっていました。
 こうした聖道門の方々の本願観に対して、それは自力聖道門の経典を解釈するときの考え方を、他力浄土門を説く経典である『大無量寿経』に適用した誤った解釈であると否定していかれたのが法然聖人であり、親鸞聖人だったのです。そして他力浄土の法門を明かした『大無量寿経』の四十八願は、第十八願を軸として説かれており、開けば四十八願であるが、合すれば「本願中の王」である第十八願に帰すると言われたのが法然聖人だったのです。(p.76~p.79)
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(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
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