親鸞聖人を非難して、親鸞会は浄土真宗と言えますか?

自力聖道門の人たちの四十八願観

にて紹介しましたが、聖道諸宗の学僧は四十八願の中で第十九願が一番大事な願であると見られていました。それに対して、四十八願は第十八願を核として展開していると見られたのが善導大師、法然聖人、親鸞聖人でした。法然聖人は『選択本願念仏集』の中に第十八願のことを「本願中の王」と仰っています。

問ひていはく、すでに「われ慈悲をもつて哀愍して、特にこの経を留めて止住すること百歳ならん」(大経・下)といふ。もししからば釈尊、慈悲をもつてしかも経教を留めたまはんに、いづれの経いづれの教か、しかも留まらざらんや。しかるをなんぞ余経を留めずして、ただこの経を留めたまふや。
答へていはく、たとひいづれの経を留むといへども、別して一経を指さば、またこの難を避らじ。ただ特にこの経を留むる、その深き意あるか。もし善導和尚の意によらば、この経のなかにすでに弥陀如来の念仏往生の本願(第十八願)を説けり。釈迦、慈悲をもつて念仏を留めんがために、殊にこの経を留めたまふ。余経のなかにはいまだ弥陀如来の念仏往生の本願を説かず。 ゆゑに釈尊、慈悲をもつてこれを留めたまはず。おほよそ四十八願みな本願なりといへども、殊に念仏をもつて往生の規となす。 ゆゑに善導釈していはく(法事讃・上)、 「弘誓、門多くして四十八なれども、ひとへに念仏を標してもつとも親しとなす。 人よく仏(阿弥陀仏)を念ずれば、仏還りて念じたまふ。専心に仏を想へば、仏、人を知りたまふ」と。{以上}
ゆゑに知りぬ、四十八願のなかに、すでに念仏往生の願(第十八願)をもつて本願中の王となすとなすといふことを。ここをもつて釈迦の慈悲、特にこの経をもつて止住すること百歳するなり。例するに、かの『観無量寿経』のなかに、定散の行を付属せずして、ただ孤り念仏の行を付属したまふがごとし。これすなはちかの仏願に順ずるがゆゑに、念仏一行を付属す。(特留章)


釈尊はどうして他の経典を留めず、ただこの経(大無量寿経)を留めると仰っているのかという問いに対し法然聖人は、善導大師の御釈によれば『大経』には第十八願が説かれており、釈尊は慈悲の心をもって念仏を留めるために、特に『大経』を留められたと回答されています。それに対して他の経典には第十八願が説かれていないから、釈尊は慈悲の心をもって留めるとは仰っていないというのです。四十八願はみな本願であるけれども、特に念仏をもって往生の規範とするのです。そして善導大師の「法事讃」を挙げて、四十八願の中で第十八願を本願中の王とするということが知られると仰っています。このようなわけで釈尊は『大無量寿経』に、「慈しみの心をもって哀れみ、特にこの教えだけをその後いつまでもとどめておこう」と仰っているというのです。それは例えば、『観無量寿経』の中に、釈尊が阿難に定散の行を付属せずただ念仏一行を付属されているようなものです。それが阿弥陀仏の願いに順ずるので、念仏一行を付属されているのです。
ところで、釈尊はなぜ『観無量寿経』において定散二善を付属流通されておられないのでしょうか?

問ひていはく、なんのゆゑぞ定散の諸行をもつて付属流通せざるや。
(中略)
答へていはく、「仏の本願に望むるに、意、衆生をして一向にもつぱら弥陀仏の名を称せしむるにあり」(散善義)といふ。 定散の諸行は本願にあらず。ゆゑにこれを付属せず。またそのなかにおいて、観仏三昧は殊勝の行といへども、仏の本願にあらず。ゆゑに付属せず。 念仏三昧はこれ仏の本願なるがゆゑに、もつてこれを付属す。(念仏付属章)


定散の諸行は本願ではないからです。それに対して念仏は仏の本願だから付属されているというのです。
では、一体何のために釈尊は直ちに本願の念仏の行を説かず、煩わしく本願ではない定散諸善を説いたのでしょうか?

問ひていはく、もししからば、なんがゆゑぞただちに本願の念仏の行を説かず、煩はしく本願にあらざる定散諸善を説くや。
答へていはく、本願念仏の行は、『双巻経』(大経)のなかに委しくすでにこれを説く。ゆゑにかさねて説かざるのみ。 また定散を説くことは、念仏の余善に超過したることを顕さんがためなり。もし定散なくは、なんぞ念仏のことに秀でたることを顕さんや。(念仏付属章)


定散二善を説いたのは、念仏が他の善よりもはるかに勝れていることを顕すためだったと仰っています。

このように定散二善を含む一切の諸善を廃して念仏一行を、すなわち十八願のみを勧められたので、「それは何事だ」と聖道諸宗の怒りを買ったのです。明恵上人は『摧邪輪』に、

解して曰く、発菩提心は、是れ仏道の正因、是れ体声なり。専念弥陀は、是れ往生の別行、是れ業声なり。汝が体を捨てて業を取るは、火を離れて煙を求むるがごとし。咲ふべし、咲ふべし。まさに知るべし。これらの解釈の文は、皆菩提心においては、置いてこれを論ぜず、ただ所起の諸行についてこれを判ず。しかるに本願の中にさらに菩提心等の余行なしと言うは、何が故ぞ。第十九の願に云く、「発菩提心、修諸功徳」等と云々。是れ本願にあらずや。

と具体的に十九願を出して、「十九願は本願ではないのか」と詰問しています。

立場も思想も全く異なりますが、十八願のみを勧める者を非難しているという点は聖道諸宗も親鸞会も変わりません。法然聖人の教えをそのまま教えられたのが親鸞聖人なら、親鸞聖人も十八願のみを勧めていかれた方です。そんな親鸞聖人を非難して、親鸞会は浄土真宗と言えますか?
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リバート

宗教法人浄土宗親鸞会講師部の〇崎さんブログ
http://blog.goo.ne.jp/pakira18
ぱきら

から、大沼法龍の記事が削除されました。
コメント欄も開放なさってらっしゃたのに
今では、承認制になってます。

〇崎さんあなたは、最古参の講師の一人でしょう。他の講師部員、一般会員、おてんとうさまに
どう申し開きを立てるのでしょうか?

即刻、削除理由をブログに、記事として、UPください。
よくよくものを考えて記事をリバートしてください。

>名無し様

親鸞会にとって不都合な記事は普通は削除されてしまいます。削除されないのはブログの管理人が見ていないだけです。理由のUPは期待しない方がよいでしょう。

まだまだ、序の口、燻し出しちゃる。

>親鸞会にとって不都合な記事は普通は削除されてしまいます。削除されないのはブログの管理人が見ていないだけです。理由のUPは期待しない方がよいでしょう。

まこうなることは、わかってたけど。実際削除されたら、笑ってしまった。
思う壺、S会の隠蔽体質ここにきわまれりて言う感です。
まだまだ、序の口、燻し出しちゃる。
プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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