今日もまた 得意に話す 体験談

親鸞会では近年、各人各様の体験で信心を語るのは「群賊・悪獣」たちの放言であると非難しています。記事の題名は、平成24年の『顕真』2月号に載っていた高森会長の言葉です。しかし、過去の親鸞会においては谷口春子さんや高森会長のお母さんによる獲信するまでの体験談が語られていました。また、私が初めて参加した平成13年5月の名古屋での親鸞会の法話では、体験発表として名前は忘れましたがお婆さんによる獲信するまでの体験談があったことを覚えています。
以下、親鸞会発行『絶対の幸福』より抜粋です。


   三、獲信の記録(四十六年二月、谷口さんと座談会にて取材)

 谷口春子さんは岐阜県高山市の浄土真宗の末寺、勝久寺の生まれ。お父さんは岐阜別院の輪番を務められた有名な浄土真宗の布教使であった。
 そのようなお父さんの元に育てられたのであるから幼いころより厳しく仏法の尊さを教えられた。
 お父さんがどんな方であったかをエピソードで谷口さんは以下の如く語られた。
 「ある夏の暑い日に、食事をしておられたお父さまが、突然、箸を置き、『阿弥陀様も暑いだろうな』と、つぶやくと、さっと立ち上がって本堂へ行かれたのです。そして本堂のすべての戸を開き、涼しい風がお仏壇に入り込むのを見
とどけると、安心したように又、食卓につかれたのです。そんな父の行動は幼いころの私にとって不思議でなりませんでした。またある時は、私が仏壇のお供え物を欲しいといいますと、『もう少し待ちなさい。まだお供えしてから少ししか時間がたっていないから、阿弥陀様が充分におあがりになってからお前達にもあげましょうね』と言われたような父だったのです。そして又いつも父は『お寺には七つの徳を持たねば生まれる事はできない。だから春子よ、この仏様を死に仏にしてくれるなよ』と言われていたのですが、そのころの私はそれを聞いても、おかしな事を言われる。この仏様を死に仏にしてくれるなと言ったって、いつ見ても仏様は前のお供えものを食べられないのに、という位にしか思えませんでした。」
 そのように厳しく育てられ子供時代をすごされた谷口さんであるが、そのような時代を回顧して、「私は毎日、ぶらんこに乗ったり、友達とハーモニカを吹いたり、ピンポンをしたりして子供時代を楽しくすごしました。その頃の私の仕事は、春と秋に三十日間開かれる法座の布教使の食事の世話をすることと、大きな提灯にろうそくの火をともすこtでした。」
 そのような谷口春子さんが、若干13才にして阿弥陀仏に救われ、信心決定されたのはどのような御縁であったのだろうか。その事について谷口さんは次のように語られた。
 「しかし私は遊び盛りの子供でしたから、それだけの仕事を済ませるとすぐに遊びにとび出して行きました。そんなある日、ろうそくの火をつけていると、一人のおじいさんが、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と念仏を称えながら私の横を通りかかったのです。その時私はドキッとして日頃の父の言葉を思い出しました。『七つの徳がなければ寺に生まれる事ができない。そして仏様を死に仏にしてくれるなよ』そうだ、私は寺の娘に生まれて十三年にもなっていながら、南無阿弥陀仏の意味さえ知らないではないか、そう思った時、何も知らない自分が恥ずかしくなり、次の日、いの一番に、最前列の高座の真下にすわって、生まれて初めて説法を聞かせて頂きました。その時、布教使の方が説法の中で、『オギャッと生まれた赤ちゃんでさえ死ぬことがあるんですよ』と言われた時、心がドキッとして声が出なくなってしまいました。オギャッと生まれた赤ちゃんでも死ぬことがあるのに、私は十三まで命ながらえさせてもらっていながら、しかもお寺に生まれていながら、仏とも法とも知らないではありませんか、それでは余りにも情ない。そう思いまして説法が終わったらすぐ布教使の方の休まれる座敷へ行ってまた法の話を聞かせてもらおうと思いましたが、布教使の方の座敷には、大勢の同行の方たちが次から次へと出入りして、とうとうお話をきく機会が得られませんでした。
 仕方がないからもう寝ようと思って床に入ったのですが、その日の夜はなかなかねられません。日頃から父に、死ねば地獄へ堕ちると聞かされていましたし、オギャッと生れた赤ちゃんでさえ死ぬことがあるんだから、私も、今、眠ったまま死んでしまったらどうしようと思うと、心配で心配でとうとう朝まで一睡もできませんでした。
 朝になりましたから、どうかして人のこない内にお坊さまにお話を聞かせてもらおうと思って、朝、たしか六時ごろだったと思いますが、お坊さまの休んでおられた部屋の雨戸をガタガタさせながらあけて、お坊さまを起こしてしまいました。
 そして母にたのんで早く食事を作ってもらい、お坊さまの部屋へ持っていきました。するとお坊さまが『お嬢ちゃん、今日はえらい早くから起きてたね』と言われましたので『私は夕べから、今死んだらどうなるかと思って一晩中ねられなかったんです。ですから仏法のお話を聞かせて頂きたいんです』と言いますと、お坊さまは大変感心して、『お嬢ちゃんは本当に感心だね。私は年中布教して回っているから知っている寺は全国に二千軒ほどあるけど、お嬢ちゃんのような仏縁の厚い子は一人もいませんよ』と、布教日程のギッシリ書いてあるノートをみせながら言ってくれました。そうしてそれから二時間位、お話を聞かせて頂いたのですが、お坊さまの一言一言が、私の腹にピシッピシッとこたえました。小さい時からたえず父に仏法の事を教えられていたからでしょう。しかし、どれだけ話を聞いてもますます心配、不安がふえるばかりでした。そうして二時間近く話してもらってもどうにもならない自分でしたので、そろそろ同行の人も来そうだし、膳をかたずけようと、それをもって本堂を通っていった時です。本堂で阿弥陀仏のお姿をチラッと見た時『アァ、自分のような者は絶対助からん』と、もうこれ以上堕ちるところがないというところまで堕ちてゆきました。その地獄の底で生きた阿弥陀仏とお値いする事ができたのです。
 『ああ、ただ南無阿弥陀仏のまことひとつを信じさせて頂いたあとは何もない』と、おどり上がったその時の喜びはとても言葉にあらわされない、口で言えるようなちっぽけなものではありませんでした。泉の如く救われた喜びが湧き上がり、不思議不思議としか思えませんでした。そのようにして信心決定の身にさせて頂いたのが今から五十七年前の、私が十三才の時だったのです。」
 十三才で信心決定の大幸福とは、まさに「弥陀の本願は老少善悪の人をえらばず、ただ信心を要とすと知るべし」と言われた親鸞聖人の御言葉を地でいかれた谷口春子さんの獲信の記録である。(『絶対の幸福』p.188~p.193)



谷口さんは各人各様の体験で信心を語っていますが・・・過去のことは棚に上げておいて、他は徹底的に非難する。親鸞会らしいやり方です。私が会員であった頃、機相、信相などと言って、「いつ、誰が、どこで、どのようにして信心決定したかを語ってはならない」という内容のプリントが配られましたが、谷口さんは思いっきり語っていますよね。

また、このエピソードが親鸞会の出版物に掲載されているという事実から分かることは、

・谷口さんが真実信心の人とすると、親鸞会以外でも獲信できる
・谷口さんが真実信心の人とすると、親鸞会外に弥陀の本願を正しく説く人がいる
・谷口さんが布教師から話を聞いて獲信するまでに善の勧めはなかった、あるいはあっても実践していなかった
・「本堂で阿弥陀仏のお姿をチラッと見た時」とあるから、谷口さんの寺の本尊は木像か絵像であったと窺える
・編集責任者である浅倉保講師は、谷口さんは信心決定した人だと書いている。配られたプリントによれば、他人のことを指して、あの人は信心決定している、していないとは言わないのではなかったのか?


などです。こうした矛盾点を疑問に感じられる人はまともな頭脳の持ち主です。しかし、疑問に感じないか、感じても講師による詭弁で納得してしまったりする人は、大分洗脳されていると言えるでしょう。
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No title

私が入会した20年くらい前は確かに普通に体験がどうとかは語られてましたねー。
機相がどうの心相がどうのと言われだした頃からもうおかしいなと思い始めてたので
なんか必死に他に逃がさんようにしてるなーと思ってました。確かこの人は頓機?の
人で(頓機?の人はめったにいないが)、親鸞会以外でも救われたんだとかいう説明
を受けたような記憶があります。この本を読めばこの人がケンテツ以外の人の話を聞
いて救われたということは誰もが思い至りますからね。いずれにしても親鸞会と関わ
ったのは不幸な出来事でしたね、といっても真宗についての理解も全くなかったでし
ょうから、3~5年くらいでやめてるのが自分にとって一番よかったのにとか思って
ます。
これだけ皆さんが頑張って親鸞会を非難しているから親鸞会の過疎化も相当激しいん
でしょうね、頑張って下さい。

善知識方は信心を機相(いつ、どこで、どうやって)では語られていない、常に信相(万人に共通する言い方)で語られている。とかいうプリントだったかと記憶してます。
こういう内容自体がどこから作った話なのかよく分かりませんが、昔は末期癌会員さんの臨終間際での「往生ハッキリスッキリ」ビデオもありましたね。学生の夏合宿で毎回見てましたね。
あのビデオは中々の曲者でした。
会員さんは熱心に欠かさず聞法していて、かつ親鸞会に多く財施活動していた。モルヒネ投与を繰り返しボロボロになった状態での臨終に往生ハッキリスッキリしたと言い出した。周りの親族や伝え聞いた会長は「良かった、良かった」と獲信を認可している。
あれは強烈なインパクトがあって、自分の心の奥に「今獲信できずとも諦めず、聞法、財施などの光に向かっての活動に頑張っていけば臨終には必ず阿弥陀様が助けて下さるんだ、そして高森先生も喜ばれるんだ」という思いが植えつけられました。
数年前にも神奈川の主婦の方が病死する直前に救われたという話がありました。あの時も特選部医師連中や同じ支部の会員が自慢気に機相で語ってました。俺が導いたんだと言わんばかりに。
昭和の顕正新聞見たら「飛び上がった、堕ちきった、泣いた、叫んだ、這いずり回った」体験談がよく掲載されてます。
なぜか記した体験談。
まあ親鸞会は教義上での正しさはすべて崩されたわけだから、今後は体験談重視に切り替えて「お聖教に何と書いていようが、救われた俺の体験が証拠」とハッキリ言えばいいんじゃないかと。すでにそんなことを言い出してる講師や会員さんもいるのかも知れませんが。

コメント返信

名無し様

確かに高森会長以外の人の話を聞いて救われたということは思い至りますが、だからといって高森会長から離れようとまでは思い至らないでしょう。『絶対の幸福』には、谷口さんが高森会長を褒めちぎっている手紙も多く掲載されています。「信心決定している人が高森先生をこのように言っている、だから高森先生は正しいんだ」と思い込ませるのに恰好の材料なわけです。この本の利用価値はここにあると私は見ています。

応援ありがとうございます。これからも親鸞会のおかしな点を指摘していくつもりです。



ヘルプ様

T本さんのことですね。記事にしようかと思いましたが先を越されてしまいました(笑)
親鸞会の主張には一貫性が無く、コロコロと意見を変えていくので、ヘルプさんが挙げているように矛盾点が出てきます。
W講師が最近獲信したと言っていると聞きましたが、『今後は体験談重視に切り替えて「お聖教に何と書いていようが、救われた俺の体験が証拠」とハッキリ』言うようになった先駆けではないかと思います。

No title

とても魅力的な記事でした!!
また遊びに来ます!!
ありがとうございます。。

>敬語のマナー様

ありがとうございます。またいらして下さい。
プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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