親鸞会での活動が加わることでそれまでの当たり前だった生活までが侵食されていくパターンが多いのです(頂いたコメントより)

毎日が、決まった行動のくり返しと気づく

の記事に、名無し様からコメントを頂きました。ありがとうございました。高森顕徹監修『なぜ生きる』の読み替え、実に的を射た表現に脱帽です。

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タイトルを見て、久しぶりに『なぜ生きる』を読んでみました。
会員の時、それらしい体験(信心決定)のない講師部から「がんばって求道していけば、きっとそのうちいいこと(救われる)あるよ」と無責任な励ましを沢山聞かされていました。しかし代わりばえのしない求道がつづくだけが実感でした。
会員はゴールなき円形トラックを「求めよ」「頑張れ」「駄目だと思う心が駄目でないものを駄目にするのだ」と講師方に鞭打たれ走っているのです。
その講師も高森会長から「辞めたらどうなるか分かっているだろうな」と脅しの誓約書に縛られて「毎日毎日僕らは鉄板の上で焼かれて嫌になっちゃうよ」状態です。
人間毎日決まった行動をきちんと繰り返していくこと自体は大切なことですし、毎日同じことを積み重ねていくことで成長もし、前進出来るものだと思いますから、同じ行動の繰り返しということはそれはそれで大切だと私は思います。私自身親鸞会を辞めても生活そのものは特別代わりばえのない日々を送っています。
ただ彼らは「人生の目的(ゴール)」に向かっているはずなのに、実際は「人身受け難し今已に受く!(よくぞ人間に生まれたものぞ!)」というゴール突破の感激を味わっている人が皆無というのが問題と思います。
万歳万歳万々歳というゴールがあるぞー、だからこの道(横の道)を進めよ!と会長に示されながら、あんなに頑張っている講師部からして誰もゴールにたどり着けないでいるのです。
しかもそれまでの生活に親鸞会求道が加わっただけといいますが、親鸞会での活動が加わることでそれまでの当たり前だった生活までが侵食されていくパターンが多いのです。親鸞会一色の日々になっていくのです。
こんな毎日に一体何の意味があるのかと真剣に悩んでくれたらいいのですが、彼らにとっては「絶望的なことに、これがもっとも安心できる理想的な人生」になってしまっているのです。
新歓期によく使ってた言葉でいえば、まさに「狂人の主催するオリンピック」です。

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『なぜ生きる』には、

「生きてきて本当によかった」という満足がなく、来る日も来る日も「食べて寝て起きて」のくり返しならば、ゴールを知らずに走っているランナーと同じです。ゴールに近づく喜びもなければ、「やった!」というゴール突破の感激もないと思ったら、足に力が入るはずはないでしょう。目的地がハッキリしていてこそ元気に走り通せるのは、人生行路も同じです。(p.34)

と書かれていますが、まさに親鸞会会員のことでしょう。「食べて寝て起きて」のくり返しが、「食べて寝て起きて活動して」となったに過ぎません。縦の線を指して「ここが卒業、ここが決勝点、ここがゴール」と言われても、どこがゴールなんだかよく分からないというのが私が会員の時の実感でした。「生きてきて本当によかった」という満足は当然なく、ゴールに近づく喜びもなければ、「やった!」というゴール突破の感激も得られませんでした。それどころか、ゴールというのが「必堕無間の一大事から逃れること」という認識でしたので、どんどん暗い所へと進んでいくような印象でした。これでは、活動に身が入るはずはありませんでした。

ここで、名無しさんが指摘されていることですが、「それまでの生活に親鸞会求道が加わっただけといいますが、親鸞会での活動が加わることでそれまでの当たり前だった生活までが侵食されていくパターンが多い」という点が見過ごせないと感じ取り上げることにしました。これは仰る通りで、私の見落としていた点でもあります。
学生ならば、主に活動のために学業やその後の社会生活に支障をきたしてしまうことが挙げられます。単位を落とし留年するのは勿論、中には中退して活動に身を捧げようとした人もあったでしょうし、今もあると思います。親鸞会と出会わなければ資格の一つでも取ったり、ちゃんと就職活動をしたりして働いていたであろう人が、ろくにそういったこともせずにバイト生活を続けていたり、あるいは働きもしなかったりする人も中にはあります。確かに生き方は人それぞれであり、あれこれ言える立場ではありませんが、宗教に入信したためにこうなったと親鸞会へのイメージダウンになってしまうことに本人さんは気づいているのでしょうか?
社会人ならば、活動のために犠牲にしなければならないことが多いです。睡眠時間を削ったり、疲労で仕事に打ち込めなかったり、家族や友人・恋人と過ごす時間を削ったり、趣味や生きがいを我慢したり・・・まだまだあるでしょうが、普段の生活が親鸞会の活動に浸食されてしまい、本来やるべき事、やりたい事がおざなりになってしまうのです。
それがいい、そうしなければならないと思えるのは、親鸞会のいう「人生の目的」に賛同し、活動に熱中していられる間だけでしょう。何かのきっかけで教義的な誤りや、組織的なおかしさを知って退会した人にとっては、「ムダな日々をすごしてきた。求めるものが間違っていた」と裏切られた痛嘆を禁じえないと思います。

あるはずのない架空の道を「求めよ」「頑張れ」「駄目だと思う心が駄目でないものを駄目にするのだ」と鞭打たれて走っているのですから、まさに「狂人の主催するオリンピック」です。それが会員さんにとって「もっとも安心できる理想的な人生」であるなら、もはや手の施しようがありません。事実を知り、受け入れた時の動揺と苦痛と怒りはありますが、明日、また明日、そしてまた明日が、時の階を滑り落ち、「最後の幕は血で汚され」てからでは遅いのです。刻々と迫る無常を凝視して、決して後悔をのこさぬように願います。
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淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
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