親鸞会で100年や200年求めても信心は得られません

高森会長の話では、獲信は遠~~~い先のこととしか思えなくなる

にて、親鸞会で信心獲得を目指そうとすると、まず横の線の軌道に乗るまでに最短で45年、それから横の道を長いこと進んでいってようやく縦の線に辿り着くと書きました。
これなら今生でギリギリ間に合うか間に合わないか位と見てとれますが、実際は100年や200年求めても信心は得られないようです。『なぜ生きる』にはそれが見て取れる箇所があります。

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「弘誓の強縁」とは、“なんとしても苦しみの根元を断ち切り、人生の目的を果たさせたい”という強烈な弥陀の誓願をいい、その誓いどおりに、苦しみの根元が断ち切られて、人生の目的成就した歓喜の生命を、「真実の浄信」と言われている。
 それはもう、百年や二百年求めて得られる、ちっぽけな幸せではなかった、と知らされるから、「多生にもあえないことにあえた、億劫にも獲がたいことをえた」と言われているのである。多生億劫の間求めても、得られぬものが得られたのだから、「ああ!」と驚嘆されたのも当然であろう。(p.176)

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これは、『教行証文類』総序の中の、

ああ、弘誓の強縁、多生にも値ひがたく、真実の浄信、億劫にも獲がたし。たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ。もしまたこのたび疑網に覆蔽せられば、かへつてまた曠劫を経歴せん。誠なるかな、摂取不捨の真言、超世希有の正法聞思して遅慮することなかれ。

というお言葉を高森会長が解説をしている中の文章です。改めて読み返してみると、お言葉の解説があまりにもヘンテコであるのに「ああ!」と驚嘆してしまいます。さて、高森会長はここで、

真実の浄信は100年や200年求めたところで到底得られるものではない。それどころか多生億劫の間求めても得られないものである。親鸞聖人は、多生億劫の間求めても得られない信心を得た。

と言っています。信心獲得は難しいことであると強調し、100年や200年求めても得られないものを得ようとしているのだから、もっと真剣に求道(活動)しなさい、横の道を進みなさいと発破をかけているようです。確かに自力で求めようとしたら多生億劫かかっても得られない信心ですが、真実の浄信は本願の独用により只今ここにいるこの私に恵み与えて下さるものです。しかも「聞其名号 信心歓喜」(大無量寿経)とあるように、獲信には本願の名号を聞く一つです。なので総序のお言葉は、真剣な求道(活動)をせよというのではなく、聞思せよ、つまり只今本願を信じ念仏を申す身となれというお勧めであります。

ところが、横の線の軌道に乗り、その軌道を進まなければ絶対に信心を得られないと信じ込んでいる会員はそうは読めないでしょう。元気な人は、

自分は今、多生億劫の間求めても得られないようなものを得ようと求めているのだ。たとえどれだけかかろうと、解決つくまで聞き抜かなくては。真剣に聴聞して、因果の道理を深く信じ、廃悪修善を実践して、早く横の軌道に乗って、横の道を進んで、そして一念の決勝点を突破したい。

と意気込むでしょうが、同じことのくり返しに疲れている人は、

信心を得ることはまことに難しい。多生億劫の間求めても得られないようなものを、私のような者が死ぬまでに得られるのだろうか。とても無理なのではなかろうか。たとえ今生で無理だとしても、現在の求道が遠生の結縁にでもなればよい。

などと考えてはいないでしょうか? どちらにせよ、真剣な求道(活動)をせよ、あるいは聞思するのは縦の線でそこまでは真剣な求道(活動)をしなければならない、としか読めないのではないでしょうか? あの縦と横の線と人の図が頭にある人は、阿弥陀仏からの一方的なお計らいとは受け取れず、「求めない者に得られたということがあるか」という思考で救いを未来に眺め、そこまで求め進もうという考えに陥っています。ひとえに阿弥陀仏から一方的に与えられる他力の信心を、逆にこちらから授かりに向かって行こうとしているのです。このように向きが逆さまですから、いつまでも本願を疑い続け、他力の信心を得ることはできません。

因果の道理、19願、定散二善など、真宗の信心とは関係ないことばかり聞かされやらされて、自力回向的考えに陥っている限りは、親鸞会で100年や200年求めても信心は得られません。第一、こちらが求めるに先行して既に与えられている救いの法でありますから、真宗では「求める」とか「求道」という言葉がそもそも適さないように感じます。それに本気で成仏や諸行往生、自力念仏往生を目指して修行しておられる方々に比べたら、親鸞会の活動など求道ごっこでしょう。100年や200年求道ごっこしても何も得られませんわ。一体会員の皆さんは、南無阿弥陀仏の他に何の不足があるというのでしょうか。そんな求道ごっこはもうおしまいにして、只今、ここにいるこの私に喚びかけられている救いの法(南無阿弥陀仏)を聞き受け、念仏して頂きたいと思います。
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No title

さよなら、親鸞会  投稿:「人生の目的」再考 コメント欄にある
ブログ50以上に、コメントしました。
大沼法龍の記事です。
浄土真宗 親鸞会会員は、大沼法龍氏のことは、まったく知りません。ましていわんや、 浄土真宗 親鸞会 会長 高森顕徹氏 の著作の多くが、大沼氏の著作のまる写しということは、 知る由もありません。
未だ、夢のなかです。
                                        
http://thanatology.cocolog-nifty.com/
 井手敏郎の知らなきゃ損する死生学

http://okamoniaokamonn.seesaa.net/
 仏教ちょっといい話
 
http://www.shinrankai.com/pumpkin/2011/10/%e3%82%ab%e3%83%9c%e3%83%81%e3%83%a3%e3%83%97%e3%83%aa%e3%83%b3%e3%81%ae%e6%9b%b8%e9%81%93%e6%95%99%e5%ae%a4%e2%98%86%e3%80%80no-1/#respond
カボチャプリン☆親鸞会講師のわくわく日記             


http://blog.goo.ne.jp/pakira18
 ぱきら


この、4っのブログだけは、承認制ではなく
コメントがすぐに、反映されました。
他のブログは、承認待ちです。

> 元 親鸞会 会員様

お疲れ様です。ほとんどが承認制とは、何とも自信と度胸のない講師部員ですよね。確かに荒らしをする人はいますが、的を射た意見をする人も当然います。そういう人のコメントが公にされないのは疑問に思います。

会員の多くは、高森会長が盗作の大家というだけでは動じないほどに堅固な会長信心をもっています。ただ、どれくらいの割合で盗作をしていたか、その全貌を暴けば覚める方もあるでしょう。あとは情報に触れる機会があるかどうかですね。

No title

無断で記事を削除するのは、やめてください。
Wikipedia‐ノート:削除依頼/大沼法龍
http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia%E2%80%90%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E5%89%8A%E9%99%A4%E4%BE%9D%E9%A0%BC/%E5%A4%A7%E6%B2%BC%E6%B3%95%E9%BE%8D

wikipediaに2012年3月11日(日)に大沼法龍氏の記事を書かせていたいたものです。 無断で記事を削除するのは、やめてください。
ノートに、これこれこういう理由ですから、何日後に削除しますと、通知するのが、礼儀だと思います。
ノートで議論するべきだと、私も学習しました。 Ryo-Kondoさん 削除理由を、即刻教えてください。

10日間、待って、返事がない場合リバースします。


No title

>高森会長が盗作の大家というだけでは動じないほどに堅固な会長信心をもっています。


そうですね。洗脳はとけませんよね。
思うんですが、S会会員は、事の重大さを認知できてない。
わかるようにするよう、努力します。
プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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