今救われずして、どうして未来助かるだろうか

親鸞会では、救われるためには横の線の軌道に乗り、そして横の線を進んで縦の線まで辿り着かなくてはなりません。つまり救われるのは未来であって今ではありません。求めていく間に横の線の軌道に乗れなかったり、あるいは乗れたとしても縦の線まで辿り着けずに命終わった場合は無間地獄です。

・出息入息 不待命終(?)  (←何経に説かれているのか分かりません。御存じの方は教えて下さい。)

などの言葉を出して後生への不安を煽り、死ぬのは一分後かも知れないなどと書いたりしている高森会長ではありますが、助かるのが今ではない未来ならば、助かるのは死んでからと言っているようなものです。彼の理論でいえば、今晩死ぬ人は今晩から後生、一時間後に死ぬ人は一時間後から後生、一分後に死ぬ人は一分後から後生だからです。親鸞会で何十年と聞き求めている人や講師部員でも横の軌道に乗っているとは言えないでしょうに、今から一分後に死ぬ人は、その短い時間内に一体どうやって横の軌道に乗って横の道を進んで縦の線に辿り着くのでしょうね。それに、

・仏法には明日といふことはあるまじきよしの仰せに候ふ。(御一代記聞書155)

と説いたり聞いたりしていながら、悠長に横の軌道に乗ろうとか信仰を進めようなどとやっているのは、明日ありと思う心があるからです。明日どころか、何年も、何十年も生きていられる、平均寿命位は生きられると思わなければ、親鸞会での活動などやっていられません。明日がないとすれば、私の造作を交えずに只今助ける本願でなければ間に合わないことは誰が考えても分かることでしょう。

今救われずして、どうして未来助かるだろうか

というアニメの法然聖人の言葉は、善慧房にではなく高森会長や会員さんに対して言われていると見えるのは、私だけでしょうか? 会員さんには親鸞会の活動で満足せずに、自分の後生を身近に引き寄せて考えて頂きたいものです。
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自分の後生を身近に引き寄せるとはどういう心もちを言われるのでしょうか

>名無し様

今日自分が死んでしまったら、このままで後生どうなるのだろうかと無常を見つめてみるということです。

今日自分が死んでしまったらと見つめてみても、正直何にも感じません。 焦ったり、悩んだりもなく、阿弥陀仏の本願を聞いても同じ思いです。そのまま聞くが聞けません。どうしたらは、ないのでしょうがいつもそこに戻ってしまう気がします。

>名無し様

このエントリーは、未だ会員として活動し、信仰を進めよう宿善を厚くしようなどと考えている人へ向けて書きました。本願をそのまま聞こうとされている名無しさんにとりましては、何の造作も要らず、助けるぞの弥陀の仰せを受け入れ念仏するのみです。
お分かりのように、どうしたらはありません。どうしたら、どうすればの心配は、既に如来の方で問題にされていることで、今さら問題にすることではないんですね。
方法論を求める気持ちはよく分かります。ただそれは自分に何とかする力があればこそです。如何なる行にても生死を離れることのできない私達は、ただただ仰せを仰せのままに聞き、仰せの通りに受け入れるのみです。そして、それがそのまま信心です。助けるぞを聞くのがすなわち信です。
何かハッキリとする体験や、喜び満ちあふれる心境など、その他余計なものを求めないで下さい。本願を聞いて疑いない以外に、南無阿弥陀仏以外に信心はありません。どうぞ南無阿弥陀仏に後生をおまかせし念仏して下さい。

いろいろ教えていただきありがとうございます。 自分のやった行為や思いに価値をつけていこうとする。自分では気がつかないが妨げになっている。
素直に聞くとはなかなか出来ない、我が強いのかと悩ましです。

>名無し様

>自分のやった行為や思いに価値をつけていこうとする

私もそうでした。称えた念仏によって何とかなろうとしたり、うまいこと聴聞できたら救われるように思ったり、南無阿弥陀仏の意味を考えてそれが分かったら助かるように思ったり・・・方法論ばかり問題にしていました。

しかし、私たちはこと生死出離に関してはとことん無能、無力なんですね。往生に役立つものは空っぽ、何もないんです。我が身や心を見ても、どこにも出離のてがかりはない。なので、我が機に用事はありません。ひたすら助ける法を仰ぐのみです。
大丈夫です。必ず救われますよ!(^^)!

No title

Abcです。

>出息入息 不待命終(?)

これは、「四十二章経」という書物に書かれているそうです。
(主に、仏心宗(禅宗、曹洞宗)で用いられるようです。)

---
四十二章経は、全体で2300字程度の比較的短いお経です。中国語に訳された最初のお経と言われています。

タイトルの通り、42の短文で構成された格言集的なもので、一つのお経を翻訳したものではありません。仏教を紹介するのに適した教えを集め、中国で作られたお経と考えられています。
(引用:http://tobifudo.jp/newmon/okyo/42shokyo.html
---

>今から一分後に死ぬ人は、その短い時間内に一体どうやって横の軌道に乗って横の道を進んで縦の線に辿り着くのでしょうね。

まことに言われる通りです。「横の軌道」といわれるものは高森さんが言われていることであって、善知識はいわれていません。そこまで「自力」に執着して「宮殿に生まれ五百歳、善知識に会うことも仏の声を聞くこともできない」ところに行きたいのでしょうか、少なくとも私はそのようなところには行きたくはありません。

爾時慈氏菩薩 白仏言世尊 何因何縁 彼国人民 胎生化生 仏告慈氏 若有衆生 以疑惑心 修諸功徳 願生彼国 不了仏智 不思議智 不可称智 大乗広智 無等無倫 最上勝智 於此諸智 疑惑不信 然猶信罪福 修習善本 願生其国 此諸衆生 生彼宮殿 寿五百歳 常不見仏 不聞経法 不見菩薩 声聞聖衆 是故於生国土 謂之胎生
(大経 より 抜粋)

不了佛智のしるしには
  如来の諸智疑惑して
罪福信じ善本を
  たのめば辺地にとまるなり

(正像末法和讃)

途中、「漢字ばかりの箇所」を作ってしまいましたが、
この箇所は「化土往生」について「釈迦」が言われたところですので
あえて原文で載せました。

Abc

Re: Abc様

> >出息入息 不待命終(?)
>
> これは、「四十二章経」という書物に書かれているそうです。
> (主に、仏心宗(禅宗、曹洞宗)で用いられるようです。)

ありがとうございます。しかし本当に「四十二章経」にあるのでしょうかね? 以前、見当たらないと飛雲さんに質問していた方があります。飛雲さんも調べたようですが、「不待命終」が分からなかったそうです。

高森顕徹会長の小智は菩提のさまたげといへる
http://hiun.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-322e.html


親鸞会では化土往生を否定し、獲信していない人は必堕無間だと説いてきました。それを度重なる批判に応じて多少緩めたり、また復活させたりしています。目的は浄土往生(報土往生)だと言ってはいますが、聞いている会員の本音としては「幸せな人生にガラリと変わる」こと、絶対の幸福だとかいう夢・幻のような現世の幸せ、といったところでしょう。それでは報土往生はおろか化土往生もかなわず、再び流転することになるでしょう。阿弥陀仏を誹謗する悪知識の教えを我も信じ人にも教え聞かしむるばかりの方々ですから、必堕無間もあながち間違いではないかも知れません。
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淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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