『教行証文類』の概要(7)ー往相と還相 を書いて

昨日、『教行証文類』の概要(7)ー往相と還相を書いていて、ふと昔の事を思い出しました。まだ昨日の記事をご覧になっていない方はぜひ上のURLから飛んで読んでみて下さい。本日は、昔思っていたこと、そして現在思っていることを書きます。





正直、私が親鸞会学友部で初めて還相の話を聞いた時は嫌でした。

「え~、せっかく極楽に往生するのに、またこの娑婆へ戻ってきちゃうの!?

ようやく仏法に出遇い、迷いの世界を離れて、未来永遠の幸福になれるかと思っていたのに、またこのような迷いの世界に還って来てしまうのか…(´Д`)」


と思ってしまいました。どうも還相について誤解があったようです。

「還相とは娑婆世界へ人びとを救うために戻ってくるということ。

お釈迦様は娑婆往来八千遍という。法然上人はその昔お釈迦様の十大弟子の一人だったと仰っていると先輩から聞いた。

ということは、救われたとしても来世はまた、今と同じように人間界に生まれてくるのだろうか?

誰も救われて生まれてくる者はいないから、再び人間に生まれて来る時は迷いの凡夫としてだろう。

そこで今生と同じように人間界の苦しみを味わって、仏法に遇って、活動して、そして救われて、御恩報謝のためにまた活動して…

未来永遠の幸福といっても、浄土に往生して還ってきたら一旦幸福は取り上げなのだろうか?

還相した者は次の生でも必ず救われると聞いたが、それでは未来永遠の幸福と言えず、断絶があるのではないだろうか?」


と思っていました。

「早く未来永遠の幸福を獲得したい」「早く救われて、苦悩から解放されて楽になりたい」という思いだった私は、還相の話はあまり聞きたくない内容でした。

「無間地獄へ堕ちて、八万劫中大苦悩ひまなくうけることに比べたら、まだそんな一大事から逃れられるだけマシかなぁ…」

そんな程度にしか阿弥陀仏の救い、また還相を理解していませんでした。



親鸞会では、信心獲得を求めてとにかく活動、活動、活動です。

「聴聞、お勤め、破邪顕正、財施…と頑張って活動することで宿善が厚くなっていき、ようやく救われるんだろう。しかし救われたら、今度は御恩報謝のためにまた活動、活動、活動なんだろうな。

まぁ救われた後は絶対の幸福で、喜び一杯だろうからいいとして、平生業成の教えとは言え一体いつになったら救われる時が来るのだろう…?

果たして自分は救われるかどうか…ひょっとして今生では救われないのではなかろうか?」


このような思い・不安がしばしばありました。


また、次のような話も聞きました。

「・わればかりと思ひ、独覚心なること、あさましきことなり。
・あのごとくになりてこそと思ひすつること、あさましきことなり。
(御一代記聞書)

と蓮如上人は仰っている。他力の信心は願作仏心であり度衆生心である。そういう他力の信心を求めている者が、自分さえ救われたらいいという声聞根性では助からない。信後の人の真似でもせよ」


こう教えられ、活動を強く勧められました。そして、

「活動しない、親鸞聖人の教えを伝えようとしないのは教えが分かっていないからだ」

とも言われ、教えが分かってないやつと思われるのも癪なので、嫌だと思いながらも活動していた学友部時代でした。

当時は、当然本当の浄土真宗も知らず、如来広大の恩徳を迷失していましたし・・・思い出すと「そういえばそんなこと思っていたなぁ…」と懐かしく、そして愚かだったなぁと知らされます。



阿弥陀仏の本願は宿善厚くなった者を救うという誓いではありません。今の私が、何も変わらないまま無条件で救われるのです。

このような本願であり、私も実際に救われたのですから、皆さんにも救われて頂きたいと思い、拙い文章ではありますがこうしてブログを書いています。

救われるのに「○○しなければならない」という条件はありません。

浄土真宗の御法義に遇わせて頂くのも、本願を信じ念仏する身にさせて頂くのも、何もかも阿弥陀仏の本願力によるのです。

阿弥陀仏、そして娑婆の化主であるお釈迦様の善巧方便によりお育てに預かり、真実の信心を獲させて頂くのです。

ド真剣に聞かなければならない、そうしなければ信心が獲られない、というものでもありません。阿弥陀仏の「そのまま救う」の仰せを、そのまま計らいなく受け入れるのみです。



親鸞会では、「善をしなければ信仰は進みません」という珍しい教えも説かれていますが、「善の話ばかりで阿弥陀さまはどこへ行ってしまって、私は一体何を聞きに来ているんだろう?」と困っている会員の方もいると思います。

「善をしなければ信仰は進みません」
「宿善が厚くならねば宿善開発の時節当来ということはあり得ない」


という親鸞会教義と正反対の、いや、親鸞会教義を根底から覆すのが本願力回向ということであります。



親鸞会でいわれる活動にいくら熱心に取り組んだからといって、それで救われるとか、信仰が進むとか、宿善が厚くなるのではありません。

それに、御恩報謝の活動も強制されるものではありません。

親鸞会では、「高森先生の五十有余年のご苦労」などと言って製作ビデオを見せられ、「我々もみ跡に続きましょう」と信前の者に信後の真似事のようなことをさせていますが、獲信への最短の道どころか迂回であり、獲信の障害になっています。


すみやかに生死を離れようというならば、すなわち十八願によって救われようと願うならば、権仮方便である十九願、二十願は捨て去って、直ちに十八願を聞いて下さい。仏願の生起本末を聞くのが信です。
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淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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