親鸞聖人がご門弟の方々に勧められた『後世物語聞書』に、三願転入の教えはない(2)

親鸞聖人がご門弟の方々に勧められた『後世物語聞書』に、三願転入の教えはない

では、『後世物語聞書』の内容そのものにはあまり触れませんでしたが、今回は少しばかり中身を見ていきたいと思います。

【2】あるひと問うていはく、かかるあさましき無智のものも、念仏すれば極楽に生ずとうけたまはりて、そののちひとすぢに念仏すれども、まことしくさもありぬべしともおもひさだめたることも候はぬをば、いかがつかまつるべき。
 師答へていはく、念仏往生はもとより破戒無智のもののためなり。もし智慧もひろく戒をもまつたくたもつ身ならば、いづれの教法なりとも修行して、生死をはなれ菩提を得べきなり。それがわが身にあたはねばこそ、いま念仏して往生をばねがへ。


ある人が、「このようなあさましい無智の者でも、念仏すれば極楽に生まれるとお聞きして、その後ひとすじに念仏するのですが、本当に念仏すれば極楽に生まれると思い定めることがありません。どうすればいいのでしょうか」と尋ねています。
それに対して師(隆寛律師か?)が、「念仏往生は、もともと破戒無智の者のためのものです。もし智慧も広く戒律をも完全にたもつ身であるならば、仏教のどの法でも修行して生死を離れ、さとりを得ることができるでしょう。それが我が身には不可能であるからこそ、いま念仏して往生を願いなさい」と答えています。

「いま三願転入して往生を願いなさい」でも「いま第十九願の修諸功徳の善をして宿善を厚くして往生を願いなさい」でもありません。「いま念仏して往生を願いなさい」です。私達が諸行(善)のできる器ではない破戒無智の者だからこそ、阿弥陀仏は本願において往生行として一切の諸行を選び捨て、念仏一行を選び取って下されたのです。その選び捨てた諸行(善)を再び拾って勧める知識は、選択本願という意味すら分かっていないのか、組織拡大しか頭にないのか。親鸞会の教えは浄土真宗とは似ても似つかぬえせ法門です。


【3】またあるひと問うていはく、いみじきひとのためには余教を説き、いやしきひとのためには念仏をすすめたらば、聖道門の諸教はめでたく浄土門の一教は劣れるかと申せば、
 師答へていはく、たとひかれはふかくこれはあさく、かれはいみじくこれはいやしくとも、わが身の分にしたがひて流転の苦をまぬかれて、不退の位を得ては、さてこそあらめ。ふかきあさきを論じてなににかはせん。いはんや、かのいみじきひとびとのめでたき教法をさとりて仏に成るといふも、このあさましき身の念仏して往生すといふも、しばらくいりかどはまちまちなれども、おちつくところはひとつなり。善導ののたまはく、「八万四千の門〔あり〕。門々不同にしてまた別なるにあらず。別々の門はかへりておなじ」(法事讃・下 五四八)といへり。しかればすなはち、みなこれおなじく釈迦一仏の説なれば、いづれを勝れり、いづれを劣れりといふべからず。あやまりて『法華』の諸教に勝れたりといふは、五逆の達多、八歳の竜女が仏に成ると説くゆゑなり。この念仏もまたしかなり。諸教にきらはれ、諸仏にすてらるる悪人・女人、すみやかに浄土に往生して迷ひをひるがへし、さとりをひらくは、いはばまことにこれこそ諸教に勝れたりともいひつべけれ。まさに知るべし、震旦(中国)の曇鸞・道綽すら、なほ利智精進にたへざる身なればとて、顕密の法をなげすてて浄土をねがひ、日本の恵心(源信)・永観も、なほ愚鈍懈怠の身なればとて、事理の業因をすてて願力の念仏に帰したまひき。このごろかのひとびとに勝りて智慧もふかく、戒行もいみじからんひとは、いづれの法門に入りても生死を解脱せよかし。みな縁にしたがひてこころのひくかたなれば、よしあしとひとのことをば沙汰すべからず、ただわが身の行をはからふべきなり。


この段落では、「能力のすぐれた人のためには他の教えを説き、能力の劣った人のためには念仏をすすめたのであれば、聖道門の諸々の教えはすばらしく、浄土門の一つの教えは劣るのでしょうか?」という質問がなされ、それに対して「聖道門の教えと浄土門の念仏往生の教えとの優劣を論ずるよりも、みずからの能力に応じた念仏往生の道を選ぶことが肝要である」と教えられています。
「このあさましき身の三願転入して往生す」でも「このあさましき身の定散二善をして信仰を進めて往生す」でもありません。「このあさましき身の念仏して往生す」です。中国の曇鸞大師、道綽禅師、日本の源信僧都、永観律師という方々も、自力修行には堪えざる身であると自力の修行を捨てて念仏に帰依されたのです。ならば、尚更私達は念仏以外に救いの道がないということは明らかでしょう。十九願を勧めるのは、自力修行を勧め諸行往生・臨終来迎を願えと言っているのと変わりません。そんな真宗にあらざる教えを説く知識からいくら聴聞し、彼の指示に無条件服従していても、念仏往生とは無関係です。

大体、おおよその親鸞会の会員は、第十九願の内容、定散二善の内容などについてろくすっぽ解説も受けていないでしょう。ただそれらを根拠に出され、「善をしなければ信仰は進みません」やら「獲信と修善はよい関係にある」やら「獲信の因縁として善を修せよ」と言われ、実際は修諸功徳の善でも定散二善でもない献金や勧誘をやっているに過ぎません。それでいて念仏を勧める者(主に本願寺)を称名正因の異安心呼ばわりしたり、「念仏は信後報謝に限る」などと教えられて念仏を軽視する風潮があります。更に自力念仏の者も必堕無間だと唱えているのですから、念仏誹謗もいいところです。おかしな新興宗教の教祖を絶対者と信じ込むと、せっかくの明晰な頭脳を持っていても台無しです。そして未信のまま流転の旅に出てしまうとなれば、哀れもここに極まれりと言ったところでしょうか。何にせよ、親鸞会の邪義を離れ、本願の念仏を称えて往生を願って頂きたいばかりです。


【参考資料】
『妄念の凡夫』『後世物語』を勝手に訳して
『WikiArk』後世物語聞書
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>秘密コメント様

ありがとうございます。確かにみものですね。更なる情報をお寄せ頂ければ幸いです。
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Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


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平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
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