称名とは聞名であります

『浄土真宗 信心』(加茂仰順師)より引用

  五 聞名の生活

  

 聞法生活は念仏生活であります。称名とは聞名であります。念仏とは聞名であります。だから、聞法生活とは聞名生活であります。
 法とは、名の外はありません。名に体を具する名号の外には何物もないのです。
 実在はつまり名号であります。その名を聞くのです。名のほかに何等神秘な不思議はありません。
 その名とは即ち如来招喚の呼び声であります。
 自分でこれを称えるのは、自力の念仏でありまして、他力の念仏とは聞名であります。自分で称えればこそ、そこには他のものとのあらそいが起ることもできますが、名を聞くところには、何もあらそいはありません。すべての者は皆一つの名を聞くのみです。即ち本願招喚の御名を聞くのみです。他力の念仏は、自分が称えるのではなくて、名を聞くのみであります。だから、親鸞聖人はこれを、自分で称えるとは言わないで、諸仏称名と申されています。
 自分が称えるというのはまねをしているだけであります。真の称名は必ず諸仏の称名でなければなりません。ここにおいて私たちは、一人居ても諸仏称讃の声を聞くのです。他力の称名念仏は、必ず称えるのではなく、聞く生活に居るのです。聞名の生活、聞法の生活であることが知られます。

(p.42~p.43)



称名とは、南無阿弥陀仏を聞くことです。「助けてやるぞ」の仰せを聞くことです。自分の声として発せられる如来招喚の呼び声を聞くのです。
それを、自分の「称える」という行為に功を認め、称える行為によって助かろうとするのを自力の称名といい、親鸞聖人は自力念仏を厳しく誡められています。
念仏を称えて助かろうとするか、助けてやるぞの仰せを聞くか、自力と他力は向きが正反対です。悪き自力の心をひるがえして他力の念仏を称えて頂きたいと思います。
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まとめtyaiました【称名とは聞名であります】

『浄土真宗 信心』(加茂仰順師)より引用   五 聞名の生活   一 聞法生活は念仏生活であります。称名とは聞名であります。念仏とは聞名であります。だから、聞法生活とは聞

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(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
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