善もほしからず、善根功徳もほしくない、また、悪業煩悩も恐れない。それが、無碍の一道というものであります

『浄土真宗 信心』(加茂仰順師)より引用

  五 聞名の生活

  

 弥陀の本願というのは、お念仏であります。本願と申しますのは、すなわちお念仏が、すなわち阿弥陀仏の本願であります。本願というのは、それはお念仏のいわれであります。お念仏の意味です。だからこの南無阿弥陀仏の意味であります。それが阿弥陀仏の本願というものであります。だから、お念仏、念仏は無碍の一道であります。われら人間の善と悪、そういうものにさまたげられないのであります。私たちの分別でつくりあげたところの信は、『大無量寿経』では、「罪福を信ずる」とおおせられます。仏智の不思議を疑うて、罪福を信ずる、根本のところに疑いをもっています。如来の本願を疑うています。仏智の不思議というのは、如来の本願であります。その仏智の不思議、本願の不思議を疑う。その本願というは絶対というもの。私たちの頭で考えている絶対は相対です。仏さまを絶対者と申します。その仏さまは、絶対というのは無碍ということです。仏法の絶対は障りがありません。絶対の光というものです。十二光のなかでは「無碍光」です。親鸞聖人は、「それがしは、まったく善も欲しからず、また悪も恐れなし」(口伝鈔)とおおせられました。
 善もほしからず、善根功徳もほしくない、また、悪業煩悩も恐れない。それが、無碍の一道というものであります。

(p.43~p.44)


仏智の不思議を疑うて、罪福を信じている分際は、悪業煩悩を恐れ善根功徳を欲します。念仏に往生を任せず、修めた善や称えた念仏の功徳によって往生を願っています。これでは、煩悩が割合静まっている時は「何だかいけそうな気がする~」と安心できても、一度貪瞋痴の三毒が盛んとなれば「こんなことではなぁ」と不安が出てきます。
その疑いが取り除かれて、本願の不思議を信ずる身となれば、後生は弥陀におまかせですから安心です。善も欲しくない、悪も恐れない、どんなに煩悩が激しく燃え盛っても本願力の妨げとはなりません。それが、無碍の一道というものです。この念仏の教えでなければ、私達のような煩悩具足で、善根薄少な、出離の縁のなき者は到底救われようがありません。
この絶対なる本願を信じ念仏して、今度の一大事の報土往生を決定して頂きたいと思います。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。
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まとめtyaiました【善もほしからず、善根功徳もほしくない、また、悪業煩悩も恐れない。それが、無碍の一道というものであります】

『浄土真宗 信心』(加茂仰順師)より引用   五 聞名の生活   二 弥陀の本願というのは、お念仏であります。本願と申しますのは、すなわちお念仏が、すなわち阿弥陀仏の本願

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淳心房&しゃあ

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平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
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