親鸞会は”religion”、会員は”religionism”

新入生の皆さんはこんな話に注意!(6)

にて親鸞会が新入生相手に話す「宗教偏見カット」について書きましたが、その内容についてふと思ったことがありますので報告します。以下、上の記事から少々引用します。

********************
宗教という言葉は、英語の「religion」を翻訳したものです。
「re」とは「recycle」の「re」と同じで「再び」、「ligion」のもとになる語はラテン語で「結び付ける」という意味でした。「religion」とは、再び結びつけるという意味になります。

********************

この説明の中で、「religion」が再び結びつけるという意味なら、親鸞会こそ”religion”です。
では、親鸞会は何と何を結び付けているのか?

********************
神と私を再び結び付けるということです。キリスト教では、人間はエデンの園から追放されたアダムとイブの子孫であると教えられます。その原罪を背負った人間と神を再び結びつける教えがreligionであり、これはキリスト教のことを指すのです。
********************

上記の文章に当てはめれば、

高森会長と私(会員)を再び結び付けるということです。親鸞会では、人間は十悪、五逆、謗法、闡提の者であり、後生は必ず無間地獄に堕ちると教えられます。その罪を背負った人間と高森会長を再び結びつける教えがreligionであり、これは親鸞会のことを指すのです。

となるでしょう。
親鸞会では必ず無間地獄に堕ちるということを後生の一大事とし、後生の一大事を解決するには仏教の真髄を明らかにされた親鸞聖人の教えを聞いて信心決定するしかないと言います。ところが今日、どの寺でも葬式や法事ばかり。説教しても「死んだらお助け」「死んだら仏」「念仏さえ称えていたら死んだら極楽」と仏教を死んでからのことにしてしまっている。正しい親鸞聖人の教えは聞かれない。その中、親鸞聖人の正しい教えを明らかにされているのが高森顕徹先生であるとし、自らもその御教導を仰ぎ、人にもお伝えしている者の集まりが親鸞会だなどと説明しています。
しかし、その教えは会内にいてさえ矛盾を感じます。先日挙げた「一念別時意説」はその典型例です。また、絶対他力ならなぜ自力で求めていかねばならないのかという疑問も生じます。「仏教は聴聞に極まる」「聞く一つで助かる」と言いながら聞いているだけではダメで、教えられたこと(献金、勧誘、無条件服従、日常生活上のよいこと)を実践していかなければ聴聞しているとはいえないと言います。「この御報謝、仏教と関係ないのでは?」と首をかしげる募財が相当あります。極めつけは全ての人が救われる教えだと言いながら、会内で救われている人が皆無同然ということです。宿善の厚い人だけが救われる、忍耐強く求めていける人だけが今生ギリギリ間に合うかどうかという教えで、それについていけない自分は到底助からないのではないかという疑問、不安が常にありました。でも求めるのを止めても後生は必堕無間だからしゃあないといった感じでした。
本当に正しい親鸞聖人の教えなのか、この教えで自分は助かるのか、という疑問が頭をもたげた時、「高森先生は絶対正しい」と高森会長と私を再び結び付けるもの、それが親鸞会でありその構成員(講師部、学徒)なのです。
そうなると、キリスト教の宣教師が民衆に話したと言っている言葉が

********************
「今、皆さんが苦しんでいるのは、神の試練です。あなたの運命は神が作ってお与えになったもの。神を信じて下さい。今は苦しいでしょうが、それに耐えれば神はあなたを天国に連れていって下さいます。逆に運命に背くようなことをすると、神はお怒りになり、更にあなたに苦しい運命を課すことになるでしょう。だから、反乱を起こそうなんてバカな考えは捨てて、神から与えられた運命を受けとめて怒りを治め、仕事に励んで税金を納めて下さい。」
********************

というものですが、これを親鸞会に当てはめてみますと、

「今、皆さんが苦しんでいるのは、弥陀の試練です。あなたの必堕無間という運命はあなた自身が蒔いたタネ。それをこの世も未来も絶対の幸福に救おうというのが弥陀です。弥陀を信じて下さい。今は苦しいでしょうが、それに耐えればやがて必ず、無上仏からのご褒美があることでしょう。逆に苦しみから逃れようとすると、弥陀は悲しみ、更にあなたの無間地獄行きはより確かなものとなるでしょう。必堕無間の一大事から逃れることはできません。だから、退会しようなんてバカな考えは捨てて、弥陀から与えられた試練と受けとめて怒りを治め、活動に励んでお布施を納めて下さい。」

と言い換えられます。一部『元会員から見た浄土真宗親鸞会』他力回向にも平生業成にも反する能登会館落慶祝賀会での高森会長の話を参考にしましたが、よく当てはまっているのではないでしょうか?


『飛雲』『親鸞会教義の誤り』等で指摘されているように、会員は絶対正しいと思っている教義のほとんどが誤りです。そして、会員でも疑問に思うことを押し殺して、高森会長と私(会員)を再び結び付けている”religion”が親鸞会なのです。
そういえば、”religion”の意味を調べてみたところ、似たような言葉として”religionism”という単語がありました。(eプログレッシブ英和中辞典参照)意味は、「1 宗教に凝ること,狂信. 2 信心家ぶること,えせ信仰.」とのことで、まさに親鸞会会員のことですね。篤い高森信者で、真実信心とはほど遠いえせ信仰の持ち主の集まりですから。タイトルに示したように、親鸞会は”religion”、会員は”religionism”であります。こんな団体に属していたことが本当に情けなく感じます。会員さん方も早く気付いて脱出して頂きたいと願って止みません。


それでは、Have yourself a funky Friday!
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード