念仏往生のみちを説くことは第十八の願 なり。

今回扱う『浄土真要鈔』第九段は、先日取り上げた来迎を説くことは、第十九の願にありの続きです。「得生は第十八願の益、来迎は第十九願の益と配当すると聞きましたが、まだ疑問な点があります。諸師の解釈はそうではありません。まず善導大師は所々に来迎について釈され、それらはみな念仏(第十八願)の益のように思えます。どのように心得たらよいでしょうか?」という質問に対し、来迎は念仏の益ではないと答えられています。

【9】問うていはく、経文について、十八・十九の両願をもつて得生と来迎とにわかちあつる義、一流の所談ほぼきこえをはりぬ。ただし解釈についてなほ不審あり。諸師の釈はしばらくこれをさしおく。まづ善導一師の釈において処々に来迎を釈せられたり。これみな念仏の益なりとみえたり。いかがこころうべきや。

 答へていはく、和尚(善導)の解釈に来迎を釈することはしかなり。ただし一往は念仏の益に似たれども、これみな方便なり。実には諸行の益なるべし。そのゆゑは、さきにのぶるがごとく念仏往生のみちを説くことは第十八の願なり。しかるに和尚(善導)、処々に十八の願を引き釈せらるるに、まつたく来迎の義を釈せられず。十九の願に説くところの来迎、もし十八の願の念仏の益なるべきならば、もつとも十八の願を引くところに来迎を釈せらるべし。しかるにその文なし。あきらかにしりぬ、来迎は念仏の益にあらずといふことを。よくよくこれをおもふべし。


「善導大師は来迎について解釈されてはいます。ただし一通り見ると念仏の益に似ていますが、これはみな方便です。実は諸行の益と見るべきです。先に述べたように念仏往生の道は第十八願に説かれています。ところが大師は、所々に第十八願文を引いて解釈されていますが、まったく来迎の意味であると釈されていません。もし第十九願に説かれている来迎が第十八願の念仏の益であるならば、第十八願を引くところに来迎の意味を解釈されるでしょう。ところがそのようなお言葉はありません。このような理由で、来迎は念仏の益ではないということが明らかに知られます。」大雑把に言うとこのようなお答えです。

ここで、親鸞会の皆さんが着目すべきは、

・十八・十九の両願をもつて得生と来迎とにわかちあつる義
・十九の願に説くところの来迎


というところです。親鸞聖人はじめ存覚上人も信心を得たその時に浄土往生を得るのは第十八願の益、諸行往生・臨終来迎は第十九願の益と配当されています。ですから、第十八願によって平生に浄土往生を得ようとしている人に、諸行往生・臨終来迎を誓われた第十九の願を勧められるわけがないでしょう。どこをどう読んでも、親鸞会流「三願転入の教え」は浄土真宗にはないのです。皆さんは高森会長の珍説を聞くのではなく、親鸞聖人や存覚上人から直に学んで下さい。
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(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


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平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
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