願力、名号を聞信して、救いが成就するのでなく、願力、名号の御助けを聞信するのであります。

『浄土真宗 信心』(加茂仰順師)より引用

  六 御成就の法が、名号であります

  

 ここで、今まで申しましたことを、まとめてみますと、次のようになります。
 仏心をそのままいただいたのが信心であり、無疑であります。名号(勅命)をはねのけて、いただかないのが、疑であります。真宗で肝要といわれてある信心は、広大なもので、我等の起し得られないものであります。
 如来の成就された三信が廻向せられた信でありますのに、本願を聞き、名号のいわれを聞いて起す信のように思うところに、いつまで聞いても、信心決定の行者になられないのであります。
 聞くことが大切であり、信心が肝要でありますが、何を聞信するかといえば、御助けを聞くのであります。それを聞くところに御助けが成就し、お救いが仕上がるように思い、聞くことに力を入れ、長いこと聴聞したおかげでついに信心決定したと喜びますが、それは願力のお助け、名号のお助けに、自分の聞いた力を加え、名号のひとりばたらきのお助けでなく、名号、願力に聞信の力を加えて、救いの成就をみとめているのであります。いや、むしろ、名号のはたらきよりも、聞信に強い力をみとめていることになり、名号の御助けは見失われているのであります。
 願力、名号を聞信して、救いが成就するのでなく、願力、名号の御助けを聞信するのであります。
 聞信は肝要でありますが、名号が第一で、聞信は第二であります。成就せられた名号の御助けをいただくのが聞信であります。これが修徳顕現のおこころであります。
 いま述べましたことをまとめて申しておきます。
 仏心は、不顛倒です。
 また、不虚偽です。
  不顛倒とは、法性に依り、二諦に順ずるのです。
  不虚偽とは、衆生を摂してひっきょう浄に入らしむるものです。
 この不顛倒と不虚偽が、真実功徳、つまり名号です。
  この名号を領受したのが信心です。
  つまり、この名号をいただいたのが、信心であります。

(p.56~p.58)



聞いたら御助けではなく、御助けを聞くのです。ここを履き違えていると、聞くところに力を入れてしまって、他力の法を領受できません。真剣に聞いたら、一言一句漏らさず聞いたら、人にそのまま伝えられる位に聞いたら、こういうのは、聞くところに力が入っているのです。オレがオレがの根性が強く、聞信に強い力をみとめているすがたです。私から阿弥陀仏へという自力回向の考えです。
他力回向の救いは、阿弥陀仏から私へという一方通行のお救いです。既に成就している御助けの法を受けるのみです。私の方でプラスαするものは何一つありません。ただただ、御助けを聞くのみです。
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(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
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