ゆっくり読んで反論を考えてね☆

本日、かつての仲間達に送りました。彼らがもし反論もなく、「メールを送ってこないで下さい」と言うのであれば、もはや

「破邪顕正することを使命と致します」

という親鸞学徒聖則は、言行不一致になるので唱和できませんね。





お元気ですか?

あまり一方的にメールしても何なので、一応今回で区切りをつけます。
中にはこの先、一度も連絡を取らずに死に別れる方もあるかも…その時はこのメールが私の遺言と思って下さい☆


始めに、2月7日の御法話は「大雪」で中止となり、テレビ座談会に変更になったと聞きました。死んだら無間地獄へ堕ちる一大事ならば、説く者が法話を中止するのに天候が理由になるでしょうか? 「大雪だから」「交通機関がマヒしているから」テレビ座談会では、生温い聞法姿勢を増長させはしませんか?

「設い大火有りて三千大千世界に充満せんに、要ず当にこれを過ぎてこの経法を聞くべし」(大無量寿経)

「たとひ大千世界に
みてらん火をもすぎゆきて
仏の御名をきくひとは
ながく不退にかなうなり」(浄土和讃)

「火の中を 分けても 法は聞くべきに 雨風雪は もののかずかは」

「仏法には世間の隙を闕きて聞くべし。世間の隙をあけて法を聞くべき様に思う事、浅ましきことなり。」(御一代記聞書)


の御文を引き、「二千畳 満てらん火をも すぎゆきて 親鸞学徒 使命果たさん」と落慶法要で「二千畳での」命懸けの聞法を訴え、皆さんもそれに対して「二千畳での」命懸けの聞法を誓ったはずではなかったですか? あれはテレビ座談会ができた今となってはもう過去の話ですか?

当日のテレビ座談会では、大雪で富山の法話を中止しておいて「仏法には世間の隙を~」のお言葉などを話したそうですが、全くもって説得力がありません。皆さんはどう思いましたか?

800年前、関東の同行は決死の覚悟で京都の親鸞聖人の元へ馳せ参じました。手紙で尋ねるという手段もあったのに、なぜ死を覚悟して京まで行ったのでしょうか? 「たとえ死んでも、往生極楽の道一つ親鸞聖人から直接聞きたい」という気持ちが彼らを動かしたのではありませんか?
そんな同行達の姿を、よく富山へ行く前の日などに、アニメで何十回と見ているはずです。

また赤尾の道宗は、蓮如上人の御法座のお勤めに間に合うため、深夜雪の中を出発し、雪に難儀しながらも参詣を果たして太鼓の音で迎えられました。これを「道宗打ち」と言うと、親鸞会の製作ビデオで何度も見たことがあります。

過去親鸞会では毎週全国各地の法話に加え、海外でも法話がありました。会員は高森会長の元へ命を懸けて参詣し、真剣に聴聞したはずです。

そんな命懸けの聞法は一体どこへ行ってしまったのか? 富山へ行かないなら正本堂、聞法ドメイン、F館は何の為に造られたのか? また、一同に会して聞法できる二千畳への結集にものすごいこだわっていたのは何だったのか? 常時満堂というのは単なる掛け声だったのですか? 会員はもっともっと会長や親鸞会という組織に疑問を持っていいと思います。

教え以前にそういう過去との食い違いが多いことに、ぜひとも気がついてほしいものです。


さて、以前18願・19願・20願の三願の行信因果から「善をしなければ信仰は進みません」という主張の誤りを明らかにしましたが、今回は末灯鈔と口伝鈔のお言葉で示します。

「定散の善は諸行往生の言葉に摂まるなり。この善は他力のなかの自力の善なり。
この自力の行人は、来迎をまたずしては辺地・胎生・懈慢界までも生るべからず。この故に第十九の誓願に、「諸の善をして浄土に廻向して往生せんと願ふ人の臨終には、われ現じて迎へん」と誓いたまへり。臨終をまつことと来迎往生をたのむということは、この定心・散心の行者のいふことなり。」(末灯鈔)


19願の善(定散二善)の結果は化土往生です。定散二善を行ずる者とは、臨終来迎を期待し、来迎がなくば化土へも往生できない者のことです。
親鸞聖人は「定散の善は諸行往生の言葉に摂まるなり」と教えられています。
親鸞聖人のお勧めは念仏往生、報土往生です。結果も化土で、往生できるかどうかも不確実な19願の善は勧められていません。

さらに覚如上人は、
「諸行往生は本願にあらず」(口伝鈔)
と仰っていますから、観経の定散二善を根拠に、会員に諸善を勧める親鸞会は【教義上は】諸行往生であり、非本願です。
現実は違います。間違った教えを説く謗法罪の団体であり、善にもならぬ善を会員に勧めていますから、認められないでしょうが聖道仏教まがいの外道・邪教です。


「浄土宗のなかに真あり仮あり。真といふは選択本願なり、仮といふは定散二善なり。選択本願は浄土真宗なり、定散二善は方便仮門なり。浄土真宗は大乗の中の至極なり。」(末灯鈔)

このように真と仮をはっきりさせて、「仮(自力)を捨てて真(他力)に帰せよ」と親鸞聖人は真仮廃立を徹底されたのです。これ以外に真宗はありませんから、覚如上人は、
「今の真宗においては、専ら自力をすてて他力に帰するをもって宗の極致とする」(改邪鈔)
と仰ったのです。


方便仮門である定散二善は、18願の救いを求める人にとっては捨てものです。

善導大師は阿弥陀仏の本願を、「汝一心正念にして直に来れ…」のお言葉で表されています。
親鸞聖人は愚禿鈔に解説をされていますが、その中で「直」のお言葉を、
「『直』の言は廻に対し迂に対するなり、また『直』の言は方便仮門を捨てて如来の大願他力に帰せんとなり、諸仏出世の直説を顕わさしめんと欲してなり。」
と教えられています。

定散二善は迂回の善です。成仏への遠回りの道であって、横超の直道ではありません。直ちに方便仮門を捨てて、大願他力に帰せよと勧められていることがわかりませんか?


おそらく皆さんの頭には縦と横の線と人の図があって、横の線を進まないと縦の線まで辿り着けないと考えていませんか?
実は、あの黒板の図こそが迷いの根本であり、会長のトリックなのです。聴聞をしたら、お勤めをしたら、善をしたら、縦の線まで近づくように思いませんか? 違うんです。

「一。自力の修善は蓄へ難く、他力の仏智は護念の益をもって蓄へらるる事。
たとひ万行諸善の法財を修し蓄ふといふとも、進道の資糧となるべからず、故は六賊知聞して侵奪するが故に、念仏においては、既に「行者の善にあらず、行者の行にあらず」とら釈せらるれば、凡夫自力の善にあらず、全く弥陀の仏智なるが故に、諸仏護念の益によりて、六賊これを侵すに能はざるが故に、出離の資糧となり、報土の正因となるなり、しるべし。」(口伝鈔)


あの図から言うと、私達がどれだけ親鸞会で推進される活動に励もうとも一歩も黒板の左へは行けないのです。「たとひ万行諸善の法財を修し蓄ふといふとも、進道の資糧となるべからず」ですから。

また、あの図が頭にある限り、救いは未来のこととしか思えず、「只今、必ず救う」という18願に反しているのです。
平生業成とは、只今往生の業事が成弁するということで、18願の救いのことです。それに対して、19願・20願においては往生が定まるのは臨終、つまり未来です。
只今の救いー平生業成ー18願
未来の救いー臨終業成ー19・20願

これらの違いが分かりますか? 平生業成の「平生」とは、人間として生きている間のいつかではなく、「いま」なのですよ。

もう一つ指摘すると、親鸞聖人の教えにおいて、あの図の横の線に該当するものは存在しません。正しく教えを学べば分かります。


このままでは、せっかく親鸞聖人の教えに遇いながら、また空しく流転を重ねて苦しみ続けなければなりませんよ。どうか親鸞会教義の誤りを正見して、悪知識の元から離れ、正意の安心に基づいて報土往生を遂げられる身になって下さい。

今のままで臨終を迎えなければならないとなったらどうするんですか。会長は助けてくれますか? 親鸞会は何とかしてくれますか?

今日死ぬんですよ。今死んでいかねばならないんですよ。皆さんは一体いつまで生きているおつもりですか? 今日消えゆく命なら、一体いつどれだけの善をやって、信仰が進むのですか?



皆さんが親鸞会にとどまる理由は、以下のいずれかではないでしょうか?
・誰が何を言おうと高森先生に間違いがあるはずがない
・今さら自分が何年も一生懸命求めてきたものが間違いであってほしくない
・今までもダメ、今もダメだが、諦めず求めていけば何とかなれると思う
・他に真宗を求めるに適切な所が分からず、「難民」になりかねない
・仕事が親鸞会関係で、転職できるか心配
・恩人が講師や先輩にいて、辞めにくい
・家族、親戚、友人、恋人が熱心で、人間関係を壊したくない
・親鸞会の外部に交友関係が希薄で、孤立したくない
・目的違い(金、恋人、友人…、その他)


他にとどまる理由があれば仰って下さい。


私達を救うことのできる御方は、阿弥陀仏ただ一仏です。その阿弥陀仏が選択本願に誓われたことを誤り、疎かにし、方便願ばかり力を入れて説かれるようでは、助かるものも助かりません。邪説を捨て去り、本願を信じ念仏する衆生に只今させて頂き、如来広大の恩徳を知らされて頂きたいと切に念じています。


今回はこれで終わりたいと思います。ご意見、ご質問がありましたらいつでもお返事下さい。では、くれぐれもお体大切に。

南無阿弥陀仏
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淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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