親鸞聖人の教えを知らない人たちは、あわれです。

親鸞会の会員の多くは、当ブログなどのいわゆる「親鸞会批判サイト」を見ないようにしています。その理由は、

「あのサイトは本願寺や脱会者がやっているサイトで、親鸞聖人の教えについて行けない者たちが出しているから見るにおよばず」

と親鸞会が指図しているからだと、最近ある方とのメールを通して知りました。私が知っていた話は、

「あんなもの(親鸞会批判サイト)を見ると目が腐る」
「誹謗サイト(親鸞会批判サイト)を見ることは謗法罪だ」


というものでしたが、メールのやり取りによって親鸞会では批判サイトの運営者を「親鸞聖人の教えについて行けない者たち」だと思わせ、会員にも徹底させたいことが分かりました。


こうしたことを日々聞かされている会員の皆さんは、親鸞聖人の教えを誤解しています。親鸞聖人の教えとは選択本願念仏のみ教え、それを端的に表されているのが、

他力真実のむねをあかせるもろもろの正教は、本願を信じ念仏を申さば仏に成る、そのほかなにの学問かは往生の要なるべきや。(歎異抄第十二条)
(本願他力の真実の教えを説き明かされている聖教にはすべて、本願を信じて念仏すれば必ず仏になるということが示されています。浄土に往生するために、この他にどのような学問が必要だというのでしょうか。)

のお言葉です。本願を信じ念仏すれば仏になるというのが親鸞聖人の教えで、この他に何か「別の教え」があるのではありません。まして、そういう「別の教え」について行けるもついて行けないもありません。縦と横の線の図、親鸞会的宿善論、親鸞会流「三願転入の教え」など、様々な親鸞会ドグマに冒されていると、「信の一念に至るまでにこのようにしなければならない」といった「別の教え」があるとしか思えないのですが、そんなことは聖人の仰せにはありません。親鸞会流「三願転入の教え」などの「別の教え」を用意され、それに従おうとしている会員の皆さんは、残念ながら阿弥陀仏がどのような者を目当てに本願を建てられたかを知らないのです。

煩悩具足のわれらは、いづれの行にても生死をはなるることあるべからざるを、あはれみたまひて願をおこしたまふ本意、悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、もつとも往生の正因なり。(歎異抄第三条)
(あらゆる煩悩を身にそなえているわたしどもは、どのような修行によっても迷いの世界をのがれることはできません。阿弥陀仏は、それをあわれに思われて本願をおこされたのであり、そのおこころはわたしどものような悪人を救いとって仏にするためなのです。ですから、この本願のはたらきにおまかせする悪人こそ、まさに浄土に往生させていただく因を持つものなのです。)

と仰せのように、煩悩具足の私達はどのような行によっても迷いの世界を出離できない者だとあわれに思われて阿弥陀仏は本願を発されました。言い換えれば、「教えについて行けない者たち」のために本願を発され、他力回向の念仏一つで往生させると誓われたのです。

もし、布施をした者を助けるという本願ならば、貧窮困乏の類は往生の望みを絶たねばなりません。しかも、裕福な人は少なく、貧しい者ははなはだ多いのです。もし、教えをよく学んだ者を助けるという本願ならば、愚鈍下智のものは往生の望みを絶たねばなりません。しかも、智慧勝れた者は少なく、愚痴の者ははなはだ多いのです。もし、沢山教えを聞いた者を助けるという本願ならば、少聞少見の輩は往生の望みを絶たねばなりません。しかも、多く聞く者は少なく、少ししか聞かない者ははなはだ多いのです。もし、戒律を守る者を助けるという本願ならば、破戒無戒の人は往生の望みを絶たねばなりません。しかも、戒律を保つ者は少なく、戒律を保てない者ははなはだ多いのです。その他の行にしても同じことです。
このように諸行をもって本願としたなら、往生できずに落ちこぼれる者がほとんどです。ほとんどの者は、「教えについて行けない者たち」だということです。ですから阿弥陀仏は、全てのものを漏らさず助けるために諸行をもって本願とせず、ただ称名念仏一行をもって本願とされました。そのことが『選択本願念仏集』に詳しく書かれています。

ゆゑに知りぬ、念仏は易きがゆゑに一切に通ず。諸行は難きがゆゑに諸機に通ぜず。
しかればすなはち一切衆生をして平等に往生せしめんがために、難を捨て易を取りて、本願となしたまへるか。もしそれ造像起塔をもつて本願となさば、貧窮困乏の類はさだめて往生の望みを絶たん。しかも富貴のものは少なく、貧賤のものははなはだ多し。もし智慧高才をもつて本願となさば、愚鈍下智のものはさだめて往生の望みを絶たん。しかも智慧のものは少なく、愚痴のものははなはだ多し。
もし多聞多見をもつて本願となさば、少聞少見の輩はさだめて往生の望みを絶たん。しかも多聞のものは少なく、少聞のものははなはだ多し。もし持戒持律をもつて本願となさば、破戒無戒の人はさだめて往生の望みを絶たん。しかも持戒のものは少なく、破戒のものははなはだ多し。自余の諸行これに准じて知るべし。
まさに知るべし、上の諸行等をもつて本願となさば、往生を得るものは少なく、往生せざるものは多からん。しかればすなはち弥陀如来、法蔵比丘の昔平等の慈悲に催されて、あまねく一切を摂せんがために、造像起塔等の諸行をもつて往生の本願となしたまはず。
ただ称名念仏一行をもつてその本願となしたまへり。(本願章)


往生・獲信を目指して19願の善、定散二善、六度万行をせよと勧める親鸞会。諸行をもって本願と教えているも同然です。「親鸞会の求道では、往生の望みを絶つ人が続出だ」とは私を退会に導いてくれた先輩の言ですが、まさにその通りです。これでは、あまねく一切を摂する本願ではありません。親鸞会の教えについて行ける人だけが救われる本願となってしまっています。まぁ、最も親鸞会では19願の善、定散二善、六度万行とは名ばかりの善もどきの善の勧めですが、今回は詳しくは述べません。
私もこれでは助からないと思い、退会しました。今残っている会員さんの多くは、「頑張って求道していればきっとその内いいことあるよ、会長先生も『無上仏は、皆さんがなされたことをよくご存じです。やがて必ず、無上仏からのご褒美があることでしょう。』と仰っているし」などと思い、とにかく続けることが肝要だと考えて、毎日代わり映えのしない求道をして、迫り来る今宵の後生を忘れているのではないでしょうか? もっと横の道を進めば、信仰が進めば、宿善が厚くなれば、などと悠長に構えているとしたら、それは今宵の後生を忘れている証拠です。

なお、親鸞会では我々は逆謗の屍だ、必堕無間の極悪人だとやかましいですが、そんな極悪深重の衆生には定散二善や六度万行等の他の方便はありません。ひとえに弥陀を称せよと教えて下さっています。

・四には、『観経』(意)に、「極重の悪人は、他の方便なし。ただ仏を称念して、極楽に生ずることを得」と。(往生要集)
・極悪深重の衆生は
 他の方便さらになし
 ひとへに弥陀を称してぞ
 浄土にうまるとのべたまふ(高僧和讃)
・極重の悪人はただ仏を称すべし。(正信偈)
・「極重悪人唯称仏」といふは、極重の悪人は他の方便なし、ただ弥陀を称して極楽に生ずることを得よといへる文のこころなり。(正信偈大意)


逆謗の屍、必堕無間の極悪人とは定散二善や六度万行といった他の方便を行ずることができないもの、念仏以外の他の教えについて行けないもののことです。我々はそんな者だと言いながら他の方便を説き与える矛盾。邪義はかならず矛盾を抱えています。会員さんは、それをねじ曲げて真っ直ぐ見ようとしているだけです。そして人生を搾り取られてゆくのです。親鸞聖人の教えを知らない人たちは、あわれです。
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まとめtyaiました【親鸞聖人の教えを知らない人たちは、あわれです。】

親鸞会の会員の多くは、当ブログなどのいわゆる「親鸞会批判サイト」を見ないようにしています。その理由は、「あのサイトは本願寺や脱会者がやっているサイトで、親鸞聖人の教えに...

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No title

いつもブログ拝見させて頂いています。
今年初めになってようやくネットで親鸞会の誤りを知ることができました。
私も長いこと「ネットを見るな」という指示を守って、間違いに気づけずにいました。
「高森先生を悪くいうものなんて見たくない」「私のような求道心のないフラフラしてるものは、悪縁にコロッと騙されるだろうから、近づいてはいけない」と考えていました。
初めてネットで教義の誤りに気付いた(ネットを見た最初のきっかけは本当にささいなもので、見ようと思って見たわけではありませんでした)ときはショックでしたが、すぐに退会の意思を支部長に伝えました。
すると、ある会員さんの話を引き合いにだされて、
一般の方と結婚された会員さんが、ネットを見た結婚相手の方から反対されて、一緒に批判ブログを書いている人と実際に会った。するとブログ主はすごい形相で親鸞会の悪口をならべたて、結婚相手の方も「この人の方が異常ではないか」と思い、その後反対することはなくなった、というものでした。
「高森先生憎し」の思いで書かれたブログばかりで、そんなものばかり読んでると同じ気持ちになるからもう読まない方がいい、とか(「無限界裡の覚醒」を読めといってきたときには吹き出すのをこらえるのに必死でしたが)いろいろ言って引き止めるのに必死、という感じでした。
そんなことより堂々と法論さえしてくれれば、と思ったのですが、勝ち目のない争いはできないんですね。本当に、見切りをつけることができてよかったです。
批判ブログ主の皆様には本当に感謝しています。ありがとうございます。

>はじめまして様

コメントを頂き、ありがとうございます(^-^)
教義の誤りに気づいて退会されて本当によかったです。

仰るように、教義が正しいのなら法論を受ければいいのです。そして批判を正確に受け止め、根拠をもってその批判を破ればいいだけの話です。そうすれば「さすが親鸞会」と会員さんも自信をもつことでしょう。ところが法論の申し込みまでされているのに、それを受けないということは、勝ち目のない戦だと分かっているからです。
しかし、これは明らかに公約違反ですから、現状の沈黙は約束の一つも守れない団体が親鸞会だと世に知らしめているようなものです。法論を受けなくても受けても苦しい状況ですね。こういうのを自縄自縛とか、自因自果、身から出た錆というのでしょう。因果の道理を体を張って教えて下さっています(笑)

はじめましてさんのように見切りをつけられる人がもっとおられたらよいのですが、人それぞれ思い入れや事情が違いますから、こればかりはまことに宿善まかせです。ですが、早く邪義を離れて真実信心に基づいて下さる方が多く現れないかという気持ちは止みません。

No title

>一般の方と結婚された会員さんが、ネットを見た結婚相手の方から反対されて、一緒に批判ブログを書いている人と実際に会った。するとブログ主はすごい形相で親鸞会の悪口をならべたて、結婚相手の方も「この人の方が異常ではないか」と思い、その後反対することはなくなった、というものでした。


事実をかなり歪曲されてますね。
教義論争になって、会員が何も言い返せずに、その悔しさを「親鸞会の悪口」にすり替えただけでしょう。

>歪曲様

事実のほどはわかりませんが、私もそんな気がいたします。
親鸞会では事実の歪曲、教義の歪曲は朝飯前です。会員さんの頭には「いい親鸞会」「きれいな親鸞会」を植えつけたいのでしょうね。

No title

お返事ありがとうございます。

>仰るように、教義が正しいのなら法論を受ければいいのです。そして批判を正確に受け止め、根拠をもってその批判を破ればいいだけの話です。そうすれば「さすが親鸞会」と会員さんも自信をもつことでしょう。

本当にその通りだと思います。批判サイトで親鸞会の裏側を色々と目にし、末端会員であった自分は知らないことばかりで何もかもがいちいち衝撃でしたが、辞めようと思った一番の理由は「批判サイトの主張を間違いだとはっきりさせてほしいと頼んだ特専部員の除名」でした。自分の先輩や同期にも高森先生のお役に立ちたい、と特専部にすすんだ人が何名もおり、私から見たら「仏縁深い」人たちであったその特専部員の切なる願いを切り捨てたこと、それだけでもじゅうぶん「教えに自信がない」ことがわかりました。

あと、「批判サイト主と直接会った会員さんの話」ですが、
支部長と会う前に担当の会員さんからも同じ話を聞きました。ネット対策用の逸話としてよく使うのでしょうね。歪曲様の言われている通り、事実を捻じ曲げているか、もし事実だとしても、100あるうちの1の例を、ほかの99を隠して発表しているだけの「いつもの」手段だと思います。「一度やめても、真実の杭が抜けなくてまた戻ってきた」みたいな……。そんな「大本営発表」をもう信じることはできなくなっていたので、この話にも退会の意思が揺るがずにすみました。
目が覚めてしまえば、あっという間ですね。私も友人や先輩後輩がまだ会員で心が痛みますが、早く夢から覚めてほしいと願ってやみません。

>はじめまして様

私も末端会員でしたので、一々が衝撃で一週間ばかりろくに眠れませんでした。

http://sayonara1929.txt-nifty.com/blog/2009/09/post-8e16.html
投稿:ある特専部員の除名の真相(前編)
http://sayonara1929.txt-nifty.com/blog/2009/09/post-a65a.html
投稿:ある特専部員の除名の真相(後編)

私も読みました。ひどい話だと思いました。退会にぐっと心が傾きましたね。


>「批判サイト主と直接会った会員さんの話」ですが、
支部長と会う前に担当の会員さんからも同じ話を聞きました。

→退会を防ぐための話としてマニュアル化されているのかも知れませんね。

一度誤りを誤りと知って、今までの疑問が一本の線につながると早いです。お互いの友人・知人が早く教義の誤りを正見し、真実信心に基づくよう念じます。

信心

人の事をいろいろ言うのはやめましょう、信心を得ているのか、いないのか
本人が一番良く知っているのはないでしょうか、縁があれば往生の善知識に逢い
十地十迴向の他力の業成就して弥陀の浄土に往生することでしょう。
多くの迴向を物心として凡夫に授けられるとき信心と言う。

No title

往生の善知識に逢える人は幸せですが、必堕の悪知識を往生の善知識と騙されている人は、大変不幸です。

必堕の悪知識とは、もちろん親鸞聖人の教えられたことと真逆のことを教える高森会長とその取り巻きのことです。

コメント返信

輝 様

個人的な恥事・悪事を細かく指摘するようなことは避けるつもりですが、善知識に遇うことを邪魔する団体の本性を分かって頂くためには、プライバシーなどに配慮しながらもあれこれ言うことはあります。ただ、悪事の数々の指摘は当ブログ以外で多数取り扱われていますので、当ブログでは従来通り主にその団体の教義の誤りについて書いていく予定でいます。


必堕の悪知識 様

仰る通りです。このまま悪知識の元にいたら危うく今生も空しく過ぎてしまいます。そんな大変不幸な人を一人でも減らしたいところです。

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プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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