親鸞聖人がご門弟の方々に勧められた『唯信鈔』に、三願転入の教えはない(3)

親鸞聖人がご門弟の方々に勧められた『唯信鈔』に、三願転入の教えはない(2)

の続きです。

諸仏・菩薩の結縁は、随心供仏のあしたを期すべし、大小経典の義理は、百法明門のゆふべをまつべし。一土をねがひ一仏を念ずるほかは、その用あるべからずといふなり。念仏の門に入りながら、なほ余行をかねたる人は、そのこころをたづぬるに、おのおの本業を執じてすてがたくおもふなり。

諸仏や菩薩とのご縁を結ぶことは、浄土に往生して心のままに供養できるようになる暁に期待すべきです。大乗・小乗の経典に書かれている意味を知ることは、やはり往生し成仏して、あらゆる法門を明瞭に通達した智慧を得るまで待つべきです。私が往生し成仏するのに、阿弥陀仏の浄土一つを願い、阿弥陀仏一仏を念ずるほかは、何も用はないと教えられています。念仏の教えに帰依しながら、それでも他の行を兼ねてやろうとする人は、その心をたずねてみると、それぞれがそれまでずっと修めてきた行業を執心して捨てられないのです。

ここで比較するのもおこがましいかも知れないこと、断わっておきます。親鸞会の活動など、本来の仏教の修行に比べたらその苛烈さは求道ごっこでしかありません。しかも、やっていることは善、行とは言えぬ代物ばかりです。しかし、活動している会員さん達としては真剣です。中には過労で幾度となく倒れたという人もあるのですから、人生の大きな部分をかけて取り組んでいる人もあるでしょう。
どんな気持ちで、どんな覚悟で、どの位活動してきたか、現在どの位活動しているかは人それぞれですが、会員さん方は、聞法や勤行、勧誘活動や献金、日常生活の善行などをしていくことを、横の線を進んで縦の線(信心獲得、弥陀の救い)へ至る手段としてとらえています。

自力回向的考えの親鸞会

でも書きましたが、そうやって時間、体力、お金を親鸞会のために使っていくほど、自力の執着心は強くなります。それまでずっとやってきた活動に執心して捨てがたくなっていきます。「今までしてきたことが無駄であったと思えない、思いたくない」から会を離れない、という人もあるでしょう。余行(もどき)を兼ねている会員は、余行(もどき)を勧められているからとも言えますが、その根底にある、今までやってきたこと・聞いて覚えてきたことに執着する自力の心から離れられないから、一土をねがい一仏を念ずることができないでいるのです。


さて、続けて『唯信鈔』では雑修の人の別の心境を書かれています。なお、ここは法華一乗の教えを保つ人、真言三密の教えを行ずる人について言われていることですが、その心境は浄土を願う者にとって無関係というわけではありません。

あるいは一乗をたもち三密を行ずる人、おのおのその行を回向して浄土をねがはんとおもふこころをあらためず、念仏にならべてこれをつとむるに、なにのとがかあらんとおもふなり。ただちに本願に順ぜる易行の念仏をつとめずして、なほ本願にえらばれし諸行をならべんことのよしなきなり。これによりて善導和尚ののたまはく(礼讃)、「専を捨てて雑におもむくものは、千のなかに一人も生れず、もし専修のものは、百に百ながら生れ、千に千ながら生る」(意)といへり。

それらの人々は、それぞれそれらの行を回向して浄土を願おうと思う心を改めず、念仏に平行してそれらの修行をするのに、何の咎があろうかと思っているのです。レベルをぐっと落として親鸞会会員に当てはめれば、19願の行を修めて救いに近づこう(宿善を厚くしよう、横の道を進もう)と思う心を改めず、念仏に平行して善(という名の献金や勧誘)をするのに、何の咎があろうかと思っているのです。いや、咎どころか、逆にそうした行いをしなければ18願の救いに遇えないと信じ込まされているのです。このように雑行雑修を勧める親鸞会の咎は、いかほどのものでしょうか?
直ちに本願に選ばれた易行の念仏をつとめず、なお本願に選び捨てられた諸行を並べることの意味はないのです。ですから、善導大師は『往生礼讃』(意訳)にて、「専修念仏を捨てて雑行雑修におもむくものは、千人の中に一人も(浄土に)生まれることはない。もし専修念仏のものは、百人いたら百人とも(浄土に)生まれ、千人いたら千人とも(浄土に)生まれる」といわれました。
それにも拘らず、18願だけではダメだと言って19願の行、専修念仏ではなく雑行雑修を勧める親鸞会は、完全に会員の往生・獲信を妨げています。会員がいつまでたっても信心獲得の身になれないのは、専修念仏を捨てて雑行雑修におもむいているからです。これが如実に雑行雑修を修めているならまだしも、やっているのは善とは名ばかりの行いばかりです。更には、浄土往生ではなく獲信時にあるという驚天動地の体験をすべく、さとりの完成ではなく『絶対の幸福』なるこの世の幸福を手に入れるべく活動しているようです。行も間違いなら、心がけも間違っているわけです。こんな体たらくで、会員はその教えを正しい親鸞聖人の教えだと思い、唯一絶対にして真実の宗教、全人類の救われるたった一本の道だと信じているわけですから、まさに漫画ですよね。会から離れ、外から眺めてみると、如何に滑稽な団体であったかがよく分かります。篤い高森信者の方々も、早く気づかれるとよいのですが・・・。(つづく)
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード