まちがいない如来の信楽が至りとどいて、まちがいない信楽にしていただくのである。

『浄土真宗 信心』(加茂仰順師)より引用

  七 および声ばかりなり

  

 人生を深く生きる。深く人生を愛する。
 人生の最高は、どこに行ったというのではなくて、どういう旅をしたかということである。
  「死ぬべき身が、今日生きてあるは、ありがたし」
 これは釈尊のお言葉である。
  明日もまた、とくおきいでて称えばや
  窓には明るき ありあけの月。

  二

 如来の必ず助けるぞを聞いて出来た決定の信。光によって見るように、眼が出来たことである。これはまちがいである。
 お助け下さることに一点の疑いのない信楽がそのまま私の信楽である。光によって光を見せてもらうことである。『執持鈔』の本願名号正定業は、このいわれである。
 まちがいない如来の信楽が至りとどいて、まちがいない信楽にしていただくのである。これが本当である。


(p.61~p.62)


信心決定というと、何か私の心に確固たる信念のようなものが出来上がるように思う方があるかも知れません。あるいは、盲者開眼の一刹那よりも驚き立つ驚天動地の体験だと聞かされ、何かものすごい体験をしたことが信心を頂いたことだと思う方があるかも知れません。または、信心決定するまでに自分はまだまだだとか、これから長い求道をして信心が獲られるのだろうと想像している方もあるでしょう。それらはまちがいです。
本願の名号、すなわち「必ず助ける」弥陀の仰せを聞いて疑いないのを信心決定といいます。「助けるぞ」を「助けるぞ」とそのまま聞くのが信心です。確固たる心のすわりのようなものを求めるでもなく、ものすごい体験を期待するでもなく、信心決定までにはまだまだ遠いとか相当苦労するのではなどと先入観を持つのでもなく、直に如来のお助けを聞いて頂きたいと思います。
何のための五劫思惟だと思いますか? 何のための兆載永劫のご修行だと思いますか? 私ごときがこの50年乃至100年必死こいて求道したところで、仏様からしたらいつまでも「まだまだ」です。往生成仏に関して、私のやることなすことは何の役にも立ちません。それを見越して阿弥陀仏が名号を成就され、私に廻向して下さるのです。五劫思惟、兆載永劫のご修行は、ひとえに私一人助けんがためです。
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No title

>お助け下さることに一点の疑いのない信楽がそのまま私の信楽である。

これが親鸞会の者にはわからない。仏辺を仰ぐところにしか信はないわな。しかし、如来の願心が正しく説かれていない親鸞会では、南無阿弥陀仏を聞きようがないのだから仕方ない。「あはれ、あはれ」とはこの心よ。宿善有り難し。

しかし加茂和上の御言葉は感動的ですよね、まったく。

南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏

>黒猫様

おそらく分からないでしょうね。会員は早く親鸞会教義から抜け出さないと、不信のまますぐに後生です。

加茂和上はよくもこのような文章を書いて下されたものだと、文字を打っていて感じます。
プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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