真実の宗教は、絶対者の生命が相対者に全与されて、相対の私が絶対化されるものである

『浄土真宗 信心』(加茂仰順師)より引用

  七 および声ばかりなり

  

 平生とは、いつでも、どこでも、この「よび声」の聞えたのが聞である。名号のいわれを聞いて信ずるのではない。それなら聞いた功をみとめることになる。こんな高大ないわれならまかすという聞き方ではない。それなら聞き耳を立てて聞くことになる。
 逃げておる私をお助け下さる法である。その呼び声の聞えたのがお助けにあづかったのである。お助けに助けられたのである。忘れてよい。おぼえる必要はない。しかし眠っていれば聞えない。
 真実の宗教は、絶対者の生命が相対者に全与されて、相対の私が絶対化されるものである。「超世無上に摂取し、選択五劫思惟して、光明寿命の誓願を、大悲の本としたまへり」(正像末和讃)と仰せられるのは、このこころである。


(p.66)
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

>秘密コメント様

確かに、私もお会いしたことがありませんからね。よく、お釈迦様は実在の人物だから信じられるが、阿弥陀仏は信じられない、という人もあるようです。

法身はいろもなし、かたちもましまさず。しかれば、こころもおよばれず、ことばもたえたり。この一如よりかたちをあらはして、方便法身と申す御すがたをしめして、法蔵比丘となのりたまひて、不可思議の大誓願をおこしてあらはれたまふ御かたちをば、世親菩薩(天親)は「尽十方無碍光如来」となづけたてまつりたまへり。この如来を報身と申す、誓願の業因に報ひたまへるゆゑに報身如来と申すなり。報と申すはたねにむくひたるなり。この報身より応・化等の無量無数の身をあらはして、微塵世界に無碍の智慧光を放たしめたまふゆゑに尽十方無碍光仏と申すひかりにて、かたちもましまさず、いろもましまさず。無明の闇をはらひ、悪業にさへられず、このゆゑに無碍光と申すなり。無碍はさはりなしと申す。しかれば阿弥陀仏は光明なり、光明は智慧のかたちなりとしるべし。 (唯信鈔文意)

などを、よくよくお読み下さればと思います。
プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード