真剣に聞けば、疑いがなくなるというのではない。疑いのない法が聞えたのである。

『浄土真宗 信心』(加茂仰順師)より引用

  七 および声ばかりなり

  

 真剣に聞けば、疑いがなくなるというのではない。疑いのない法が聞えたのである。
 必ず私を助けて下さる法を聞かせてもらうのである。まちがいないを聞いて、まちがいないとなったのではない。まちがいないことの聞えたのである。これが安心である。
 聞は、聞いて救われるための聞ではない。そのはたらく名号を聞く。それが聞えたのが如実の聞である。この救わんとして、止むことのないお慈悲の呼び声が聞えたのが如実の聞である。この聞のところに出る念仏、それが称名である。
 それが如来に救われ、往生する身になさしめられたのである。


(p.67)



勿論、法のお話をちゃんと聞かせて頂く、真剣に聞かせて頂くということは大事です。せっかく御法座参りしながら寝てしまうならば、最初から家で寝ていればいいのです。まぁ説法中寝てしまう方も、阿弥陀仏の「何としても助ける」絶大な願力に背中を押されてお参りしているのでしょうが・・・。
ですが、名号願力のお助けに自分の聞いた力を加えて、疑いがなくなる、救いが完成する、というのではありません。どうしても自分の熱心な聞法、真剣な聴聞ということに強い力を認めてしまいがちなのが私達です。真剣に長いこと聴聞を続けてきたから疑いがなくなって、お救いにあずかるというのではありません。疑いのない法、まちがいない願力、「助けるぞよ」の仰せが聞えたのです。

私 → 阿弥陀仏

ではなく、

阿弥陀仏 → 私

という一方的なはたらきを聞き受けたのです。私が長いこと真剣に聞いたから救われるのではなく、まったく名号願力のひとりばたらきによって救われるのです。救われるにはどうすればよいか、もっと真剣に聞けばよいか、もっと聴聞を続けるしかないか、などの思いは湧き上がってくるものですが、弥陀に救われるに「たら」「れば」はありません。方法論はありません。阿弥陀仏の一方的なお助けを受けるのみです。
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淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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