信心を頂こうと思うて聞くのではない。こちらに問題を持って聞くのではない。ただお助けの声を聞くのです。

『浄土真宗 信心』(加茂仰順師)より引用

  七 および声ばかりなり

  

  1

 この土で往生の資格をうる。
 『一念多念文意』には正定聚の位に定まるを往生であるとされる。名号の真因を得たものが資格を得る。その真因は、聞信の一念に獲得し、往生は決定するから、往生の言葉を現益に用いられてある。

  2

 ここに来て、喚びづめにしてあるのが弥陀である。仏からいえば、いつもここへ来て、救いにかかりはてて下さる仏である。私をお助け下さるお助けの声を聞けである。

  3

 信心を頂こうと思うて聞くのではない。こちらに問題を持って聞くのではない。ただお助けの声を聞くのです。如来の修徳顕現の救いが、名声超十方と私に直入し、私の一切の心行が否定せられた聞である。ゆるされて聞き、信じて聞くのである。


(p.70~p.71)


信心正因称名報恩だからといって、称名は信後報謝に限ると念仏を軽視してはなりません。念仏(南無阿弥陀仏)を疑いなく聞き受けたのが信心ですから、念仏と信心は二つであって一つ、一つであって二つです。念仏の他に信心があるというのではありません。
ここを誤ると、念仏を軽視、あるいは無視して「信心」なるものを追い求め、その「信心」を獲るには善をせよなどという邪義に惑わされたりしてしまいます。獲信に我々の善悪は無関係です。ただ弥陀のお助けの声を聞くのみです。聞くのが即ち信なのです。

信の一念・行の一念ふたつなれども、信をはなれたる行もなし、行の一念をはなれたる信の一念もなし。そのゆゑは、行と申すは、本願の名号をひとこゑとなへて往生すと申すことをききて、ひとこゑをもとなへ、もしは十念をもせんは行なり。この御ちかひをききて、疑ふこころのすこしもなきを信の一念と申せば、信と行とふたつときけども、行をひとこゑするとききて疑はねば、行をはなれたる信はなしとききて候ふ。また、信はなれたる行なしとおぼしめすべし。これみな弥陀の御ちかひと申すことをこころうべし。行と信とは御ちかひを申すなり。(親鸞聖人御消息)

機に生れつきたる善悪のふたつ、報土往生の得ともならず失ともならざる条勿論なり。(口伝鈔)
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淳心房&しゃあ

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(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
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(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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