阿弥陀さまが、先に、はや、こしらえておって下さる極楽へ生れさせてもろうて、仏のさとりを得させてもらうことができるのであります

『浄土真宗 信心』(加茂仰順師)より引用

  八 信心をいただく

  

 自分の死後は、魂はどうなるか。死後に魂が不滅ということは分っていますが、その魂は、死後どんな生活をするか。それが分らないと、安心して死なれないように思います。

  二

 心のゆくところには、必ず体が出来ます。その体の住いする境界が出来ます。それは、前の生に作った業の力であらわれます。
 多くの人が、人間の間だけは肉体があって、死んでからは、魂だけが、ころりと、あるように思うが、これはまちがいです。やはり未来でも、体と境遇とは、それぞれの業に応じて出来るので、魂と体は離れません。

  三

 だから、この人間にいる間に、餓鬼の業を作ったとすれば、未来は餓鬼の境遇に生れます。畜生の業を作ったとすれば、未来は畜生の体を受け、畜生の境遇に生れます。地獄の業をつくれば、地獄の罪人の体になって、地獄に生れるのです。

  四

 善因、善果、悪因苦果の道理は、自明の理であって、因果の道理として、自然にそうならねばならぬことになっています。それを、ありのままに説かれたのが、仏教です。しかし、それを知る者は誰もいない。迷いの凡夫は知る筈がありません。
 ただ仏様が知っていられるのです。
 そうすると、我々は、こういう因果の道理の中で、どこへゆくのでありましょうか。善い方へゆくか。悪い方へゆくかと云うことを考えねばなりません。そうしますと、我々の日暮しの上からは、どうしても、悪い方へ行くほかはありません。

  五

 ところが信心を頂きますと、今度は、まことに結構なことになります。このことは、我々の業でこしらえるのではありません。
 阿弥陀さまが、先に、はや、こしらえておって下さる極楽へ生れさせてもろうて、仏のさとりを得させてもらうことができるのであります。


(p.73~p.75)


我々の日暮しの上からは、どうしても、後生は悪い方へ行くほかはありません。
ところが信心を頂きますと、この信心は我々の業でこしらえたものではありませんので、我々の業がどうであろうと浄土へ生まれさせてもらい、仏のさとりを得させてもらうことができるのです。

因果の道理を諦観して、日常生活の良くない所は正し、より良い生活になるようにと努力することは大切なことです。しかし、阿弥陀仏の救いを善悪因果の道理で捉えてはなりません。そうすると、修善が救われる縁となるだとか、それが19願、20願の道だとか、第18願の教法を疑い謗ることになるのです。つまり、我々の善が何らかの形で救いと関係あると言っているのです。勿論そんなことはなく、我々が往生成仏するのは全て阿弥陀仏の願力によるものです。弥陀の救いにおいて大事なのは、善をせよではなく、本願を信じ念仏して往生を願えということであります。
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(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
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