弥陀のお助けとは、迷いの衆生を、一足飛びに、仏にして下さることであります

『浄土真宗 信心』(加茂仰順師)より引用

  九 および声を、聞く

  

 お助けというのは、弥陀のお力にあることです。だから、凡夫から助かるか、助かるまいかと、計らうことではありません。
 それならば、お助けとは、何を、心得ることでありましょうか。『御文章』や『御一代記聞書』のお示しによって、見ますと、助けるとは、我々を弥陀と同じ仏にして下さることであります。
 弥陀のお助けとは、迷いの衆生を、一足飛びに、仏にして下さることであります。
 曇鸞さまは、我々が仏になることを、早作仏と仰せられました。仏になるとは、三祇百大劫の修行をしなければなりませんのに、ただの「信の一念」で、仏になるのですから、早作仏であります。
 つまり、「にわか仏」にならしてもらうのであります。まことに、我々は、煩悩に満ちた凡夫で、病気しましても、薬を頂いて、生きていたいと思いまして、別に浄土参りを急ぐわけでもありません。我々が死ぬまでは、三毒の煩悩の凡夫でありますのに、死ぬなり、仏になるとは、まことに、にわか仏であります。仏らしいことが少しもないのに、すぐさま仏になるのですから、にわか仏であります。
 これが、弥陀の助け方であります。命ながらえて、この世におれば、正定聚不退転の位につき、命終れば必らず滅度に至る。
 つまり、これが二益法門といわれるところであります。


(p.84~p.85)


往生ほどの一大事は、私の方で助かるか助かるまいかと計らうことではありません。既に弥陀が計らい、発願し、救いの法を成就して私を喚んでおられるのです。ぐずぐずと遅慮せずに聞思あるのみです。
「にわか仏」と申しましても、いわゆる「にわか仕込み」という言葉にあるような即席・不完全な仏というわけではありません。弥陀と同じ無量寿・無量光の仏にして頂くのです。それが一念の早業で完成し、信心を頂いたその時から仏に成ることが定まってしまうのです。何というお力。恐れ入りすぎて凡夫には理解不能なのも当然すぎるほど当然です。不可思議尊を帰命せよとはこのことです。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。
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(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
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