弥陀の廻向の信心で、不退の位になるということも、信の一念に往生定まるということも、願成就文によって第十八願のお心が、わからしてもらえるのであります。

『浄土真宗 信心』(加茂仰順師)より引用

  九 および声を、聞く

  

 願力によって、助けて下さることに、お順いすることであります。これを、蓮如さまは、「何のやうもなく、弥陀をたのむ」と仰せられたのであります。
 このままで、「つれていって下さる」とは、ありがたいことであると、順うたのが、何のやうもなく、弥陀をたのむのであります。これが、南無阿弥陀仏が、貰われたことであります。これが、聞其名号信心歓喜の一念に、住不退転の位に入り、死すれば、直ちに、仏となるのであります。まことに、比べもののない横超の本願であります。弥陀の本願がうけとれたのであります。弥陀の廻向がうけとれたのであります。
 我々凡夫を喚びかけて、諸有衆生と仰せられました。その衆生が、名号のいわれを聞いて、信心歓喜乃至一念の時、住不退転の位に入るのであります。これが横超のすがたであります。

  七

 聞其名号とは、まず、聞けと仰せられるのです。そして、信心歓喜であります。そして、「至心に廻向したまへり」と仰せられて、我々の信心は自分で作る信心ではない。弥陀のお与えのものであると、しらしてもらうのです。そして、「不退転の位」になるということです。「即ち往生を得て、不退転に住す」とあります。そして、「乃至一念せん、至心に廻向したまへり。彼国に生れんと願ずれば」とあって、すぐ後に、「即ち往生を得て、不退転に住す」とあります。龍樹さまは、「即時入必定」と申されて、「即得」とは、即時に定まることでありますからして、一念往生ということが、よくわからせてもらえます。覚如さまは、「信心歓喜乃至一念をもて、他力の安心とおぼしめさるるゆへなり」と、仰せられたのです。
 弥陀の廻向の信心で、不退の位になるということも、信の一念に往生定まるということも、願成就文によって第十八願のお心が、わからしてもらえるのであります。つまり、聞くことの大切なことも、廻向も、一念往生も、住不退転も、分らせてもらえるのであります。


(p.90~p.92)
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淳心房&しゃあ

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(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
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