往生のためには善は不要、生活のためには善は必要

弥陀の救いに関し、私の方でプラスαするものは何もありません。私の方からは何もすることはなく、ただただ、阿弥陀仏にお任せするばかりです。まことに、末代無智で造悪不善な私に相応した弥陀の本願であります。こうでなくてはとても助かる私ではありません。
我々に生まれつきある善悪は、浄土に生れる種でもありませんし、往生のためにはそのプラスにもマイナスにもなりません。ただ、「弥陀の大願業力によってのみ往生する」と弥陀の仏智をたのむことこそ、往生の正因なのです。

・善も極楽に生るるたねにならざれば、往生のためにはその要なし、悪もまたさきのごとし。しかればただ機〔の〕生得の善悪なり。かの土ののぞみ、他力に帰せずはおもひたえたり。これによりて「善悪凡夫の生るるは大願業力ぞ」と釈したまふなり。(執持鈔)
・機に生れつきたる善悪のふたつ、報土往生の得ともならず失ともならざる条勿論なり。さればこの善悪の機のうへにたもつところの弥陀の仏智をつのりとせんよりほかは、凡夫いかでか往生の得分あるべきや。(口伝鈔)


ところが、このように申しますと、例えば聞法善を積みなさいとは、阿弥陀仏もお釈迦さまも勧められていませんのコメント欄の「アロー」さんのように、

・>そして聞法善は「微塵の善もできない、聞く心さえもない私」 と知らされる役に立ちます。
役立つと言ってしまうと自力が間に合うことになりますよね。
聞法善とは、あくまで救われる縁でしかないというのが私の立場です。

・因と縁とを混同されているようですが、役立つというのは、因になる(自分の行為が足しになる)ということです。
私は、縁(阿弥陀仏とのつながり) の意味でしか言っていません。
救われる縁という表現は、他の意味と混乱するようなので、「救われるのによい縁」と訂正しておきましょう。


などという詭弁を使う人がいます。親鸞会会員はたいがいこの考えです。既にコメント欄で指摘されていますが、往生・獲信のためには「救われるのによい縁」となる善が必要、善をしなければ「救われるのによい縁」となるものがない、あるいは足りないために往生・獲信はできない、と言っているのと同じですから、上の覚如上人のお言葉と真っ向から反するわけです。これで浄土真宗とか、本当の親鸞聖人のみ教えとか言っているわけですから、漫才もいい所ですね。

すると今度は、

仏教の根幹は因果の道理。その結論は廃悪修善。善を不要などと言う者は仏教を破壊している。

などと言ってきそうですが、そんなことは承元の法難がなぜ起こったかをよく勉強してからにしてもらいたいと思います。親鸞会会員はごく限られた善知識方のお言葉の一部を知っているに過ぎず、しかも多くが本来の意味とは正反対の意味で刷り込まれているために、聖道諸宗が法然聖人を非難したのと同様の理由で親鸞会批判者を非難していることを知らないのです。あくまでも往生・獲信のためには善は不要ということで、生活のためには善は必要です。それを「善をしなければ信仰は進みません」などと、善を往生・獲信と関係づけて教えていることを誤りだと指摘しているのです。

信前は勿論ですが、信心を頂いた後の生活は、善も何もすることはないというのではありません。在家の者は、よほどの金持ちは別としてそれまで通りきっちり仕事をしなくては、食べていけませんし家族を養ってもいけません。食べたいだけ食べ、飲みたいだけ飲み、眠りたいだけ眠れたらよいですがそうはいきません。救いには関係ないとやりたい放題やりちらかしていたら、それこそ破綻あるのみです。

こと往生・成仏においては「助けるぞよ」の勅命をそのまま受け入れて弥陀に後生をお任せし、一方生活においては悪を慎み善に向かう姿勢が大切です。なお、ここでの善とは、仏教で言うさとりを開くための行ではなく、日常生活における道徳的・倫理的に善いとされる行いのことです。

弥陀の救いは、いわゆる廃悪修善を行っていった先の救いではありません。只今のお救いです。廃悪修善は無関係です。一方、弥陀は我々の生活まで全て面倒を見て下さるわけではありません。生活の方は、信前信後で別段変わるところはほとんど見られません。信心を頂いたら絶対の幸福、日本晴れの明るい心で、心ゆくまで人生の醍醐味を満喫できるなどと夢見ていたなら大間違いです。信後も相変わらず金は自分で稼ぎ、生活リズムは自分で整え、性格で悪い所は自分で直し、周囲の環境は自分で改善していかなければなりません。聞法の機縁さえ、自分で作らなければ聞ける法も聞けないのです。

往生についてと生活についてを混同してはなりません。往生についてを生活についてもと間違えると、煩悩のままに振舞う怠惰な者に堕落してしまいますし、生活についてを往生についてもと間違えると、善い行いも雑行と嫌われ本願にお任せすることができなくなってしまいます。間違いやすいところであり、中には故意に混同して教える高森会長的な者もありますので、ここは本当に注意が必要です。
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淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
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(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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