「あながち間違っていない」というのが大問題

『仏説譬喩経』には”無常の虎の譬え”は説かれていない

には、『仏説譬喩経』に説かれている例え話が、高森会長が大沼法竜師の著作を剽窃した『会報』の話と比較して紹介されています。親鸞会でよく話される「人間の実相」の”無常の虎の譬え”は、ここでは

「黒白二鼠の譬え」

と言われております。黒と白の鼠、蜂蜜は同じですが、親鸞会の話との相違点を大まかにいうと、

・無常の虎ではなく悪ゾウ
・断崖絶壁・深海ではなく古井戸
・藤蔓ではなく木の根
・三匹の毒龍ではなく一匹の毒龍と四匹の毒蛇
・野火(親鸞会の話には出てこない)


となっています。『仏説譬喩経』原文に沿った話という点では、親鸞会の話は大分異なっております。


ところで先日、友人から

黒白二鼠の譬

というサイトを教えてもらいました。例え話と関係ある部分を紹介しますと、

一人の男が、断崖絶壁の上に一本の立木がありまして、それにまきついております藤のツルにぶら下がっております。そうして断崖の上のほうを見ますと、恐ろしい虎が上から覗いておる。恐らく、虎に追いかけられて逃げ場を失いました男が、断崖絶壁に下がっている藤ヅルが見えましたのでそれにぶら下がって逃れようとしたのですが、下をフッと見ますと水辺で、そのところにはワニが大きな口を開けまして上から落ちてくるのを待っているのでございます。そして四方を見ますと、大きな毒蛇(又は、龍)が四匹おりまして、舌なめずりをして、いつでも「喰ってやろう」と狙っております。そうこうしておりまして気が付きますと、木の枝のところに蜂の巣がありまして、風と男の重さで木が揺れるわけですから蜂がビックリしまして出てまいりましてそのぶら下がっている男の顔の前をグルグルグルグルと舞うわけです。いつ刺されるやら分からんというような状況であります。その上、よくよく見ますとその藤ヅルの根本を、白と黒との鼠が交互に懸命にかじっておるのです。まことに絶体絶命の状況でございます。そしてその蜂の巣から、ポトリポトリポトリと五滴ほどの蜂蜜が落ちてきておる。その蜜を、男は口を開けてなめております。

と書かれています。この話では三匹の毒龍ではなくワニと四匹の毒蛇(毒龍)となっておりますが、親鸞会の話とほぼ同じです。友人は、無常の虎の掛け軸が市販されていることを合わせて考えてみると、高森会長のあの話は一般的に『仏説譬喩経』の話であるとして法話で語られてきた内容をそのまま話しているわけであって、そういった意味では「正しい」というか、あながちに「間違った法話」をしているとは言えないのではと思ったそうです。


確かに、親鸞会の”無常の虎の譬え”は元々が大沼師の著作の中の話ですから、例え話自体については問題ないのかもしれません。私の感想も友人のと同じです。しかし、この「あながち間違っていない」というのが大問題です。
「人間の実相」の話が確かにその通りだから、という理由で親鸞会に留まって活動している人は少なからずいると思います。私もこの話が真実であると思ったから、親鸞会が正しいと思って活動しておりました。
人に正しいと思わせるには、全てが偽りでは難しいでしょう。正しいことも織り交ぜていくことで、聞く人を納得させ、「この話は正しい」と思わせることができます。親鸞会の場合、その正しいことが「人間の実相」の例え話、『なぜ生きる』で言えば第一部の話だったのです。細かく挙げていけばそれは間違いもありますが、この親鸞会教義への導入部分の内容は大筋でその通りと思ってもよいでしょう。
では間違っていることはと言うと、それが肝心かなめの救いの「法」、浄土真宗親鸞聖人の教えです。親鸞聖人の仰せには、

・一切衆生必堕無間という教え
・善知識に無条件服従せよという教え
・獲信の因縁として善を修せよという教え
・宿善を求めよ、厚くせよという教え
・18願の世界には、19願・20願の道程を経なければ絶対に出られないという「三願転入の教え」
・縦と横の線の図にある、横の線に該当する教え


などというものはありません。勿論列記したものは大まかなものだけで、細かくメスを入れていけば至る所に間違いが散見されます。親鸞会の教えは、「本当の親鸞聖人の教え」などとは実に看板だけで、実態は大沼師のパクリ損ないに、S価の思想も入っている独自の寄せ集め教義であります。この中、宿善と三願転入に関して、

親鸞会邪義「宿善と聴聞と善のすすめ」--飛雲より
親鸞会法論惨敗の記録~飛雲より

というブログが新設されましたのでご覧下さい。

会員の皆さんの中には、親鸞会教義が誤りであるという事実を直ちに受け入れられない人も多いかと思います。そんな方に考えて頂きたいのですが、親鸞会の話のどこが正しいと思って会に在籍し活動しているのでしょうか? それがかつての私と同じく「人間の実相」の例え話、『なぜ生きる』で言えば第一部の話ならば、今一度救いの法の部分をお聖教に忠実に勉強して頂きたいと思います。親鸞会の法話や著書、また『教学聖典』に出てくる根拠だけを見るのではなく、その前後を隙間なく見ていけば、親鸞会が如何に間違った解釈を説いているかお分かりになることでしょう。
親鸞聖人の教えと親鸞会の教えの違いは、『仏説譬喩経』原文の内容と”無常の虎の譬え”の違いどころではありません。それに気付いて本当の親鸞聖人の教えに遇われる方が一人でも多く現れてくれることを願っています。
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No title

おっしゃる通りだと思います・・
私も無常や三毒の煩悩などについて間違いないと思ったからこそ続けてきこうと思いましたし、続けてきいてるうちになんとなーく「高森先生は唯一の善知識」と思い込まされてしまって、かんじんの助ける法についてはもういわれるままに信じた、というほうが今となってはあってる気がします・・・。
自分で理性で納得して聞いてるんだから間違いない、なんて自信をもってましたが、今思い返すと恥ずかしいやら悔しいやら。
会員さんには勇気をもって自分でお聖教を読んでみてもらいたいです。「正しく読めるわけがない」なんて思いこまずに・・・

コメント返信

秘密コメント様

親鸞会の説く因果の道理は、あやしい点が幾つか見られます。例えば、善果・悪果のみで無記が説かれなかったり。またあれでは空の思想はないようなものです。
正しいあるいは納得できる部分を利用して、全て正しいと信じさせる。詐欺の典型例です。可哀想なのは未だに情報にも触れず、そして頑なに信じて疑わず、利用されるだけされている会員の皆さんです。


ばればれ様

自分もそうでしたね。人間の実相がその通りだから、親鸞会で説かれることは全て正しいということではないのに、まんまと信じ込まされました。
自分では正しい読み方はできないと教育され、活動が忙しいのもあってお聖教にじっくり取り組める機会の少ないのが会員の皆さんです。どこかで「何かおかしい」と思わないと、本腰上げて事実の検証には乗り出さないでしょう。当ブログを通してその、「何かおかしい」と思うきっかけを会員さんに与えられたら幸いです。
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淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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