阿弥陀如来がお喚び下されるときには、その喚び声の中に、浄土へ往かれるいわれがふくまれてあるのです

『浄土真宗 信心』(加茂仰順師)より引用

  九 および声を、聞く

  一二

 喚び声が廻向であるということは、いま、天皇さまが、誰かに「出頭せよ」と言われたならば、それは勅命であります。この勅命には、廻向のいわれが添えられてありますから、御殿の中へ入ることができます。もし、廻向のいわれがふくめられていなければ、御殿へ入ることはできません。
 それと同じように、阿弥陀如来がお喚び下されるときには、その喚び声の中に、浄土へ往かれるいわれがふくまれてあるのです。それで、弥陀の喚び声が、耳に聞こえ、心にうけとられましたら、この喚び声が、南無阿弥陀仏でありますから、それが、南無阿弥陀仏がうけとられたのであります。

  一三

 南無阿弥陀仏がうけとられるというのは、信心を頂いたことであります。つまり、阿弥陀如来が、南無阿弥陀仏を下されるには、南無阿弥陀仏という名号を、信心にして、お与え下されるのであります。つまり、弥陀の心を、衆生のたのむ心に、成就されたのを、お与え下されるのであります。それですから、仏心凡心一体であります。

  一四

 ここで大切なことは、「衆生の」とあるのを、仲間聞きをしてはならないということです。
 衆生と言えば、大勢のようですが、聞いて浄土に往生するということは、人々別々のことであります。「親鸞一人がためなりけり」と申されたのは、多数の人々が一処に聞いていても、一人一人が、「わが往生のため」と思うて聞けよということであります。これが、御開山様の御信心であります。また、我々の信心でなければならないのです。御開山様と同一の信心であればこそ、御開山様と同一の浄土へ生れることができるのであって、若し信心がちがっているようでは、同じ浄土へ参るということは出来ないのであります。


(p.100~p.102)


弥陀の喚び声のことを、『「助けるぞよ」の仰せ』と加茂師は仰り、私もそのまま言っております。これを開くと、この言葉の中には「お前を浄土へ生まれさせるぞ」といった意味が含まれております。なので、その勅命を受けた私は、受けたその時に浄土へ参らせていただくことが定まるわけです。私の側にはお浄土参りできるようなものは何も持ち合わせておりませんが、阿弥陀様が廻向して下さるおかげで、かたじけなくも流転輪廻の罪が消えて、今度の一大事の往生を遂げるというわけです。有難いおいわれです。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。
ただし、往生は一人一人のしのぎであって、私の往生がそのまま誰かの往生というわけにはいきません。一人一人が弥陀をたのみ、「私一人がためなりけり」と本願を信じ念仏せねば、親鸞聖人と同じお浄土へは参れません。衆生と言っても、それは他の誰でもない、この私一人のことと思って聴聞することが大事です。
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(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
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