「弥陀他力の信を以て凡夫の信とし、弥陀他力の行を以て、凡夫の行とし」

『浄土真宗 信心』(加茂仰順師)より引用

  九 および声を、聞く

  二一

 『正像末和讃』(三十八首目)には、「如来の作願をたづぬれば、苦悩の有情をすてずして、廻向を首としたまひて、大悲心をば成就せり」と、仰せられてあります。
 我々苦悩の有情をたすけんがために、不可思議兆載永劫の御修行をあそばされたのであります。そして、ここに、御成就下されたのが、南無阿弥陀仏でありますから、この御名号は、弥陀が、我等を助けようという心、つまり、我等を浄土へ参らせようという心から出来上ったのであります。
 思案も考えもいりません。無善造悪の凡夫、参れるはずでないものが、参らせるぞよの仰せに、順うたのが、たのむ心であります。
 私は、おぼえも悪いし、ありがたいという心もすぐ消えてしまいます。別にお浄土へ参ることを急ぐでもありません。こんなものが、どうして、お浄土へ参らして頂くことが、出来ようかと、考えることは、やうのある姿であります。
 思案や工面は、永劫の昔、阿弥陀様が既に、御成就あそばされてあるのであります。
 それゆえに、蓮如さまは、「思案の頂上と申すべきは、弥陀如来の五劫思惟の本願にすぎたることはなし」と、仰せられました。

  二二

 南無阿弥陀仏の心が、阿弥陀仏の心であります。ただ、南無阿弥陀仏の心に、お順いしたら、それが、弥陀の心を得たのであります。「この御思案の道理に同心せば、仏になるべし」と、仰せられます。何のやうもなく、弥陀をたのむ一念に、お浄土参りは、定まるものであります。

  二三

 これだけがわかりますと、南無阿弥陀仏が、わがものとなったのであります。弥陀の願が、私の願となり、弥陀の行が、私の行となったのであります。覚如さまは、「弥陀他力の信を以て凡夫の信とし、弥陀他力の行を以て、凡夫の行とし」(改邪鈔十六丁)と、仰せられてあるのであります。


(p.110~p.112)
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淳心房&しゃあ

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(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
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