ながい時間のご法話には、用事はありません。「この弥陀が、たすけるぞよ」の仰せに、お順い、したのです。

『浄土真宗 信心』(加茂仰順師)より引用

  九 および声を、聞く

  二四

 聞いた一念に、お浄土参りが定まってしまいますと、南無阿弥陀仏の主になったのでありますから、それ以後は、声に出して、南無阿弥陀仏を称えればよいのです。ここにおきまして、心も南無阿弥陀仏、口も南無阿弥陀仏、であります。これを、念仏行者と、いうのであります。
 この信心を頂かせてもらいますれば、お浄土は、私の家であります。この世では、不退転の位につかせていただき、命終えましては、お浄土に参らせてもらいまして、弥陀同体の仏とならせてもらうのであります。この上は、御恩をよろこび、楽しい念仏を相続させてもらい、人様にも、この御法を、おすすめさせて、もらいますことが、大切であります。

  二五

 いままで、申しましたことを、まとめて、おきます。これだけでも頂いて下さいませ。
 私が死ぬるのは、まだ少しあとかもしれませんが、地獄は、足の下にあります。こうして、坐っているままが、死出の三途の旅であります。はや、理屈を言うているひまはありません。ながい時間のご法話には、用事はありません。「この弥陀が、たすけるぞよ」の仰せに、お順い、したのです。「ありがとうございます。たすけて下さいませ」とお順い、したのであります。それが、親様のおこころを、頂いたのです。南無阿弥陀仏を頂いたのです。お助けを頂いたのです。そこに、おやさまのお心によって、私のすべてが、転じかえられたのです。

  二六

 親様のお心を頂いた一念に、私の信じよう、称えよう、助かろうの、計らいの心が全部取り去られて、仰せをすなおに、いただいたのです。弥陀の無疑決定心を得させてもろうたのです。

  二七

 このままで、つれていって下さることのありがたさよと、お順い申したのです。これが、南無阿弥陀仏を頂いたのです。これが、「弥陀をたのむ」のです。仰せに、お順いする一念に、住不退転の位に入ります。そして、死すれば、直ちに浄土に生まれ弥陀同体のおさとりのすがたとならせてもらうのであります。
 私は、無善造悪の凡夫で、浄土へ参れるような者ではありませんが、このままお助け下さることのありがたさやと、何のやうもなく、「弥陀をたのめ」ば、その時が、お浄土参りの定まる時であります。何のやうもなく、弥陀をたのむ、弥陀をたのむが、仏心凡心一体となった時であります。南無阿弥陀仏のいわれが、つまり、およびごえが、耳から心に受けとられた者でさえあるならば、他力の信心が、わがものになった人であります。それを、蓮如さまは、「弥陀をたのめば、南無阿弥陀仏の主になるなり、つまり、信心を獲たものであります。」と、仰せられたのであります。


(p.112~p.115)


中には20年、30年と聞法しているが未信という方もあるかも知れません。あるいは、信心決定するにはこうしたらよいと知識から方法論を与えられて、何とか助かりたいとその方法論を実践しようと努力している方もあるかも知れません。それは、聞くべきものを間違っている、見失っているからです。または、聞いたものに自分の方でまぜものをして、変化を加えているからです。
私達が聞くべきは因果の道理ではありません。善をせよということではありません。宿善を求めよということではありません。善知識に無条件服従せよということではありません。19願・20願を実践せよということではありません。
私達が聞くべきはただ一つ、第18願の救い、すなわち南無阿弥陀仏のおいわれであります。これは仏願の生起・本末ということですが、要は私達に向かって喚びかけられている「たすけるぞ」の仰せ、であります。これを、自分の方でまぜものをしないで、素直に、真受けに「左様ならばお助け下さいませ」とそのままお順いしたのが、信心獲得ということです。自分の方で加えるものは何もなく、そのまま弥陀におまかせするのです。
仰せを聞いて、思考・整理して、「こういうことだ」と理解しているのは、既に自分で手を加えているのです。それは聞即信ではありません。聞即信とは、聞いたままが信心ということです。「たすけるぞ」の仰せを聞く、その聞くままが信心ということです。「聞く→思考・整理→理解」という、一般の物事を聞く道程とは違います。だから仰せを聞いて安心するのではなく、仰せのみで安心してしまうのです。
何も難しいことはありません。逆に自分の方で手を加えているから「信心獲得は難しい」と感じてしまうのです。自分の方で何も手垢をつけず、仰せにそのままおまかせするのみです。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。
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淳心房&しゃあ

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(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
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