【コメント】ゆっくり読んで反論を考えてね☆(4)

記事ゆっくり読んで反論を考えてね☆(3)の続きです。この度はコメントを多く頂き、有難うございました。
本日で3月1日の記事関連の連載は一応終了したいと思います。


匿名様より

 何とかわかってもらいたい、伝えたいというお気持が伝わってきます。
 勿論、煩悩具足で罪悪は止まらない、無常は迅速、だから、死んだら、また六道輪廻の苦しみを受けねばなりません。
 
 救われた人にとっては、至極当たり前の事なのでしょうが、そうでない人には、ピンとこないのでしょうね。
 ただ今救われる本願、と聞いても10円貰ったより喜べない、今晩死ぬかもしれないと、頭では考えても、いつまでも生きているつもりです。

 教えが間違っている事にも気がついている人は多いと思います。
 会の組織が無茶苦茶な事も織り込み済みでしょう。

 問題は、それなのになぜ、会から離れない、ほかを探すか、自分で求めないか
 ここにあると思います。
 1年以上、教え、組織の問題点を指摘し続けましたが、家族は未だに、会に留まっています。
 
 この人達には、教えが間違っていようと、カルト宗教団体であろうと構わないのかと思うようになりました。
 真偽検証と正しい、間違いは一番大切ではありますが、相手が今、何で間違いを認めながらも、おかしな団体に属しているのかそこのところをお互い考えていったほうがいいのではないかと思いました。

 押しても駄目なら引いてみる

 自分が何をしたいかでなく、相手が何を考えているかを探りつつ、相手に合わせていくような事や考え方も、時には必要ではないかと思います。
 もちろん何もしないで見て、ただ待っているいるのではありません。
 北風と太陽のたとえなら、両方の方法をを試行錯誤していくことも大事ではないかと、経験上思います。差し出た事とお感じになるなら申し訳ないことですが。



コメント有難うございます。もっともなご意見と思います。

私もどうしたら仲間達に分かってもらえるか、常に悩んでいます。親鸞会教義を論破する内容を送っても片がつかないので、別の方法を模索中です。


一緒に励まし合った仲間達とはいえそれでも他人でありますが、それにしても家族に分かってもらえないというのは実につらい事ですね。1年以上もご苦労され、私ならとっくに痺れを切らしています。

私も妻が会員でしたが、私の場合は妻に分かってもらうには、先に退会し、私に教義の誤りを教えてくれた先輩を交えずにはあり得なかったと思います。

他に、既に退会した人の中でご家族と縁があり、かつご家族も「この人だけは絶対に退会しない」と思っているような方はおられませんか?

自分がいくら話してもダメなら、人を介してみるというのも手です。既にしていらしたら蛇足でした。


お互い悩みは尽きませんが、必ず分かってもらえる時があると信じて、如来二種の回向をお伝えして参りましょう。

たとえ相手が自分を厭い嫌うことがあったとしても、問題にしている事は往生極楽の道、生死いづべき道です。

阿弥陀仏があきらめない限り、私もあきらめてはならないと思っています。

南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
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No title

  お返事有難うございます。
  確かに、真実は厳然と存在します。助からない様な気もして不安だとも思います
 でも。今、残っている会員さんたちは、教えも、会がカルトになったという話も受け付けないと思います。
 それは、依存であり、意地であり、我慢であるからです。
 長年会にいた人が止めようと、それは他人の話で自分とは関係ないのです。

 煙草や酒の依存とほぼ同じ様に思えます。
 煙草、酒の害悪、家計を圧迫する事を家族が口を酸っぱくして言っても
当の本人に止めようとする気がなかったら始まらないのです。

 医者に命に関わると宣告されたり、家族が止めないと離れていくようになっても、自分の意思を貫き通そうとする人だってざらにいます。

 そこには人間的な弱さを感じます。
 でも当人は、自分ほどしっかりした、強い人間はいないと正反対の思いを抱いているのですから、始末に負えません。

 超合理主義で、節約大好きの私は酒、煙草は勿論、ペットも飼いません。
 それらを取り入れなくても、十分生活していけます。
 酒、煙草は依存性が強く一種の麻薬と思っていますし、
 ペットにやる餌のお金も勿体ないし、散歩や世話に余計な時間を費やしたくありません。

 会に所属したのも、阿弥陀仏の本願が、聞けると思ったからです。本当の親鸞聖人の教えが話されていると思ったからです。だから、会のスキャンダルにも多少は目をつぶってきました。それはとても辛い事でしたが。
 だから、そこが真宗に程遠いカルト団体であると分った時点で、心が定まりました。一分、一秒でもそんな不浄な所にいたらいけないのです。

 人間は理性と感情、両方がありますが、理性的な人ばかりではありません。
 間違っていても、情に流される人の気持を理解する事はとても難しいです。
 反対に、感情に行動が支配させる人達にとっても同じことが言えると思います。

 いろいろ言っていったら、何か琴線に触れるところがあるかもしれません。
 自分と違う考え方、特に依存する人達を理屈で納得させるのは難しいと思ったほうがいいかもしれません。

 感情に走る人は、依存から離れられない人は、
カルトの手先になって、破壊行為や家族を捨てることもへいきでする可能性すらあります。
 麻薬が切れた時何をするか分らないのと同じです。
 たぶん、心が寂しく、何かに頼らずにいられない弱い人たちなのでしょうが、それを認めたくないので、何かに依存するのでしょう。
 それが、たまたまカルト団体だっただけです。
 
 だから、教え云々だけで、押していくのもどうと考えている所です。
 ほかの、頼れるもの、魔法の杖を与えないと、
立っている事すら彼らには出来ないのです。

 放っても置けないので、お互い良い知恵を出し合って、真実を伝えていきましょう。
 

>匿名様

3月1日の記事で述べましたが、親鸞会を離れない理由としては大体以下のようなものでしょう。

・誰が何を言おうと高森先生に間違いがあるはずがない
・今さら自分が何年も一生懸命求めてきたものが間違いであってほしくない
・今までもダメ、今もダメだが、諦めず求めていけば何とかなれると思う
・他に真宗を求めるに適切な所が分からず、「難民」になりかねない
・仕事が親鸞会関係で、転職できるか心配
・恩人が講師や先輩にいて、辞めにくい
・家族、親戚、友人、恋人が熱心で、人間関係を壊したくない
・親鸞会の外部に交友関係が希薄で、孤立したくない
・目的違い(金、恋人、友人…、その他)


教えが正しいというなら、根拠を提示して正当性を主張するはずです。

改訂前の顕正一口メモでは、
非難「親鸞会は経典やお聖教を勝手に解釈して、仏教を曲げている」
破邪「では正しい解釈を、お前してみよ。どちらが正しいか公開討論しようじゃないか。カゲでコソコソせずに明るいところへ出ておいで」

非難「親鸞会の者はしきりに根拠をあげよと言うが、医者から手を離された病気が、治ったが証拠じゃないか。」
破邪「証拠より論ということを知らないのだ。根拠をあげられぬのはインチキの証拠だ」

などと書いてはいますが、その実は私との公開討論に応じませんし、根拠もあげようとしません。インチキの証拠です。


匿名様の仰るように感情的になり、今まで頑張ってきた自分を否定されるのを拒んでいるのでしょう。

今日は富山で二河白道の譬だそうですが、会長の解釈した話で言うなら、雪で法話を中止にする者が火の河が押しよせる白道を進めと言われても説得力がありませんし、会員も進もうという気があるのか疑問です。

早く匿名様のご家族始め会員の皆さんには、誤りを誤りと正見して頂きたいものです。

No title

何度も、お返事有難うございます。
 何とか、正しい教えを伝えて、間違いを正そうという熱意は伝わってきて、尊いことだと思います。

 ただ、何度も繰り返していますように、未だ会に所属している人達は、頑なに耳を塞いでいます。そのような状態で、どんなに会の間違いや、組織のカルト化を叫んでも、聞きいれられることは、難しいのではないでしょうか?彼らにとって、某会は、居場所であり、心の拠所なのでしょう。

 だから、こちらが、何をしたいか(真偽を検証したい)でなく、どうしたら、聞く耳を持ってくれるかを更に深く、考える時が来ていると思います。

 依存、中毒状態の人から、対象物を離すことは多分、専門家の力を借りないと難しいとさえ思えます。

 実際、アメリカなどでは、アルコール依存者をサポートする、専門家を擁した団体が数多く存在します。依存は一種の心の病と捉えているのです。
 また、「依存者」だけでなく、「依存者」を「依存者」たらしめる、「共依存者」のサポート団体すらあります。
 「依存者」がどうしても嫌なら、逃げ出していますが、逃げ出せずに、被害に遭う人達、「共依存者」の意識も変ないといけないという発想です。

 「共依存者」になっては、仕方が無いので、私は、自分の生活を楽しんだり、充実させる事に考えを変えました。私が楽しくしていたら、きっといつか変わるときが来ると思いながら。

 今は、会に残っている人たちより、親や友人、その他、会とは関係のない人に、阿弥陀仏の本願、真実の仏教をお伝えしていくことに、主眼を置いています。

 依存している人に合わせて、嫌な思いをする事はありませんし。
 ただ、これは、私が、今まで、いろいろやってきて感じていることなので、全てのケースに当てはまるとも思いません。
 特に、依存について私は、様々な書籍を何十冊も読んで学びましたけれども。
 ほかの切り口からも、視点の角度を変えて、多方面から思索されると良い考えが生まれてくるかもしれません。

 人間はプライドで生きていますので、真偽で責めるより、逃げ道を用意するとか、こっちの方が楽しいよと誘導するやり方も時には有効かもしれません。
 話が何となくかみ合わないようなので、このくらいにします。
 
 何かに頼らないと、生きていけない人が、世の中大半だ、ということを長く生きて、知らされました。
 大の大人、男といっても所詮、ただの凡夫、頼りないものですよ。
 下らない話を長々と失礼しました。
 

>匿名様

ご意見有難うございます。

私の場合は親鸞会を心の拠り所としていたというよりは、助かるか助からないか不安の中で、正しい教えも他に救いを求めるに適切な所も分からなかったために止まっていました。
なので教えが間違いとハッキリしたことで用済みとなり退会しましたが、匿名様の御指摘のように親鸞会が居場所であり心の拠所である人も多いと思います。
つい自分が基準となってしまいますね(;^_^A

そんな人にはいくら教えが間違いだと言っても通じるとは思えません。
仲間達が既にそんな状態なのか、御意見を受け止め、これからは教えの真偽とは別の切り口も使って見極めていきたいと思います。まぁ連絡を取ったり会ったりすることは難しいでしょうが…

なお当ブログでは、今まで通り親鸞会教義の間違いを指摘し、親鸞聖人の教えを明らかにしていきたいと思います。
依存性の人は自分の殻に閉じこもってブログは見ないでしょうから、純粋に(多少不純でも)教え、救いを求める人に親鸞会教義の誤り、正しい教えを知って頂くきっかけになってもらえればと考えております。

またご意見がありましたらお寄せ下さいませ☆
プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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