何も、ぐずぐずすることは、いりません。ただ与えてやろうの燈を頂いて、迷いの闇を照らせばよいのです。

『浄土真宗 信心』(加茂仰順師)より引用

  一二 信心ひとつで、お浄土へ、参らせて、もらいます


  

 無宿善の者は、どうしようも、ございません。真宗で、信心と申されるものは、一口に申しますと、私は、地獄必定の者でありますが、阿弥陀さまは、私たちのような者を救うために、本願をおたてなされたのです。そして、ながいあいだの、たいそうな、御苦労の結果、その本願を御成就なされたのであります。それが、南無阿弥陀仏であります。

  二

 それで、その南無阿弥陀仏を頂かせてもらえば、よいのです。つまり、南無阿弥陀仏は、阿弥陀さまの勅命ですから、その勅命を、「はい」と、頂いたらそれで、よいのです。

  三

 いつ死ぬるとも知らない私です。また、どんな病気で死ぬることも知りません私が、これからさきのことを、心配しても、何にもなりません。

  四

阿弥陀さまは、私が、地獄へ落ちてはなりませんから、落ちないように、南無阿弥陀仏で、浄土へ参らしてやろうとの、おまことの仰せでございますから、心配することも、案じることもありません。ただ、阿弥陀さまに、おまかせするばかりです。

  五

 真宗の信心は、易いですから、蓮如さまは、御文章では、一つの喩えも出されていないのです。
 それは、易い御信心であることをお示しなされたのです。

  六

 それは、あたかも、闇は暗いものです。燈は、あかるいようなものです。私のゆくさきは、真暗がりです。私は、闇に迷うているのですが、南無阿弥陀仏の明るい燈を、その闇の中に持ってまいりますと、すぐさま、私の迷いの闇は、消えてしまいます。何も、ぐずぐずすることは、いりません。ただ与えてやろうの燈を頂いて、迷いの闇を照らせばよいのです。
 お浄土参りが、きまる場所です。


(p.142~p.145)
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No title

南無阿弥陀仏の燈は、本当に明るくて明るくて、目を開けていられないほどまぶしいな~と感じることがあります^^

>ブルームーン様

我々の深い深い迷いの闇を照らす燈ですからね。私はそのように感じたことはないのですが、明るさで言えば日輪よりも遥かに明るいのでしょう。尊い光明に照らされて、この身がお浄土参りとはかたじけないことです。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。
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(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
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