如来の清浄真実の仰せの、「たすけるぞ」を、すなおに頂いた一念の当体に、そのときに、地獄ゆきの戸籍を、即座に転じかえて、お浄土の人数の仲間に、編入させて、「正定聚不退の位」を得させてもらう幸わせ者でございます。

『浄土真宗 信心』(加茂仰順師)より引用

  一三 信心を獲る


  

 聞くというのは、外にかわったことを、きくのではありません。衆生仏願の生起本末を聞いて、疑心あることなし、と、仰せられてあります。これをわかりやすく申しますれば、ただ、南無阿弥陀仏のおいわれを聞くばかりです。
 つまり、「たすけるぞ」の仰せを、聞くばかりであります。「たすけるぞ」を「はい」と、頂いたら、それでよいのです。それで、私はたすけられまして、お浄土へ参ることになったのです。何とすばらしいことでございます。

  六

 信が頂かれたら、お浄土へ参ると、きまるのであります。他力の信心は、かならず、弥陀の浄土へ参るのです。
 「たすけるぞ」を「はい」と頂きましたのが、阿弥陀さまに、おまかせしたことになりますから、阿弥陀さまは、その時、その場から、私を光明の中におさめとって下されまして、お浄土へ参らせて下さるのであります。
 その「たすけるぞ」の仰せを、頂くか、頂かぬかで、お浄土へまいることが、きまるか、きまらないかが定まるのであります。

  七

 つまり、「南無と、たのめ」、「阿弥陀仏の、必ず助けるぞ」との仰せを、そのまま、真受けに頂けば、その頂かれた一念のとき、真心徹到と、私の心の中に、南無阿弥陀仏の全体が満入して下されて、「この私をこのままで、お助け下さることよ」と、頂かれたならば、ああ、うれしやとのよろこびの心が、心の底から出てきますのが、心海流出の称名とも、信の上の念仏とも言われるのです。ただ、うっかりと称えた一遍の称名でも、みな御報謝に備わるとは、何と勿体ないやら、申しようのない尊いことでございます。

  八

 如来の清浄真実の仰せの、「たすけるぞ」を、すなおに頂いた一念の当体に、そのときに、地獄ゆきの戸籍を、即座に転じかえて、お浄土の人数の仲間に、編入させて、「正定聚不退の位」を得させてもらう幸わせ者でございます。
 それには、何かの証拠がありますかと、申しますに、たしかに、あります。大丈夫な証拠があります。それは、どんなものでございますかと、申しますと、いつ、何時この息が切れましても、心の落ちつく先が、安心安堵と、いつ思い出しても、見もせぬお浄土を大丈夫と、もう一度疑おうと思うても、疑いあやぶみも消えうせて、どうも、疑われぬようになったのが、阿弥陀さまのお光明によって守られたしるしであります。


(p.154~p.156)
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淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
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