【コメント】Q&A(3)ー速やかに生死を離れようとおもうなら

昨日の記事Q&A(3)ー速やかに生死を離れようとおもうならにコメントを頂きました。有難うございました。
返事を書いていたら長くなりましたので、記事に致します。



るぅでる様より

>高森先生が、諸善をしたら助かると説いたことは一度もありません。

誰かが言っていましたが、
「『消防署の方から来た』とは言ったが『消防署から来た』とは言ってない、だから詐欺じゃない!」と強弁するようなもんですね。
わざと聞き手に錯誤させ、煙に巻いてんだろうが!と言ってやりたくなります。




仰る通りです。

「私の白道」等にも書かれていましたが、親鸞会の主張と会員の理解は違っています。

確かに高森会長は諸善をしたら助かるとは一度も説いてはいません。そして、会員は「諸善をしたら助かるというのは間違いだ」という模範解答を親鸞会から与えられています。

そのような解答を知識として与えられているので、「高森先生が諸善をしたら助かると説いたことは一度もありません」みたいな反論がでてくるのでしょう。

しかし、それは単なる知識であって、実際の会員の理解や気持ちではありません。会員に何のために、どんな気持ちで善をしているかと尋ねたら、「後生の一大事助かるため、後生の一大事助かろうという気持ちで」と答える人が大多数だと思います。修善が救いと関係ないと思ったらやる気も起きないでしょう。

つまり、高森会長は諸善をしたら助かると説いたことは一度もないのですが、親鸞会会員は巧妙に諸善したら助かるかのように思い込まされているのです。

そのことは、

「諸善は往生の資助にはならないが、獲信の因縁になる」

とか、

「善をしたら助かるというのは間違い。しかし、善をしなければ信仰は進みませんよ」

などのフレーズにより助長されています。

そして、それぞれのフレーズの後半部の根拠が出せないことが、当ブログやその他のブログで指摘され続けています。


その上、求めても求めても信心が獲られないという気持ちの会員に対して、

「お釈迦様でさえ45年のほとんどを費やして廃悪修善を説かれたのだから、我々が30年、40年聞いて分かるものではない」
「後生の一大事は一生参学の大事。簡単に分かるものではない」
「全人類を横の軌道へ乗せるまでが大変だった」


と説いたら、会員は

「今分からなくても仕方のない事なんだ。救われるのは一念でも、その一念の決勝点まで進むには長い時間がかかるんだ」

と思うでしょう。

私は聞いていく中で、救いは未来の事で只今の事とは思えず、人生終わるまでに解決ができたらいいとしか考えられませんでした。るぅでる様は親鸞会時代、如何だったでしょうか?


勿論親鸞会側も、

「そんな凄いことを、この一座で聞かなければならないんですよ。真剣な聴聞に身を沈めましょう」

と言います。


ただどんなに気持ちを奮い立たせても、会長の話を聞く限り自分は横の軌道にも乗っていないと感じますから、

「まずあの軌道に乗らなければ」
「後生に驚きが立たなければ」
「善のできない自分と知らされなければ」
「それには善をしなければ信仰は進まないんだ」


と、聞いた事を物差しにして、「救われよう、救いに近づこう」と思って親鸞会で教えられる善を実行しようとします。


更に、

「廃悪修善の気持ちがどれくらい強いかが信仰のバロメーター」

という親鸞会ドグマが、更に会員から救いを遠ざけています。

自分は廃悪修善をしようという気持ちが強いと感じる人はよほどの自惚れ屋で、たいていは弱いなぁと思うでしょう。

廃悪修善をしようという気持ちが弱い私はまだまだだ、まだ救いに遠いと思ってしまいます。


こうして会員は、只今の救いがあると聞きながらも救いとは別の方向へ走らされ、結果として日々親鸞会や会長のために必死に努力しているわけです。

これでは、いつまでも食べられない人参を目の前にぶら下げられて、食べよう食べようと懸命に走らされている馬とどこが変わるでしょうか。



阿弥陀仏の18願の救いに諸善は関係ありませんし、諸善ができない自分と知らされなければならないというのは珍しい教えです。

如来が見抜かれた私へと、善をやって私の方から願に相応していこうとするのではありません。
出離できるようなものは私には何もないと、如来が既に見抜かれています。
だから、阿弥陀仏の方で一切の諸行を選び捨て、称名念仏一行を本願の行として選び取って下されたのです。
そして、本願を信じ念仏する衆生へと、全て如来のお力、お計らいによって救われるのです。私にすでに相応して下さってある本願をお受けするばかりです。

そうした本願のこころ、仏願の生起・本末、南無阿弥陀仏のいわれを聞くのが即ち信ですから、只今本願のこころを聞いて救われて頂きたいと思います。

南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
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No title

つい先日、飛雲氏のブログにコメントしていた自称「一会員」氏の発言に

>19願は修諸功徳の願と言って平たくいうと「善をやりなさい。そうすれば助ける。」という願です。
>つまり廃悪修善を勧めた願です。
>どれだけ廃悪修善に向かえるかは因果の道理をどれだけ深く信じているかにかかっています。

とあったことからも判るように、親鸞会教義では「善をすれば助ける」という条件付の救いの阿弥陀仏を信じていて、
それに対して会員側は「善をすれば助かる」という解釈になるのは当然でしょうね。
「諸善をしたら助かる」が間違いならば、平たく言ってもこんな発言は出てこないはずです。
「諸善で助かる」"というような内容"を話しており、会員はそのように理解してるのが親鸞会の実態でしょうね。

一方で「善のできぬ自分としらされるまで」という結論を先に教えられ、
善では一歩も進めないはずの自分なのに、廃悪修善の先にゴールがある。
まさに「いつまでも食べられない人参を目の前にぶら下げられて、食べよう食べようと懸命に走らされている馬」ですね

以前の講義で

ふと思い出したのですが、三願転入の驚愕講義が盛んだった頃、

「観無量寿経が釈迦の出世本懐経」というようなことを会長が口にして、会員の「聞き誤ってました」なる旨の御礼状が次々と届き、慌てた(?)会長が翌月の驚愕講義で「そんなこと言っていない」と否定した、

という一件があったのですが、管理人さんはご存知でしょうか?

私はリアルタイムで聞いており、そのときは仲間内で喧々諤々の論争になりました。

「出世本懐経は大無量寿経ではないのか」
「しかし先生は確かに観無量寿経だと仰った」

講師に質問しても、「私にはわからないが、高森先生が仰ったならそういうことだ」と言われ、わけがわかりませんでした。

しかし私はそのこと自体はどうこう言うつもりはありません。人間ですから言い間違いもあろうし、聞き間違いもあると思うからです。

私が腹立たしかったのは、会長の否定の仕方です。翌月の壇上で、

「御礼状で“釈迦の出世本懐経は観無量寿経だと教えて頂きました”と書いてくる人がたくさんおられましたが、ワシそんなこと言ったか?」

と3人のアシスタント講師に順番にたずねていき、彼らは

「いえ、そんなことは仰っておりません。」
「私はそのようにお聞きしませんでした。」
「釈迦の出世本懐経は大無量寿経だと何回も教えて下さっていますので。」

と会長の発言をなかったことにしていきました。それを受けて会長は、

「だから聞き難しといつも言っているんですよ。」

と締めくくり、ことの責任はひとえに会員の聞き誤りであると結論づけました。
記憶違いもあるかもしれませんが、当時の私としては納得できませんでした。

なぜ大勢の会員が驚愕問題に出ているような基本的なことを聞き誤ったのか。
しかも、正確な速記はできないとしても、自由にメモできる驚愕講義において。

これだけ多くの人に聞き誤りをさせながら、それが説く者の姿勢なのか。
講師は会員の後生を背負っていると自覚せよ、と人には言っていたではないか。

「親鸞会はそんなこと言っていない。それはその人の聞き誤りだ。」
今でもそのように会員を丸め込み続けている、と記事を読んで感じました。

>名無し様

修諸功徳の善、至心発願欲生の心という19願の行信の結果は臨終来迎、化土往生です。
臨終の救いを誓われた願を、平生の救いを求める人に方便の善だと言って勧めるのは、上記の事が理解されていたら間違いだと分かるはずです。
これは親鸞聖人が教えておられない珍しい教えであり、そんな事を説く高森会長は教えが分かっていないか、確信犯か…。ちゃんと「真実」を顕かに徹底して頂きたいと思います。

>える様

私はその頃調子を崩しており、その場にいなかったかも知れません。
出世本懐経が観経なのか大経なのか分からなくなってしまったと質問した人なら覚えています。

親鸞会では会長の言葉が絶対ですから、たとえ親鸞聖人が西と仰っていても会長が東と言えば東だと講師部は言うでしょう。
そういう人でもなければ講師部は勤まらないと、アシスタントの姿を見て感じました。

なお、最近の親鸞会の誤魔化し方としては、親鸞会ネットの
「諸善をしたらそのうち助かるは誤り」
http://www.shinrankai.net/2009/12/sat-2.htm
を参照して下さい。

>私は聞いていく中で、救いは未来の事で只今の事とは思えず、人生終わるまでに解決ができたらいいとしか考えられませんでした。るぅでる様は親鸞会時代、如何だったでしょうか?


同じです。
むしろ「人生終わるまでに解決ができたらいい」どころか
「人生終わるまでに解決ができた人は超ラッキー。多生の目的であり、殆どの人にとっては遠生の結縁程度にしかならない。まあ、観音様の臨終説法を期待しましょか」
というレベルでした(;・∀・)正直言って「自分のようなものは今生ではまず無理、叡山で二十年修業ができる位の知恵と根性がある人間に生まれ変わらないと無理」と思い込んでしまい、自暴自棄→幽霊会員
でした(´Д`)
こんな人、多いんじゃないでしょうか。

>るぅでる様

私も、言われてみるとるぅ様に近い思いでした。
救いをあきらめて幽霊になる会員は多いと感じます。私もそういう時期がありました。

しかし実際は、既に如来が完成し、この私目がけて届けられてある救いの法を疑いなく信じ念仏申すだけでした。るぅ様にも、会員の皆さんにも、私が、今の私のままで、只今救われる本願を聞いて頂きたいばかりです。
プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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