【9.機の深信について】について

あああああああ、しまった~~~! 10項目の返信を考えるのに夢中になってたらセーラームーンCrystal6話目の無料動画期間が終わっちまってたじゃねーか!? 完全に見逃しちまったよちくしょ~~(泣)
おのれ「知ってるから応えるよ」、許すまじ(ノД`)・゜・。


・・・さて。

今回は、親鸞聖人の仰せと高森顕徹会長の主張との相違点10項目の内、第9項目について取り上げます。まずは「知ってるから応えるよ」さんのコメントです。

9.機の深信について
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親鸞聖人 自力では出離できない
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高森会長 逆謗の屍と必ず知らされる

これ意味が分からない。
高森会長も自力では出離できないといってるよ。

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これに関しては、『浄土真宗親鸞会は、親鸞聖人のみ教えと同じか?』⑨機の深信についてを、『飛雲』では
「罪悪生死の凡夫」=「煩悩を具足せる凡夫」
機の深信も、もちろん法の深信も理解できない高森会長と講師部員
聖道の機・定散の機・逆謗の機の違い、真実の善・雑毒の善・無善造悪の違いも判らない高森会長
パクリで大学者気取りも、聖教を読んだことのない無知を晒しただけの高森会長
等をご覧下さい。

確かに高森会長は、捨自帰他、自力無功と言っている箇所もあります。『本願寺なぜ答えぬ』だとp.122~p.124に出ています。ところが、それらの話に付随して出てくる機の深信の説明は、必堕無間の自己が知らされる、逆謗の屍と必ず知らされることだと説き、善導大師のお言葉を根拠に「只今の一念を徹底的に叩けば、曠劫流転して来た自己も明らかになるし、未来永劫の後生の一大事も知らされることになります」(『こんなことが知りたい①』p.16)と、自己の三世が明らかになるというようなことも書いてきました。それらをなかったことの如く、しれっと上記のように書いてくるところが親鸞会会員らしいといえばらしいです。

当ブログを含め、親鸞会批判サイトが主張しているのは、

機の深信=煩悩具足と信知すること、自力では出離できないということ

であって、逆謗の屍と必ず知らされるということではない、ということです。親鸞会では全人類が五逆・謗法の者であり、深信とは「ツユチリ程の疑心もなくなった心」(『こんなことが知りたい③』p.126)、という定義の元で教義を展開しますので、

機の深信=必堕無間、地獄一定、絶対に助かり切らぬ私(逆謗の屍)ということにツユチリ程の疑心もなくなった心

としています。ところが全人類が五逆・謗法の者ではないので、全ての人が獲信したら共通して逆謗の屍と必ず知らされることはないのです。全ての人の中には、龍樹菩薩のように自力で初歓喜地まで悟られた聖者や、善導大師のように定善の行を成就された善人もあります。一方で十悪・五逆の罪人、謗法・闡提のともがらも存在します。そのいずれもが他力の信心を得て知らされるのは、自分は逆謗の屍ということではなく、自力では迷いの世界を出離できるような者ではない、ということです。罪悪は人により軽重がありますから、罪悪についての知らされ方が共通するはずがありません。ですが、聖者も善人も悪人も、自力では出離できないという点では共通しています。それを機の深信として善導大師は仰っているのですが、親鸞会では聖者も善人も悪人も皆同じく逆謗の屍だとしているので、救われたら逆謗の屍だとハッキリ知らされる、二種深信は真実の信心か否かの判定基準なのだから、逆謗の屍とハッキリ知らされないのは真実信心ではない、というのです。
しかし、親鸞聖人や覚如上人、蓮如上人は勿論、七高僧のどなたも「私は逆謗の屍とハッキリ知らされた」などとは仰っていません(高森会長を非難しているのですか、あるいは七高僧のことを異安心だと誹謗しているのですか?参照)。どうやら高森会長に言わせると、浄土真実の祖師方は真実信心ではないようです。祖師方をそのように誹謗して、何が浄土真宗でしょうか? 何が親鸞会でしょうか? 善知識をおろかに思い、師をそしる者とは、他ならぬ高森会長です。このような謗法の者に近づいてはならないと親鸞聖人が教えられていることは度々紹介してきました。

さて、高森会長の話を聞いていると、また親鸞会製作アニメを見ていると、信心決定すること、二種深信が立つということはものすごい体験、盲者開眼の一刹那よりもハッキリした体験だと思い込んでしまいます。地獄より他に行き場のない私でしたと無間のドン底に叩き落とされ(機の深信)、信心歓喜、歓喜踊躍とおどり上がり、阿弥陀さまこうまでして下さらなければ聞かないしぶとい私でございました(法の深信)この御恩どのようにして報いようかと泣くより他にないというような体験をしたのが信心決定だとし、そんな体験を目指して会員の皆さんは親鸞会で求めていることと思います。そう、第一部の親鸞聖人獲信のシーンや、韋提希の獲信のシーンのような体験を。
このような邪義に染まっていると、信心の何たるかを見失って、ハッキリした体験のみを追い求めてしまいかねません。それと、後生は地獄だと知らされよう、自分は一つの善もできない極悪人なんだと知らされようとし、落ちるところまで落ちようと自分を追い込んでゆく聞き方をされている方、そして別段そのようには知らされない自分に失望し疲れてしまうというような方もあるかも知れません。
信心とは、本願を疑いなく聞き受けたこと、すなわち阿弥陀仏の「我にまかせよ、必ず救う」という招喚の御言葉をそのまま受け容れたことをいいます。つまり南無阿弥陀仏のすがたを心得たことをいうので、ものすごい体験、火に触ったよりもハッキリした体験というのとは違います。そして阿弥陀仏に往生の一大事をおまかせして知らされるのは、自力ではアカンかったなぁ、自分の中には救われる手がかりになるようなものはなかったなぁ、この私一人を助けるために阿弥陀さまはご苦労されていたのだなぁ、全て阿弥陀仏の独り働きで救われてゆくのだなぁ・・・他にも言い方は色々あるかと思いますが、大きく分けて自力無功と他力全托の二つです。うち、自力無功、自力では出離できないというのが機の深信ですので、邪義を真に受けて、信心とはどのようなものか、機の深信とはどういうものかを見失わないようにして頂きたいと思います。
あと、高森会長は自力無功とは言っていますが、自力一杯求めたことのない者に自力無功と知らされるはずがないとも説いて、自力一杯の活動を会員に勧めています。これは間違いです。自力一杯求めて自力が廃るのではなく、本願を聞くところに、阿弥陀仏の仰せを仰せのままに受け容れるところに自力が廃るのです。高森会長の教えだと、自力が廃るために自力一杯の求道が役に立つのですから、自力有功です。まぁ本気で自力一杯の求道をするのでしたら、親鸞会への勧誘と献金などという生温いものではなく、比叡山などに登られて修行された方がよろしいかと思います。

ところで「知ってるから応えるよ」さんへの返信ですが、『顕正一口メモ(A)』に、

非難 ◎本願寺
本願寺は「念仏さえ称えておれば助かる」などとは決して申しておりません。

破邪 ◎親鸞会の会員
よしよしそれならよろしい。今後も断じて言ってはなりませんよ。


という問答がありますので、今回はこれに倣って以下のように答えておきます。

********************
親鸞聖人 自力では出離できない
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高森会長 逆謗の屍と必ず知らされる

よしよしそれならよろしい。
今後も断じて機の深信を「逆謗の屍と必ず知らされる」
などと説いて邪義をまき散らしてはなりませんよ。

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淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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