親鸞会会員が最後まで迷う教義

一切衆生必堕無間という邪義や、善知識への無条件服従の邪義に比べ、親鸞会の現会員や元会員が最後まで迷うのが善の勧めに関してのようです(『親鸞会教義の誤り』親鸞会は諸行往生6)。
おそらく親鸞会は、私達の倫理・道徳的な良心が善の勧めを否定することを拒むことを利用し、

「親鸞聖人の教えに善の勧めがない」
=「煩悩のおもむくままに好き放題やってよい」
=「一向に修善に向かおうとしない、無気力で、消極的、退嬰的」
=「善の勧めを否定して自堕落な生活を送っているからこの世の幸せにも見捨てられる」
=「浄土真宗は悪人製造の宗教と言われてしまう」
→「親鸞聖人の教えに善の勧めがないわけがない」


というような図式を、聞く者の頭の中に植え付けているのではないかと思います。

これは一見もっともなことに思えますが、親鸞聖人の教えと日常生活の心構えを混同していることから起きる誤解です。親鸞聖人の教えは浄土真宗と言われるように、浄土に往生・成仏する真実の教えということです。我々は煩悩にまみれ、自力ではさとりを開く手がかりすらありません。そのような悪人を助けようと、阿弥陀仏は五劫兆載永劫の願行の末、この上なく勝れた本願の名号を成就されました。私達が往生・成仏するには、その本願力回向の念仏一つで、他の一切の善に用事はありません。逆に他の一切の善では報土往生はならず、これを往生に役立てようという自力の心ある間は本願の実報土に往けません。この意味で、「親鸞聖人の教えに善の勧めはない」というのです。

しかれば本願を信ぜんには、他の善も要にあらず、念仏にまさるべき善なきゆゑに。(『歎異抄』第1条

親鸞会では「本願を信ぜんには」を「本願に救い摂られたならば」などとヘンテコな解釈をし、本願を信じる、つまり獲信するまでは善が勧められていると説いていますが、とんでもない間違いです。ここは文面通り「本願に救い摂られるには」であり、獲信・往生に関しては他の善は不要であるということです。なぜなら、無上大利の功徳を具えた念仏に勝る善はないからであると解説されています。当然のことです。聖者や善人ならいざ知らず、罪悪深重・煩悩熾盛の悪人であるなら尚更念仏以外に我々が助かる術はありません。それを方便だの、宿善だの、三願転入の教えだのと言って善を勧めている親鸞会は、明らかに会員の往生・獲信以外のことを目的としているのです。それどころか、18願の世界に入るには19願を通らねばならないなどとし、直ちに他力回向の念仏を説き与えない点から、会員を獲信させる気は全くないと覗えます。

ところで、獲信・往生に関しては他の善は不要ということを文面のみに囚われて自分勝手に解釈し、我々の善は往生の役に立たないのだから善をする必要はない、それどころか、悪人を目当ての本願なのだから、煩悩のおもむくままに好き勝手やってよい、などという邪義を唱える者が現れてくるのが悲しいことです。法然・親鸞両聖人の時代にもそのような輩が現れたと見え、親鸞聖人は度々お手紙にて誡められています。

しかるになほ酔ひもさめやらぬに、かさねて酔ひをすすめ、毒も消えやらぬになほ毒をすすめられ候ふらんこそ、あさましく候へ。煩悩具足の身なればとて、こころにまかせて、身にもすまじきことをもゆるし、口にもいふまじきことをもゆるし、こころにもおもふまじきことをもゆるして、いかにもこころのままにてあるべしと申しあうて候ふらんこそ、かへすがへす不便におぼえ候へ。酔ひもさめぬさきになほ酒をすすめ、毒も消えやらぬに、いよいよ毒をすすめんがごとし。薬あり、毒を好めと候ふらんことは、あるべくも候はずとぞおぼえ候ふ。仏の御名をもきき念仏を申して、ひさしくなりておはしまさんひとびとは、後世のあしきことをいとふしるし、この身のあしきことをばいとひすてんとおぼしめすしるしも候ふべしとこそおぼえ候へ。(『末灯鈔』

私達がこの世を生きていく上では、倫理・道徳上の善悪を弁えて、「念仏者にはロクなものがおらん」と後ろ指を指されるようなことがないように努めていくべきです。蓮如上人もお手紙にて幾度もそのように仰っています。

・また外には仁・義・礼・智・信をまもりて王法をもつて先とし
・ことにまづ王法をもつて本とし、仁義を先として、世間通途の義に順じて(『御文章』三帖


そして後生のため、往生のためには本願を信じ念仏しなさいと教えられています。

・そのほか仁義をもつて本とし、また後生のためには内心に阿弥陀如来を一心一向にたのみたてまつりて、自余の雑行・雑善にこころをばとどめずして、一念も疑心なく信じまゐらせば、かならず真実の極楽浄土に往生すべし。(『御文章』三帖

ですから、この世を生きていく上では善は必要、生活のためには善は必要、ということが言えるかと思います。この件に関しては、既に往生のためには善は不要、生活のためには善は必要でも述べていますので参照して下さい。

親鸞聖人の教えに関しては、積極的に善を勧めると賢善廃悪に囚われて諸行往生になりかねませんし、悪行を抑止しなければ造悪無碍の邪義に陥る人が出てきます。説く内容は同じでも、聞く側はそれぞれに解釈するので、ここは非常に微妙で難しいところです。親鸞会の現会員や元会員が最後まで迷うのも頷けます。


さて、親鸞会の場合は「善の勧め」などとは言っていますが、実質は親鸞会への献金と勧誘がメインの「善もどきの善の勧め」であり、高森会長を始めとして、とても因果の道理を信じて光に向かっているとは言い難い団体です。

【ツッコミ】「獲信のための(因縁としての)修善の勧めはない」への会員の反論(2)
【ツッコミ】極重悪人と三願転入(2)ー因果の道理について

「親鸞会は公約しています。親鸞会の主張に対して異議、反論のある方は遠慮なく申し出てください。相手が集団であれ、個人であれ、公開であれ、非公開であれ、討論であれ、文書討論であれ、相手の希望される方法で、時と場所を問わず、本当の親鸞聖人のみ教えを開顕するために、喜んで対決に応じます。」

こう公約しておきながら、約束の一つも守れない団体が「善の勧め」なんてちゃんちゃらおかしいでしょう。約束を破ることは、善ですか? 悪ですか? 持戒を言行一致などと言って、約束を守ることが大事だと説いておきながら、都合が悪くなると簡単に約束を破る。守れない約束なら、始めからしなければいいではないですか。手のかかるやんちゃ坊主とは、他ならぬ高森会長及び親鸞会のことです。会員の皆さん、善を実行するとしたら、まずはこのような言行不一致な団体から一刻も早く離れることから始めた方がいいですよ。

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No title

ご無沙汰しております。高森会長は、一度した約束は首が千切れても果たさねばならん、とも言っていましたね。こう聞いた当初は、「さすがは高森先生だ。約束を守る気迫、責任感が桁違いだ」と思ったものですが、自分でした公約を守る気も全くないのですからコケオドシもいいところです。

>広島の名無し様

教義の誤りを指摘してくれたら1000万差し上げるとか、教えを間違って伝えたら腹切りものだとか、そんな事も言っていましたっけ。私も会員時代は高森会長が正しい浄土真宗を説いていると固く信じていました。

所詮ハッタリは会員だけにしか通じなかった、ということですね。

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>秘密コメント様

親鸞会では、高森会長や上司の指示に従うような行為が善、反するような行為が悪なのです。ですから憶測は御尤もです。
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淳心房&しゃあ

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(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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