『教行証文類』の概要(8)ー真実の教

『聖典セミナー教行信証[教行の巻]』(梯 實圓師)より引用

三、『教行証文類』六巻の概要

真実の教

 『教行証文類』の第一は、真実教を顕す「教文類」です。教とは、正しい道理を説いて人びとを諭し、導くことです。仏教では、真実をさとった聖者が迷えるものを導く言葉を「教」というといわれています。

 もっとも「教」という場合には、言教、すなわち教えの言葉を意味するときと、そこに説き表されている教法、すなわち正しい道理を意味するときとがありますが、いまは言教、すなわち経典のことを「教」といわれているのです。そしてそこに説かれている教法が、行、信、証の三法なのです。「教文類」のはじめには「それ真実の教を顕さば、すなわち『大無量寿経』これなり」(『註釈版聖典』一三五頁)といい、釈尊が阿弥陀仏の本願のいわれを説き示された『無量寿経』を真実教とされています。

 そしてこの『無量寿経』が、釈尊をはじめすべての仏陀たちの出世の本懐(本意)を説かれたものであるということを『無量寿経』の発起序の文によって証明し、真実教といわれる理由を明らかにされたのが「教文類」です。

 ところで『無量寿経』は、釈尊が説かれたものであるにもかかわらず、阿弥陀仏の本願力によって私たちに回向されたものであるといわれたのには、二つの理由がありました。その一つは、釈尊をして『無量寿経』を説かしめたのは阿弥陀仏の第十七願力だったからです。すなわち第十七願には、

 たとひわれ仏を得たらんに、十方世界の無量の諸仏、ことごとく咨嗟して、わが名を称せずは、正覚を取らじ。(『註釈版聖典』一八頁)

と誓われています。十方の諸仏をして、本願の名号のいわれを称揚、讃嘆させ、十方の衆生に阿弥陀仏の救いを聞かせようと誓われているのです。十方諸仏の一仏として、この娑婆世界に出現された釈尊も、阿弥陀仏の第十七願力に促されて『無量寿経』を説かれるわけですから、阿弥陀仏が第十七願力をもって、『無量寿経』を私たちに回向されているといえるのです。

 さらにまた親鸞聖人は、濁りきったこの世に生きる苦悩の凡愚に、本願の名号のいわれを説き聞かせて、万人平等の救いの道がすでに用意されていることを知らせるために、阿弥陀仏が自らこの娑婆へ応現されたのが釈尊であるといわれています。『浄土和讃』「諸経和讃」に、

 久遠実成阿弥陀仏
 五濁の凡愚をあはれみて
 釈迦牟尼仏としめしてぞ
 迦耶城には応現する(『註釈版聖典』五七二頁)


と讃仰されたのが、それです。釈尊とは、有限な人間に応じて自らを時間的に限定された阿弥陀仏であり、阿弥陀仏とは釈尊の絶対無限のさとりの領域を開顕したものといえましょう。したがって、釈尊の説法のままが阿弥陀仏の説法であるから、本願力回向の教といわれるのです。


(p.16~p.18)



『大無量寿経』に説かれている阿弥陀仏の本願こそ、釈尊、諸仏出世の本懐であり、私達のような五濁の凡愚が往生成仏することのできる唯一の教法です。

極悪深重の衆生は
他の方便さらになし
ひとへに弥陀を称してぞ
浄土にうまるとのべたまふ (高僧和讃)

しかれば、それ楞厳の和尚(源信)の解義を案ずるに、念仏証拠門(往生要集・下)のなかに、第十八の願は別願のなかの別願なりと顕開したまへり。『観経』の定散の諸機は、極重悪人、ただ弥陀を称せよと勧励したまへるなり。濁世の道俗、よくみづからおのれが能を思量せよとなり、知るべし。(教行信証化土巻)


と仰せのように、直ちに方便仮門を捨てて如来の大願他力に救われ、念仏して下さい。

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淳心房&しゃあ

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(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
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