「一切衆生必堕無間」についてのコメント返信

「一切衆生必堕無間」についての問答(コメントより)にコメントを頂いています。今回はコメントの紹介、及びそれについての返信です。

名無し様のコメント
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「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり。されば、それほどの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ」(歎異抄後序)

「一切の群生海、無始よりこのかた乃至今日今時に至るまで、穢悪汚染にして清浄の心なし、虚仮諂偽にして真実の心なし。ここをもつて如来、一切苦悩の衆生海を悲憫して、不可思議兆載永劫において…(中略)…如来の至心をもつて、諸有の一切煩悩悪業邪智の群生海に回施したまへり。すなはちこれ利他の真心を彰す。ゆゑに疑蓋雑はることなし。」(教行信証信巻)

といった言葉に代表されるように、自身の罪悪というものを強く打ち出す親鸞聖人の言葉は、阿弥陀如来の救いや慈悲とセットになって述べられていることが多いです。浄土真宗の信心は「二種深信」と言われますので、当然といえば当然です。

つまり、必堕無間にしても、本願念仏の教え・阿弥陀如来の救いに「出遇ったわたし」が、「自分自身のこと」として味わう際において出てくる言葉なのです。中央仏教学院のテキストも必堕無間だけではなく、「定得往生の者であるというよろこびに生きる」とあるように。

そこから一即一切・一切即一の理論で一切衆生に広げたとしても、あくまで基本は「自身のこと」として味わうものです。「自身のこと」という最も大切な部分がゴッソリと抜け落ちた「全人類共通の法則」「一般論」のような知識的理解の上で語ったり、ましてや他者に対して脅しのように振りかざしたり、そう受け止められるような使い方をする言葉ではありません。

また「救いに出遇った者の味わい」として出てくるのですから、「一切衆生は必堕無間なんだから、救われるために求道を頑張ろう」という理屈も生まれないのは、上記の言葉を見ても、

無明長夜の灯炬なり
 智眼くらしとかなしむな
 生死大海の船筏なり
 罪障おもしとなげかざれ

というご和讃からも明らかです。

「地獄は一定すみかぞかし」とおっしゃった歎異抄第2条ですら「必堕無間」であることを伝えようとする一段ではありません。不審をかかえて関東から命がけの旅をしてきた弟子たちに、改めて「念仏以外の道があると思ってるなら大間違いだよ」と示し、その念仏の教えを示してくださった法然聖人への深い敬慕の念の中から「地獄は一定すみかぞかし」という言葉が出てきています。自身の味わい・領解を通して、最後には「このうへは、念仏をとりて信じたてまつらんとも、またすてんとも、面々の御はからひなり」と締めくくっています。

親鸞会は必堕無間が求道のためのキーワードになっており、唯一無二の善知識こと会長の存在とセットになって「無間地獄から逃れるには信心獲得しなければ、そのためには唯一無二の全知識のいらっしゃる親鸞会で求道に励まなければ」と脅しのような効果をもたらしています。

同じ言葉を使っていたとしても、理屈の組み立て方次第でその中身が全く逆方向になってしまうこともあるという典型的な例ですね。注意したいものです。

※管理人様、長々とでしゃばって失礼しました。南无阿弥陀仏。

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私も同じように思います。


中央仏教学院生徒(西本願寺)様
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では仏教学院の先生方は、間違った味わい方をされているのでしょうか。

また、いろいろの方面から勉強してみたいと思います。

有難うございました。

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何度も言っていることですが、個人的な味わいとして「私は必堕無間のあさましい存在だ」と言う分には何も差し支えありませんし、ましてそれが正しいとか間違いだとか言うつもりもありません。本願寺は親鸞会などとは比較にならないほど多くの布教使や学者がいらっしゃいますから、中央仏教学院生徒さんに返答した先生のような考えの方もあるのでしょう。
ただ、「一は一切、一切は一、必堕無間はすべての衆生にあてはまるご教導とこそ味わいます。」という返答があったからといって、それが親鸞会の説く一切衆生必堕無間は正しいという根拠にはなりません。中央仏教学院生徒さんは、親鸞会の説く「一切衆生必堕無間という教義」の正当性を主張するために西本願寺の先生に質問し、その返答を当ブログに書き込んでおられるのでしょうか? 当ブログの性質の一つが親鸞会批判ですから、当ブログに書き込んでくる理由はそれ以外考えられませんが、まずそれを伺いたいと思います。
親鸞会では、全ての人は死ねば必ず無間地獄に堕ちて八万劫中大苦悩ひまなく受ける、これを後生の一大事といい、この後生の一大事解決には親鸞聖人の正しい教えを聞いて信心決定するしかないと説きます。要は一切衆生必堕無間というのは、親鸞会に入って信心決定するしかあなたの助かる道はない、という脅し文句なのです。そして聞く者を、無間地獄から逃れるのが目的で親鸞聖人の教えを聞く、というスタンスにしてしまっています。
会員の皆さんが親鸞会に留まる理由の一つが、この一切衆生必堕無間という呪縛です。そこで、この呪いの言葉から解き放たれて、無間地獄から逃れるためではなく真実浄土を願って本願を聞き念仏されるようにと思って「一切衆生必堕無間という教義」を批判しています。実際、経典や聖教上には「一切衆生必堕無間」という言葉も、「一切衆生必堕無間」ということを意味する教えもありません。もしあれば、釈尊の言葉で、あるいは七高僧、親鸞聖人、覚如上人、蓮如上人の言葉で示して頂きたいものです。

なお、親鸞会は本願寺に対して「念仏さえ称えておれば死んだら極楽、死んだら仏、死んだらお助け」と説いていると批判し、葬式仏教・法事仏教となって死人を食い物にしている、間違った教えを説いているとコテンパンにこき下ろしています。その本願寺の先生の言葉をもって親鸞会教義の正当性を主張するとは如何なものか、読者の皆様には言うまでもないと思います。
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そうですか。

いろいろの解釈があるものですね。

私は現在、真宗大谷派のお東の門徒です。

働きながら、僧職への転職を決意し、中央仏教学院(西本願寺)の通信教育を受講しています(お東に通信教育はありません。)

また、浄土真宗親鸞会の高森顕徹師のことも存じております。

ただ、こちらのサイトの主旨もございます。
皆さんが感情的になられないかを愁い、敢えて話題にすることは控えました。

ただ、私のところのご住職(お東80代)は「高森顕徹の話は聞けばよい。」とお話くださいます。

また、仏教学院での先生方からのご返答の件もあり、皆さんがあまりに否定的な姿勢に違和感を感じたのは事実です。

しかし、浄土真宗というのは難しいものですね。

私もよく勉強したいと思います。

有難うございました。

> 中央仏教学院生徒様

私を始め、親鸞会退会者の多くは、親鸞会の邪義に騙され続けてきたことに深い憤りを感じています。今でも退会者の中で、必堕無間の呪縛に苦しみ続けている方もあるでしょう。釈尊は『涅槃経』で、犯した罪悪の報いに怯え苦しむアジャセに「地獄に堕ちる罪ではない」と仰っています。苦しんでいる者の苦しみを除き、まことの安らぎを与えることこそ仏法と思います。親鸞会経験者は一般の仏法とご縁がなかった方とは状況が異なりますので、その点ご理解頂きたいと存じます。
プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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