「完成がある」「卒業がある」という教えを死ぬまで求道の親鸞会会員

『元会員から見た浄土真宗親鸞会』更新されない親鸞会公式ホームページ

に平生業成の話が載っています。この平生業成について、親鸞会では

人生の目的が現在に完成する(『なぜ生きる』p.4)

という意味だと教えています。私はこれを聞いて、「人生の目的を完成し、生まれてきて良かった、生きてきて良かった、いつ死んでも悔い無しという安心・満足を得たい」と思って親鸞会に入った身ですが、それは叶いませんでした。じゃあ自分がそうなだけで、周囲には人生の目的を達成した人が大勢いるのか、というとそうでもなく、人生の目的完成を夢見て活動している人ばかりでした。完成しているという人が皆無に等しいことは、自分を含めて共に活動している会員、講師部員の言動や、機関誌の体験談などから容易に読み取ることができるでしょう。

では、平生業成、人生の目的が現在に完成する、人生に卒業がある、決勝点がある、とやかましく言う割に、なぜ親鸞会が説く人生の目的とやらがいつまでも完成しないのでしょうか?
「全ての結果には必ず原因がある、原因なくして起きる結果は万に一つも億に一つもない」というのが親鸞会お決まりの台詞ですが、その一つは間違いなく親鸞会の説く教えにあります。現在地から見て最寄り駅は右方向なのに「左に行け」と教えられ、その通りに従っていたらいつまでも最寄り駅に着けないのと同様、間違った教えを信じ、その通りに従っていてもダメなのは当たり前です。親鸞会では、人生の目的がいつまでも完成しないことについて、あるいは宿善が薄いからと言い、あるいは三願転入の道を通らなければならないと説きますが、親鸞聖人の教えにはそんな教えはありません。
宿善については、宿善を求めよ・厚くせよという説示はありませんし、三願転入については、定散二善をせよ、19願の善をせよという教えはありません。それどころか、親鸞聖人は定散二善、19願の善を「迂回の善」と仰っています。

横超断四流(玄義分 二九七)といふは、横超とは、横は竪超・竪出に対す、超は迂に対し回に対するの言なり。竪超とは大乗真実の教なり。竪出とは大乗権方便の教、二乗・三乗迂回の教なり。横超とはすなはち願成就一実円満の真教、真宗これなり。また横出あり、すなはち三輩・九品、定散の教、化土・懈慢、迂回の善なり。大願清浄の報土には品位階次をいはず。一念須臾のあひだに、すみやかに疾く無上正真道を超証す。ゆゑに横超といふなり。(信文類)
さきに引いた善導大師の『観経疏』に「横超断四流」(玄義分)といわれている。横超というのは、横とは、竪超・竪出に対し、超とは遠まわりに対する言葉である。竪超というのは聖道門の中の大乗真実の教えである。竪出というのは聖道門の中の大乗方便の教えであり、二乗・三乗の区別を立てるものであって、さとりを開くまで遠まわりしなければならない教えである。横超というのは、本願が成就して、すべての衆生が平等にさとりを開く唯一の真実円満の教え、すなわち真宗である。また、浄土門の中に横出がある。それは三輩・九品の機が定善・散善を修め、方便化土である懈慢界に往生する遠まわりの善の教えである。本願によって成就された清らかな報土は、三輩・九品の別を問わない。往生すると同時に、速やかにこの上ないさとりを開くから横超というのである。

19願とは、浄土を願ってさまざまな善を修める者を臨終に迎えに行き、往生させようという願です。往生できるかどうかは臨終に決まりますから、18願が平生業成を誓われているなら、19願は臨終業成を誓われた願と言えます。また、教えられた通りの善ができない者は落第、平生から善を修めてきても臨終に阿弥陀仏の来迎がなければまた落第、そして往生できたとしてもそれは真実報土ではなく方便化土です。親鸞聖人は18願による平生業成、そして真実報土の往生を勧められた方ですから、上記の事が理解できれば、19願を勧める親鸞会がいかに親鸞聖人の仰せと異なるか分かります。
19願は、速やかにこの上ないさとりを開く横超の教えではなく、さとりまで長い時を要する横出の教えに分類されます。長い時と言っても30年や40年どころではありません。私達からすれば永遠と言ってもよい時間ですから、この世では無理です。この世では到底無理なことをせよと押し付けているのですから、会員がいつまでも平生業成の身になるわけがありませんね。「完成がある」「卒業がある」という教えを死ぬまで求道なのが親鸞会会員と言えるでしょう。更に言えば、善という名の献金、勧誘、無条件服従がメインですから最悪です。19願とは名ばかりで、私利私欲を満たすことが目的ですから、会員は18願はおろか19願の救いにさえあずかれません。


駅を出れば目的地は目の前だが、その駅に辿り着くのに現在地から3時間かかるとすれば、目的地までは「3時間+駅を出るまでの時間」ということと同様、救いは一念だが、そこまで辿り着くのに時間がかかるとすれば、救いまでは「一念まで着くまでの時間+一念」ということで、それは一念の救いではありません。親鸞会のトリックに騙されませんよう、注意が必要です。
また、既に私一人に向かって喚びづめの阿弥陀仏の勅命を、何の造作も計らいも雑えずにただ聞き受けるのみですから、それが私が求めていたものかどうかは別として、本当に只今平生業成の身になるのです。私の側からは何の造作も要せず、阿弥陀仏の一方的なお救いにあずかるのですから、往生に関して善は不要です。ここも、往生に関してと生活に関してをごちゃ混ぜにして教えてくる親鸞会のトリックがありますから要注意です。

今死んだらこれまで聞いてきた教えで助かるのか、「完成がある」「卒業がある」という教えを死ぬまで求道の人生でいいか、会員の皆さんにはよくお考え頂きたいものです。
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>秘密コメント様

いわゆる一念詐欺ですね。親鸞会では、縦と横の線で言えば、縦の線(一念)に至るまで

・因果の道理を深信する。
・真剣に廃悪修善に取り組み、真実の自己が知らされる。
・後生の一大事に驚きが立つ。
・19願の善に取り組み、善のできない己が知らされる。
・20願の念仏に取り組み、念仏の称えられない己が知らされる。

というような道程を経なければなりません。これら全てをクリアするのにどれだけの時間がかかるのか。会員は最初の項目すらクリアできていないのではないか。講師部員すら会長からしたら19願の入口にも立っていないそうですから、一念で救われるとは言いながら一生涯かかっても無理というのが実情でしょう。
少し考えればこのようなことはすぐに分かるものですが、高森信心が篤いと分からなくなってしまうようです。
プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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