救いは一念だが、そこまで時間(道程)を要するのなら、それは一念の救いではない

浄土真宗、親鸞聖人を利用し冒涜し続ける親鸞会。親鸞会の詐欺まがいの教義歪曲はもはや周知の事実ですが、中でも挙げられるのは

「救われるのは一念だが、そこまでは通らなければならない道程がある」

というものです。私はこれを「一念詐欺」と名付けることにします。
親鸞会では、いつも縦と横の線を書き、縦の線を指して「ここが決勝点、ここがゴール、ここが卒業、人生の目的完成」などと話します。それは何億分の一秒よりも短い時間(親鸞会では一念と言う)でなされるというのです。
ところが、その一念(縦の線)に辿り着くには一朝一夕にはゆかず、様々な問題をクリアしていかねばなりません。何でも万人共通して通らねばならない道程とやらがあるというのです。親鸞会流三願転入の教えがそうですが、その前にもいくつも関門が立ちふさがっています。今一度親鸞会教義を振り返りますと以下の通りです。

1、仏教の根幹は因果の道理。因果の道理の結論は廃悪修善。
2、真剣に悪を慎み善に努めてゆくと見えてくるのは悪しかできない己の姿。
3、悪しかできないならば、因果の道理に順じて後生は一大事。
4、そうして後生の一大事に驚き立った者に、阿弥陀仏は十九願にて善を勧められている。
5、十九願に誓われているように真剣に善に努めてゆくと、善では助からない己が知らされ念仏に目が行く。
6、そのような人に阿弥陀仏は二十願にて万善万行の総体である念仏を勧められている。
7、二十願に誓われているように念仏に努めるが、念仏も称えられない、一つの善のできない極悪人と切り捨てられる。
8、そこで、極悪人をそのまま救い摂ると誓われた十八願の世界に転入する。


因果の道理を深く信じ、その結論である廃悪修善を努め、悪しか出来ない自己の姿が知らされ、悪因悪果で後生は一大事と己の後生に驚き立つ。上のチャートで言うと4までクリアしてようやく、黒板の縦と横の線で言えば黒板の右端に乗るようです。ちなみに高森会長説によると、お釈迦様は当時の人々を横の線の軌道(黒板の右端)に乗せるのに45年かかったというのです。とすると彼が、会員歴が30年、40年、それ以上の人達を前に相も変わらず因果の道理を話しているというのも尤もな話です。高森会長に言わせれば、一番彼に付き随っている講師部員ですら19願の入口にも立っていないというのですから、そんな体たらくで今生救いに間に合う人などいるのでしょうか?
なおこのことから、高森会長は会員の理解について、因果の道理もまともに理解していないと見做していることが伺えます。先生は生徒の理解度に応じて学習を進めていくものですが、未だに親鸞会の超ベテランにも因果の道理を説いているところを見るとそういうことなのでしょう。算数で言えば何十年と自然数の足し算の勉強だけで止まっているようなものです。

会員の皆さん、今宵とも知れぬ後生、一刻も早く8まで辿り着かねばならないのに、30年、40年、それ以上の人達でさえ因果の道理もまともに理解していない。チャートで言えば1で止まっているらしいですよ。


たとえ救われる瞬間は一念だとしても、それまでに長い時間、長い道程を要するのなら、それは一念の救いではありません。大分意味は違いますが、敢えて言うなれば一念に対して多念の救いです。では阿弥陀仏の本願は多念をもって本願としているのでしょうか?

しかるに世の人つねにおもへらく、上尽一形の多念も宗の本意とおもひて、それにかなはざらん機のすてがてらの一念とこころうるか。これすでに弥陀の本願に違し、釈尊の言説にそむけり。そのゆゑは如来の大悲、短命の根機を本としたまへり。もし多念をもつて本願とせば、いのち一刹那につづまる無常迅速の機、いかでか本願に乗ずべきや。されば真宗の肝要、一念往生をもつて淵源とす。『口伝鈔』一念と多念

親鸞会会員にとっては馴染みの御文だと思いますが、弥陀の本願は今宵とも知れぬ後生である我々短命の根機を救うことを主たる目的としているというのです。その根拠として、『口伝鈔』ではこの後『大経』の本願成就文と弥勒付属の文を挙げています。更にその後、多念をもって本願とするなら、過去の業因から私達はいつどのような死に方をするか分からないので、阿弥陀仏に助けて頂けるかどうかはまことにもって定まらないのだと続きます。であるから、19願文の中にも「仮令不与現其人前者」とあり、往生は不定であるから「仮令」の二字が置かれているというのです。
ここで私が何が言いたいかというと、一念往生の根拠として成就文等が挙げられているが、その中に19願文はないということ、それどころか往生が定まらない根拠として19願文が挙げられていることです。難行、易行についてでも触れましたが、そこでも往生不定の根拠として19願文が挙げられており、その19願に随って善を修めよという説示はどこにもありません。

『口伝鈔』その他のお聖教では、一念の信心とその後の称名相続の両方が往生の業因だから、信後の称名相続を励まなければ往生できないとする多念義を破る意図で教えが説かれています。なので、救いは一念だがそれまで長い時(道程)を要するという親鸞会の邪義を「多念の救い」というには大分意味が異なることは承知しています。ただそれでも、

・一念往生の根拠の中に19願文はない
・往生不定の根拠として19願文が挙げられている


ということはご理解頂けると思います。ですから、18願の救いに遇うのに19願の善を修めなければならないとする、親鸞会流三願転入の教えがデタラメ創作教義であることは伝わるのではないかと思います。


今やスマホでいつでもどこでもオンラインという時代になりました。ただ、「すぐにつながる」と言っても端末も契約も何もない人が「すぐにつながる」わけではなく、全くさらの人が「すぐにつながる」ようになるには時間と所作を要します。色々な条件が既に揃った上での「すぐにつながる」なわけです。ですから、全ての人が「すぐにつながる」のではありません。実際私は未だにガラケーなので、「すぐにつながる」は当てはまりません。
同様に、「救いは一念」だが、それまでは上のチャートでいう1~8までの全クリを要するなら、色々な条件が既に揃った上での「救いは一念」であって、全ての人が「救いは一念」なのではありません。しかも親鸞会の超ベテランすら1で止まっているのなら、全ての人が「救いは今生ではとても無理」と言っても過言ではありません。スマホの場合は既に条件を揃えた人が沢山いますし、揃えようとすれば割合誰でも揃えられますから詐欺ではありませんが、親鸞会では事前に条件を揃えた人はいなく、今後も揃えられる見込みのある人も皆無です。だから一念詐欺なのです。
弥陀の本願は、時間も所作も要せず、只今、この場で、このままの私が「助けるぞ」と仰せの阿弥陀仏の勅命を計らいなく聞き受け、仰せのままに後生をおまかせするというものです。因果の道理や19願は要りません。自分を短命の根機だと思うなら、一念詐欺にいつまでも騙されていずに、直ちに本願を仰いで下さい。
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淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
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