『観無量寿経』に説かれている事と、親鸞会教義との相違点2

高森会長の話では、釈尊は、全ての人をいつもの縦と横の線で言うところの横の線の軌道に乗せるために45年間因果の道理を教えられた、そして『観無量寿経』で今までの全ての教えを定散二善でまとめられた、とありますがそうではありません。

『観無量寿経』を一度も読んだことのない高森顕徹会長1

にあるように、具体的には善ができる頻婆娑羅王には八戒、いわゆる聖道門の教えを、悪人である韋提希には浄土門の教えを説かれたのです。それぞれ機が違い、できる行が違うので、それぞれの機に相応しい教えを説く、これが対機説法です。いつも、いつも、初めて聞きに来た人に対しても、何十年聞いている人に対しても善因善果、悪因悪果、自因自果…ではないのです。親鸞会では対機説法という言葉は出てきても、その正しい意味がまるで理解できていないことが判ります。
それと、あの横の線の軌道が「全人類の救われるたった一本の道」というのは親鸞会独自の妄想ですので、「釈尊は全ての人を19願→20願→18願へと進めるために教えを説かれた」というのも間違いです。仏教の目指すところは成仏であり、その方法としては廃悪修善の厳しい行を積んでこの世で仏のさとりを目指していく聖道門の教えもあれば、この世での成仏を諦めて次の生で浄土へ往生してさとりを開くという浄土門の教えもあります。おおまかに聖道門、浄土門と言いましても、その教えは各宗派異なるように数多分かれております。如説に修行すれば証果が獲られますから、聖道門の教えも、浄土門内の自力の教えも無意味ではありません。ただそれらは自分には相応しないと思う人は、ひとえに本願を信じ念仏を申して後生を阿弥陀仏におまかせする、という親鸞聖人の教えを信奉するというだけです。聖道門の教え、浄土門内の自力の教えは縦の線に至る単なる通過点として釈尊が説かれたのではないということを知って頂きたいと思います。


3、釈尊の教導について

対機説法。成仏を目的とし、それぞれの機に応じて最も相応しい教えを説かれた。
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全ての人を横の線の軌道に乗せるために、仏教の根幹である因果の道理を説かれた。



次に、「釈尊が韋提希に定善を説いて実行させ、できない自分を知らせようとした」という珍説についてです。

『観無量寿経』を一度も読んだことのない高森顕徹会長2

を参照しますと、定善が説かれた経緯については、釈尊のお力によって浄土を見ることのできた韋提希が、釈尊入滅後の衆生を心配して、衆生が自分の力で浄土を見る方法を釈尊に尋ねたというのです。しかもその前には、釈尊は韋提希の能力では浄土を見ることのできないことを宣告されているのですから、既に釈尊のお力によって浄土を見ている韋提希は定善をする必要はないし、やろうとも思っていません。ですから、『観無量寿経』には韋提希が定善を実行してみてできたのかできなかったのか、という記述は一切ありません。「お釈迦さま、私、できません…」などとアニメの韋提希に言わせているのは、単なる高森会長の妄想ということがお判り頂けるでしょう。


4、なぜ定善は説かれたのか

韋提希が釈尊入滅後の衆生を心配して、衆生が自分の力で浄土を見る方法を尋ねたため。
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韋提希に実行させ、善のできない自分を知らせるため。


それから、『なぜ生きる』やアニメ『王舎城の悲劇』の、韋提希に定善をやらせるシーンについてです。これが如何にデタラメであるかはリンク先を読んで頂ければよくお分かりかと思います。その部分を以下に引用します。

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定善十三観は、日想観ができたら水想観、水想観ができたら地想観というようにステップアップしていくものです。日想観ができなかったら水想観、水想観ができなかったら地想観ではありません。
実際『観無量寿経』には

この想成ずるとき、一々にこれを観じて、きはめて了々ならしめよ。
地想成じをはりなば、次に宝樹を観ぜよ。


等とあります。もし韋提希が日想観を実践しようとしてできなかったとするのなら、水想観は韋提希とは完全に無関係に説かれたことになります。

********************

算数で言えば、足し算ができたら引き算、そして掛け算、割り算と四則演算を、それから分数・小数計算、方程式、関数などとステップアップしていくようなものです。徐々に簡単なものになっていくというものではありません。ところが親鸞会の教えだと、足し算ができなかったら引き算を、引き算ができなかったら掛け算をと言っているようなものです。こんな頓珍漢な教えを聞いているから、何十年と聞いているベテラン会員でも未だ因果の道理で止まっているのです。


5、定善十三観の順番について

日想観ができたら水想観、水想観ができたら地想観というようにステップアップしていく。
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日想観ができなかったら水想観、水想観ができなかったら地想観というように簡単になっていく。


ここまでだけでも、如何に『観無量寿経』に説かれている事と、親鸞会教義との相違点が沢山あるかが分かります。これを書いていて、よくもあのようなデタラメ創作教義を唯一絶対にして真実の宗教だなどと信じていたなと恥ずかしくなります。では、今回はこれまでとして、続きはまた今度にしたいと思います。
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初めまして☆

緊張しながらのコメントなのでおかしいところあったらすみません。
ここのところ災難続きで凹んでばかりいました。

でも淳心房&しゃあさんのブログに巡り合えて読ませて頂いて気持ちが落ち着いて和みました
自分で自分のことを少し追い詰め過ぎていたのかもしれません。

そんなことにを気づくきっかけをくれた淳心房&しゃあさんとほんの少しだけでも言葉を交わしあえたらなと思うんですがどうでしょう…?
ほんの少しでも聞いて頂けたら自分の中で何かを変えられるんじゃないか…なんて思えたので。

コメントで悩みを打ち明けるのは気恥ずかしいですし直接反せないでしょうか。

迷惑でしたらコメント削除しちゃってください。
急な申し出すみませんがお待ちしてます、

>アリス様

災難の渦中にいると気持ちがふさぎ込み、なぜ自分はこれほど苦しんでいるのかとばかり考え、どんどん悪い方向へ行ってしまうのではという不安に襲われてしまいますね。。。

コメントで晒されると嫌な事については、秘密コメントにして、あるいは当ブログの紹介欄(右上の方)に示してあるメールアドレス宛にお書き頂ければと思います。具体的な解決法は申し上げられないかも知れませんが、書くことで何に悩んでいるのか自分で整理がつくこともあります。よろしくお願いします。
プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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