「化身土文類」及び「三願転入の御文」の位置づけ

確かに親鸞聖人は『教行証文類』化土巻において、ご自身の入信の過程を述べておられます。『化身土文類』真文決釈にある、いわゆる「三願転入の御文」がそれです。

ここをもつて愚禿釈の鸞、論主の解義を仰ぎ、宗師の勧化によりて、久しく万行諸善の仮門を出でて、永く双樹林下の往生を離る。善本徳本の真門に回入して、ひとへに難思往生の心を発しき。しかるに、いまことに方便の真門を出でて、選択の願海に転入せり。すみやかに難思往生の心を離れて、難思議往生を遂げんと欲す。果遂の誓(第二十願)、まことに由あるかな。ここに久しく願海に入りて、深く仏恩を知れり。至徳を報謝せんがために、真宗の簡要を摭うて、恒常に不可思議の徳海を称念す。いよいよこれを喜愛し、ことにこれを頂戴するなり。

【現代語訳】
このようなわけで、愚禿釈の親鸞は、龍樹菩薩や天親菩薩の解釈を仰ぎ、曇鸞大師や善導大師などの祖師方の導きにより、久しく、さまざまな行や善を修める方便の要門を出て、長く、双樹林下往生から離れ去り、自力念仏を修める方便の真門に入って、ひとすじに難思往生を願う心をおこした。しかしいまや、その方便の真門からも出て、選択本願の大海に入ることができた。速やかに難思往生を願う自力の心を離れ、難思議往生を遂げようとするのである。必ず本願他力の真実に入らせようと第二十願をおたてになったのは、まことに意味深いことである。ここに久しく、本願海に入ることができ、深く仏の恩を知ることができた。この尊い恩徳に報いるために、真実の教えのかなめとなる文を集め、常に不可思議な功徳に満ちた名号を称え、いよいよこれを喜び、つつしんでいただくのである。

ただし、聖人が明確に三願転入について仰っているのは、沢山の著作の中でもこの1ヶ所のみです。七祖聖教、聖人が門弟の方々に勧められた聖覚法印や隆寛律師の著書、覚如上人や蓮如上人の著書に至っては「三願転入」に関する記述は皆無です。にも関わらず、高森会長は三願転入は万人共通の体験であるといい、18願の世界に出るには19願・20願の道程を通らなければならない、そうしなければ蟻一匹救われない、とやかましく説きます。

(18願)     (20願)     (19願)
      |
      |                  人
      |―――――――――――――
      |
      |

こんな図を書いて、19願→20願→18願と進んで救われるんだと、親鸞会経験者なら誰しも聞いていることと思います。ただ、この横の線の軌道の右端(「人」の所)に乗るまでは

1、因果の道理をよく聞いて理解する
2、因果の道理の結論である廃悪修善を実践する
3、悪しかできない己の姿を知らされる
4、悪因悪果で後生は一大事と驚き立つ

という、第二の道程とも言うべき関門が立ちはだかっています。教えを聞き、活動をして、一時的にこのチャートを進んでいるような気になりますが、反省すると自因自果すら理解できていない自分であると分かり、また1に逆戻り。そんな活動の日々という円形トラックをぐるぐるぐるぐる走り続けるランナーが親鸞会会員です。縦の線が遠すぎて、果たして自分は今生でそこまで辿り着けるのかと絶望しかけます。そのくせ高森会長は別の所では「一念で助かる」とか言ってるんですから、こんな教義を真に受けていては、会員は「救いは一念だが、それまでは長い時を要するんだ」と考える以外ないでしょう。

さて、話を戻しますが、三願転入の御文は『教行証文類』の中でも最後の方に出てくるお言葉です。一体どういうつながりで三願転入の御文が出てくるのか、まずは『教行証文類』の構造を振り返ってみましょう。以下に標挙の文を示しますと、

教巻:大無量寿経
真実の教 浄土真宗

行巻:諸仏称名の願(17願)
浄土真実の行 選択本願の行

信巻:至心信楽の願(18願)
正定聚の機

証巻:必至滅度の願(11願)
難思議往生

真仏土巻:光明無量の願(12願) 寿命無量の願(13願)

化身土巻:『観無量寿経』の意
 至心発願の願(19願) 邪定聚の機 雙樹林下往生
『阿弥陀経』の意
 至心回向の願(20願) 不定聚の機 難思往生


となっています。18願を、11願・12願・13願・17願・18願(五願)に開かれて、真実の教・行・信・証・真仏・真土(六法)を明らかにされたのが『教行証文類』前五巻まで。そこから『化土巻』へは以下のように続きます。

それ報を案ずれば、如来の願海によりて果成の土を酬報せり。ゆゑに報といふなり。しかるに願海について真あり仮あり。ここをもつてまた仏土について真あり仮あり。  選択本願の正因によりて、真仏土を成就せり。真仏といふは、『大経』(上)には「無辺光仏・無碍光仏」とのたまへり、また「諸仏中の王なり、光明中の極尊なり」(大阿弥陀経・上)とのたまへり。{以上}『論』(浄土論)には「帰命尽十方無碍光如来」といへり。真土といふは、『大経』には「無量光明土」(平等覚経・二)とのたまへり、あるいは「諸智土」(如来会・下)とのたまへり。{以上}『論』(浄土論)には「究竟して虚空のごとし、広大にして辺際なし」といふなり。 往生といふは、『大経』(上)には「皆受自然虚無之身無極之体」とのたまへり。{以上}『論』(浄土論)には「如来浄華衆正覚華化生」といへり。また「同一念仏無別道故」(論註・下)といへり。{以上}また「難思議往生」(法事讃・上)といへるこれなり。  仮の仏土とは、下にありて知るべし。すでにもつて真仮みなこれ大悲の願海に酬報せり。ゆゑに知んぬ、報仏土なりといふことを。まことに仮の仏土の業因千差なれば、土もまた千差なるべし。これを方便化身・化土と名づく。真仮を知らざるによりて、如来広大の恩徳を迷失す。これによりて、いま真仏・真土を顕す。これすなはち真宗の正意なり。経家・論家の正説、浄土宗師の解義、仰いで敬信すべし。ことに奉持すべきなり。知るべしとなり。 『真仏土巻』真仮対弁

【現代語訳】
 さて、報ということを考えると、如来が因位においておこされた願の果報として浄土は成就されたのである。だから報というのである。ところで、如来の願に真実と方便とがある。だから、成就された仏と浄土にも真実と方便とがある。  第十八願を因として真実の仏と浄土が成就されたのである。真実の仏とは、『無量寿経』には「無辺光仏、無碍光仏」と説かれ、また『大阿弥陀経』には「仏がたの王であり、その光明はもっとも尊い」と説かれている。『浄土論』には「帰命尽十方無碍光如来」といわれている。  真実の報土とは、『平等覚経』には「限りない光明の世界」と説かれ、また『如来会』には「あらゆる智慧をそなえた世界」と説かれている。『浄土論』には「はかり知れないことは虚空のようであり、広大であってきわまりがない」といわれている。  往生とは、『無量寿経』には「浄土の清浄の人々は、みな阿弥陀仏のさとりの花から化生する」といわれ、また『往生論註』には「同じ念仏によって浄土に生れるのであり、その他の道によるのではないからである」といわれている。また『法事讃』に「難思議往生」といわれているのがこの往生である。  方便の仏と浄土のことは、次の「化身土文類」に示すので、そこで知るがよい。すでに述べてきたように、真実も方便も、どちらも如来の大いなる慈悲の願の果報として成就されたものであるから、報仏であり報土であると知ることができる。方便の浄土に往生する因は、人によってそれぞれにみな異なるから、往生する浄土もそれぞれに異なるのである。これを方便の化身・方便の化土という。如来の願に真実と方便とがあることを知らないから、如来の広大な恩徳を正しく受け取ることができないのである。このようなわけで、ここに真実の仏・真実の浄土について明らかにした。これが浄土のまことの教えである。釈尊の経説、龍樹菩薩や天親菩薩の説示、浄土の祖師方の解釈を、仰いで敬い信じ、つつしんで承るべきである。よく知るがよい。

現代語訳を読めばお分かりのように、方便の仏と浄土のことを示されたのが「化身土文類」だというのです。『教行証文類』は正確には『顕浄土真実教行証文類』といい、浄土真実の教・行・証を顕かにした文類ということですから、本来内容的には「真仏土文類」までで十分と言えます。それを敢えて「化身土文類」まで加えられた理由の一つは、真実を真実と受け容れられず、方便化土に留まる者があるため、それを誡めるためであります。例えば白とはこういうものですよと説明した後で、白を際立たせるために黒を敢えて持ってきて白との違いを説明するようなものです。今回はごく簡単に説明しますが、そして「親鸞は久しく留まっていた黒の世界から白の世界へ出た」と御自身の体験を表明されたのが「三願転入の御文」というわけです。
私達は、聖人が明らかにされた白の世界を知ればよいので、わざわざ一旦黒の世界に入らなければならないというのではありません。親鸞会では方便からしか真実へ入れないとやかましいですが、会員は方便ということについて誤解しているため騙されてしまうのです。方便の行信からは方便の浄土しか往けないということを知れば、高森会長の騙しの手口を見破ることができるでしょう。方便の行信はそれと分かった時点で捨てて、真実の行信に帰依してこそ、真実の浄土に往生することができるのです。尤も、親鸞聖人が方便の行信を勧めておられればそれは私達もやらねばなりませんが、それについては次回以降に譲りたいと思います。
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淳心房&しゃあ

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(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
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