教えが真宗ではないのですから、十九願や定散二善を根拠として善を勧められる会員の皆さんがいつまでも助かるわけがありません

親鸞聖人の教えによると、まず仏教を聖道門と浄土門の二門に分類し、更に浄土門を要門(第十九願)、真門(第二十願)、弘願(第十八願)の三つに分け、弘願を真実の法門、要門と真門を方便の法門と位置付けられています。そして、聖道門・要門・真門は真実弘願まで衆生を導くために仏が暫く仮に設けられた権仮方便の教説であるというのです。
私達にとっては弘願が最も大事であり、つい浄土門以外の仏教を「聖道門」と一言で片づけてしまいがちですが、一口に聖道門と言っても実に多くの宗派があります。法然聖人は

しばらく有相宗(法相宗)のごときは、三時教を立てて〔釈尊の〕一代の聖教を判ず。いはゆる有・空・中これなり。
無相宗(三論宗)のごときは、二蔵教を立ててもつて一代の聖教を判ず。いはゆる菩薩蔵・声聞蔵これなり。
華厳宗のごときは、五教を立てて一切の仏教を摂す。いはゆる小乗教・始教・終教・頓教・円教これなり。
法華宗(天台宗)のごときは、四教五味を立ててもつて一切仏教を摂す。「四教」といふは、いはゆる蔵・通・別・円これなり。「五味」といふは、いはゆる乳・酪・生・熟・醍醐これなり。
真言宗のごときは、二教を立てて一切を摂す。いはゆる顕教・密教これなり。
『選択本願念仏集』

等と教えられています。また八宗・九宗と言われ、三論宗・成実宗・法相宗・倶舎宗・華厳宗・律宗の南都六宗に、天台宗・真言宗の平安二宗を加えて八宗、さらに禅宗を加えて九宗とされています。それぞれ宗派や教義は異なりますが、いずれにせよ、この世で聖者の位に入ってさとりを得ようという教えです。
それに対して、阿弥陀仏の本願力によって、その浄土に往生してさとりをひらく教えが浄土門です。この浄土門内でも、第十九願を拠り所として自力諸行による往生を目指す教え、第二十願を拠り所として自力念仏による往生を目指す教え、第十八願を拠り所として他力念仏往生を遂げる教え等、様々な教えがあります。この聖道・浄土について親鸞聖人は、

おほよそ一代の教について、この界のうちにして入聖得果するを聖道門と名づく、難行道といへり。この門のなかについて、大・小、漸・頓、一乗・二乗・三乗、権・実、顕・密、竪出・竪超あり。すなはちこれ自力、利他教化地、方便権門の道路なり。
安養浄刹にして入聖証果するを浄土門と名づく、易行道といへり。この門のなかについて、横出・横超、仮・真、漸・頓、助正・雑行、雑修・専修あるなり。
『化身土文類』聖浄二門釈
総じて釈尊が説かれた教えの中で、この世界で聖者となってさとりを得るのを聖道門といい、難行道という。この聖道門の中に、大乗と小乗、漸教と頓教、一乗と二乗と三乗、権教と実教、顕教と密教、竪出と竪超がある。これらはすべて自力の教えであり、衆生を真実に導くための、仮の手だてとして説かれた教えである。
浄土に往生してさとりを開くのを浄土門といい、易行道という。この浄土門の中に、横出と横超、方便と真実、漸教と頓教、そして助正と雑行、雑修と専修がある。


と教えられています。浄土門内の教えについて、親鸞聖人は続けて

正とは五種の正行なり。助とは名号を除きて以外の五種これなり。雑行とは、正助を除きて以外をことごとく雑行と名づく。これすなはち横出・漸教、定散・三福、三輩・九品、自力仮門なり。
横超とは、本願を憶念して自力の心を離る、これを横超他力と名づくるなり。これすなはち専のなかの専、頓のなかの頓、真のなかの真、乗のなかの一乗なり。これすなはち真宗なり。すでに真実行のなかに顕しをはんぬ。

正とは、読誦・観察・礼拝・称名・讃嘆供養の五正行である。助とは、称名以外の読誦・観察・礼拝・讃嘆・供養の五種である。雑行とは、正・助の行以外をすべて雑行というのである。これは、浄土門の中の自力である横出の教えで、長い時を費やす漸教であって、定善・散善や世福・戒福・行福の善を修め、三輩・九品のそれぞれの資質に応じて行を修める自力方便の教えである。
横超とは、阿弥陀仏の本願を信じて自力の心を離れることであり、これを横超他力という。これは、専修の中の専修であり、頓教の中の頓教であり、真実の中の真実であり、一乗の中の真の一乗である。これが真宗である。このことは、「行文類」においてすでに明らかにした。


と仰せです。このような分類がなされているのですが、では、親鸞会の大好きな十九願、定散二善はどこに分類されるでしょうか。十九願の行は修諸功徳の善であり、定散二善でありますから、雑行(譲っても正行と雑行の兼行。専修念仏ではない)です。現代語訳を読めばお分かりのように、

十九願-横出-漸教-方便

となります。一方十八願は、本願をたのんで自力を離れるというものですから、

十八願-横超-頓教-真実

です。十八願と十九願はただ単に真実と方便という違いだけではなく、横超と横出、頓教と漸教という違いまであることを会員の皆さんはご存じでしょうか。皆さんが勧められているのは、専修の中の専修であり、頓教の中の頓教であり、真実の中の真実であり、一乗の中の真の一乗である真宗ではなく、浄土門の中の自力である横出の教えで、長い時を費やす漸教であって、定善・散善や世福・戒福・行福の善を修め、三輩・九品のそれぞれの資質に応じて行を修める自力方便の教えなのです。こう教えられていることを知っても、なお高森会長は正しいと胸を張って言えますか?

このように教えが真宗ではないのですから、十九願や定散二善を根拠として善を勧められる会員の皆さんがいつまでも助かるわけがありません。「長い時を費やす」といっても50年や100年程度ではありませんから、親鸞会でよく使われる「死ぬまで求道」です。それに、菩提心を発し、至心発願して浄土に生まれようと諸々の善行を修めなければなりません。文字通り修諸功徳の善、定散二善なら十九願の行者と言えましょうが、実際勧められているのは

・高森会長の話を聞くこと
・富山(あるいは法話会場)まで足を運ぶこと
・親鸞会の法話に人を誘うこと、親鸞会に入会させること
・会費やお布施は勿論、次々押し寄せる募財に納金すること
・会長や上司の指示に無条件で従うこと
・朝晩のおつとめをきちんとすること
・挨拶や掃除、時間を守ると言った日常生活での良いこと


などです。中でも上五つがメイン、というかほとんどでしょう。善もどきの善と言われる所以です。下二つは行為自体は結構なことですが、「横の線を進んで縦の線まで辿り着くための足掛かり」的な考えでやっていることでしょうから、親鸞会でも言われるように心がけが悪いです。教義上からだけでも、親鸞会流三願転入の教えとは、横超+横出の教え、頓教+漸教、専修+雑修+雑行、他力真実+自力方便の教えというように余計な不純物がくっついている教えです。
しかも、親鸞会が「方便からしか真実へ入れない」と言っては自力方便の教えを勧めるということは、「横出からしか横超へ入れない」「漸教からしか頓教へ入れない」「雑行や雑修をやらねば専修になれない」と言っているのと同じことになります。横出と横超は同じ浄土門内の教えでも、親鸞聖人は二双四重の教判において違うカテゴリーに分類されています。一念の救いとは言っていても、頓教+漸教ですから只今の救いにあずかれるわけがありませんね。親鸞聖人は我々のことを「専修念仏のともがら」と仰っていますが、親鸞会会員は「雑行のともがら」とでも言いましょうか。「方便から真実へ」だけなら聞こえがいいでしょうが、親鸞会教義は、真宗を少しでも学べばこんなにもヘンテコな創作教義であることが判ります。
横超・頓教・真実の教えである十八願を直ちに説き与えられず、横出・漸教・方便の教えである十九願を根拠に、会長の私利私欲を満たすための行為をさせられているということに、会員の皆さんは早く気付いて下さい。
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淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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