雑行を避けているつもりで、実は雑行をやりまくりなのが親鸞会会員

親鸞会では十九願や定散二善を根拠に「善のすすめ」がやかましいですが、それは実際やっていることが善かどうかということを別としても

「雑行のすすめ」

です。「雑」という言葉にはすべての行がおさまり、一応会員は形式上は弥陀の救いを求めて、弥陀の浄土に生まれたいと願いを発して「善のすすめ」なるものに従っているのですから、

それ雑行・雑修、その言一つにして、その意これ異なり。雑の言において万行を摂入す。五正行に対して五種の雑行あり。雑の言は、人・天・菩薩等の解行、雑せるがゆゑに雑といへり。もとより往生の因種にあらず、回心回向の善なり。ゆゑに浄土の雑行といふなり。『化身土文類』雑行釈
さて、雑行と雑修とは同じような言葉であるが、意味は違っている。雑という言葉には、すべての行をおさめてしまうのである。五種の正行に対しては、五種の雑行がある。この雑という言葉は、人間や神々に生れる行や菩薩の行などがさまざまにまじっているという意味で雑というのである。これはもとより阿弥陀仏の浄土に往生する因ではなく、浄土を願う心をおこし、これらの行を浄土往生のための善としなければならないから、浄土往生の行としては雑行というのである。

とあるように雑行を進んでやっているということが判ります。よく総理の靖国参拝や正月の初詣、更には亡き家族や先祖のお墓参りまでも雑行だと言ってそれらを批判したり、自分達がそれらに参加するのを避けたりしています。しかし、そうやって雑行を避けているつもりで、実は雑行をやりまくりなのが親鸞会会員なのです。

そもそもそれは高森会長の悪質な指導が原因です。高森会長は雑行を五雑行と諸善万行とに分類し、五雑行は心も行為も間違いだからやってはダメだが、諸善万行はやらねば信仰は進まないと言ってやらせています。当ブログでも度々載せていますが、諸善万行の一例が五雑行であり、何も五雑行はダメで諸善万行はやらねばならないという教えはありません。

次に雑行は、すなはち文(同)に、「この正助二行を除きてのほかの自余の諸善をことごとく雑行と名づく」といふこれなり。意はいはく、雑行無量なり、つぶさに述ぶるに遑あらず。ただしばらく五種の正行に翻対してもつて五種の雑行を明かすべし。一には読誦雑行、二には観察雑行、三には礼拝雑行、四には称名雑行、五には讃歎供養雑行なり。
(中略)
このほかまた布施・持戒等の無量の行あり。みな雑行の言に摂尽すべし。
『選択本願念仏集』正行と雑行

雑行は無量にあり、全てここで述べることはできないが、今は五種の正行に対して五種の雑行を明かしましょうということで五雑行の説明があります。その後、布施・持戒等も全て雑行であると明言されています。勿論親鸞会ではこのお言葉が出てくることはありません。このような会にとって都合の悪いお言葉は故意に伏せられているのです。
前回示したように、読誦・観察・礼拝・称名・讃嘆供養の五正行以外を雑行と言うのですから、六度万行は勿論、親鸞会の大好きな十九願の行も、定散二善も雑行です。親鸞会一押しの布施は雑行です。そして、雑行を勧めまくっていて一方で「雑行を捨てよ」ですから、酒を勧めまくっていて一方で「酒を飲むな」、タバコを勧めまくっていて一方で「タバコを飲むな」と言うようなものです。矛盾も甚だしい、噴飯ものの教えが親鸞会教義ということは明らかです。

浄土真宗が急速に廃れているのは、真宗信者が正しい雑行の意味を知らないからだとか何とか教えられ、正しい雑行の意味について知っているつもりでいる会員の皆さん、実は皆さんこそ正しい雑行の意味を知らないのです。だから「捨てよ」と言われても訳が分からず、いつまでも正しい信心におもむくことができないのです。
同じく諸善万行を修めていても、聖道門の行者などが自力でさとりを開こうとして修める行は雑行とは言いません。また、浄土門以外の人がこの世の幸福を願って修める善行も雑行とは言いません。諸善万行を雑行と言うのは、浄土門、特に浄土宗や浄土真宗でのことです。浄土往生を願って、阿弥陀仏の救いを求めて修める諸善を雑行と言います。「阿弥陀仏に助けて頂けるだろう」とか「阿弥陀仏の救いに近づくだろう」など、自身の往生・獲信の足しにしようと思って修めれば雑行です。逆に自身の獲信・往生とは無関係とわきまえて修めるなら雑行とは言いません。要は心がけです。ですから、蓮如上人も「雑行を捨てよ」と言われる一方で倫理道徳の善は勧めておられます。

外には仁・義・礼・智・信をまもりて王法をもつて先とし、内心にはふかく本願他力の信心を本とすべき『御文章』3帖目11通

布施・持戒といった仏教で説かれる「諸善万行」ではなく、「仁・義・礼・智・信」と儒教で説かれる五種の倫理徳目で言われていることもポイントでしょう。仏教で説かれる諸善で勧めた場合、賢善廃悪に囚われて諸行往生のような教えと誤解する人が出てくることは想像に難くありません。しかし日常生活の善行について誡めなければ、造悪無礙を都合よく解釈して悪業煩悩のままに生きてよいと誤解する人が出てくることもまた然りです。

さて、実際のところ親鸞会の場合は、親鸞会にとって都合のよい破邪顕正という名の勧誘、お布施という名の献金、そして会長や上司への無条件服従が主な「善」であり、会員は浄土往生というよりは絶対の幸福というこの世の幸福を求めての活動となりがちですから、浄土真宗どころか浄土門でもない、単なる一新興宗教です。ある意味、高森会長の言う「雑行が出てこない」というのも当たっています。そんな体たらくで獲信も往生もあるはずもないのですが、稀に真面目に浄土往生を目的に活動している方も存在します。そんな方は是非とも、親鸞会で勧められるような活動は雑行(悪行)だと今すぐ切り捨てて下さい。往生・獲信には念仏一つ、善は不要です。そして、阿弥陀仏からの一方的な救いの御法を聞き受けて頂きたいと思います。
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淳心房&しゃあ

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(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
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